猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

安倍を「国葬」にする理由がないだけでなく「国葬」にしてはいけないのだ

2022-08-31 23:27:59 | 安倍晋三批判

首相の岸田文雄が、きょう8月31日の会見で、安倍晋三の「国葬の批判について「真摯(しんし)に受け止め、政権の初心に帰り、丁寧な説明を尽くしたい」と述べたという。きょう、丁寧に説明するのかと思っていたら、早急にテレビ中継される国会審議に出席し、質疑に答える場を設けるよう自民党の茂木敏充幹事長らに指示したと言う。

意味がわからない。「国葬」の閉会中審議を行うというのか。なぜ、きょうの記者会見で丁寧な説明せず、引き延ばしたのだろうか。「国会に出席する場を設ける」という曖昧な表現は何を意味するのだろうか。

FNNプライムオンラインでは、きょうの会見で岸田は、国葬に閣議決定した理由について以下の4点を改めて示したという。

  1.  8年8ヶ月間首相を務めた
  2.  民主主義の根幹である選挙演説中に銃撃された
  3.  外交、経済など歴史に残る業績を残した
  4.  世界各国から敬意と弔意が示され多数の弔問の希望が来ている

最初の(1)は、安倍が選挙に強いということであり、自民党にとって歓迎すべきことであっても、野党にとっては歓迎すべきことではない。(1)が理由なら、自民党葬で十分でよい。

つぎの(2)は、非業の死を遂げたからその怨霊を鎮めるために「国葬」すると変わらない低レベルの理由である。

警察の報告書では、当日、銃弾は2発あり、2番目の銃弾が致命傷になった。その間2.7秒あり、身を伏せるなりしていれば、死なないで済んだ。安倍は自分が憎まれているという認識がなく、身を伏せなかったのだから、間抜けと言うしかない。じっさい、私の家族は妻を含めて安倍が死んで良かったと思っている。

そのつぎの(3)は極右のフジテレビだからそう言うのであって、政治経済の昔の論客、大前研一は、安倍の業績はまったくないと言っている。安倍が政権をとってから、国民総生産(GNP)は伸びていないし、みんなの給料も上がっていない。国際経済競争力は低下したし、科学の分野でも中国、韓国に抜かれている。

東京弁護士会の会長の伊井和彦は、安倍の「国葬」に反対する声明で、業績がないだけでなく、民主主義の立場からすると極悪人だと非難している。長いが下記に引用する。

<教育基本法改正、イラク特措法の延長、教育三法改正(以上第一次安倍内閣)、特定秘密保護法制定、労働者派遣法改正、集団的自衛権行使を容認する閣議決定、安全保障関連法の制定、共謀罪の制定、検察庁法の改正(以上第二次安倍内閣)等について、立憲主義及び憲法の基本理念に反するという立場から反対する旨の会長声明等を繰り返し発出してきた。特に集団的自衛権の容認と安全保障関連法の制定については、当会を含む全ての弁護士会が一致して明白に違憲として反対し、現在もその廃止を求めている。>

おまけに、現在、安倍が統一教会にのめり込んでいたことが明らかになっている。

最後の(4)は、「国葬」にしなくとも、出たい人は、自民党葬であれ家族葬であれ、出るから、根拠にならない。いまどき、外国人に対するコンプレックスが岸田にあるのかと思ってしまう。

家族葬はすでに7月12日に終わっているが、その家族葬に陸上自衛隊の儀仗隊に参列した。そのときの防衛大臣は、安倍の実の弟の岸信夫だった。公私混同ではないか。

なぜ安倍の「国葬」かの疑問ではなく、「国葬」にしてはいけないの真実である。


岸田文雄は安倍晋三の後継者と言いたくて「国葬」を強行する

2022-08-30 22:30:47 | 政治時評

朝日新聞の夕刊によると、あした、9月31日、岸田文雄がコロナ隔離を終え、記者会見で、安倍晋三の「国葬」を説明するとのことだ。「国葬」を説明するとは、なぜ国葬にするかを説明するのか、それとも、どのような「国葬」になるかを説明するのか、明日にならないとわからない。

私は安倍晋三をろくでもない男だと思っているから、「国葬」に反対である。どの世論調査でも、「国葬」に反対が「賛成」を上まわっている。

「国葬」の閣議決定をした岸田政権は、葬儀の国費は2億5千万円しか使わないとか、「国葬」だが国民に弔意を求めないとか、意味不明の弁解をしている。

それでも、国民の目が厳しいと思うと、岸田政権は、皇室に「国葬」の参加を要請している。宮内庁は「天皇皇后両陛下と上皇ご夫妻は、侍従を遣わして拝礼」と言って、深くい関わりを避けようとしている。安倍晋三が上皇(平成天皇)を日ごろバカにしていたから、上皇は個人的には安倍を拝礼したくないのであろう。

これまで、戦後、「国葬」にされた総理大臣は吉田茂だけである。吉田の国葬にも反対が多かった。が、佐藤栄作が閣議決定ということで強行した。

吉田も戦後長期にわたって政権の座にあったが、国民には人気がなかった。国際政治学者の高坂正堯は、「占領という異常事態、マッカーサー占領軍総司令官という後ろ盾がなければ吉田茂は首相になれなかっただろう」と、指摘をしている。

ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波商店)に、つぎの記述があった。

<翌日、マッカーサーは組閣人事に苦慮している吉田首相を呼び出して、日本国内の食料危機を回避するためアメリカからの食糧支援を追加する約束をした。こうしてそれまで意気消沈していた翌日には新内閣の組閣発表を行うことができたのである。>

また、吉田は、占領軍総司令部と喧嘩して、

<そもそも日本を民主化できる可能性はないと言ってのけた。吉田の典型的にエリート的な表現によると、日本人には本物の自治を行う能力はない、そうでもないなどと言う者は、民族的な誇りのせいで目が見えなくなっているか、左翼の宣伝に酔わされているか、どちらかである。>

結局、「国葬」とは、権力の正統な後継者であることを主張するために、現政権が前任者を祭り上げるものでしかない。すなわち、佐藤栄作は吉田茂の後継者、岸田文雄は安倍晋三の後継者というためである。なさけない話である。

しかし、国民に弔意を求められない国葬とは何なのだろうか。


敗北者の文化、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』

2022-08-29 23:58:00 | 思想

ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)の第2部は、「虚脱ー疲労と絶望」「敗北の文化」「言葉の架け橋」の3章からなる。「虚脱ー疲労と絶望」は町に食べるものがないというという戦後の流通経済の混乱の話であり、「言葉の架け橋」は混乱期のベストセラーの話である。「敗北の文化」は意外にもセックスの話である。

読んで思ったのは、占領軍総司令部(GHQ)は、一般の日本人がどう思いどう行動するかには関心がなく、実際の統治は日本の旧来の支配層にまかし、日本の支配層をアメリカ政府に忠実なる下僕(しもべ)にすることに専念したように私には思える。

第3部によれば、日本に民主主義を押しつけたマッカーサー最高司令官は、「総司令部の外にはほとんど姿を現さず、(日本の)一般庶民と接することはなかった。」「マッカーサーと2回以上話をした日本人はたった16名しかいなかった。」「マッカーサーの話を直接聞くことが許されたのは、政府高官や彼に畏敬の念を抱く名士だけであったし、マッカーサー自身も帝王のような態度で命令をくだし、いっさいの批判を許さなかった」。

太宰治の『冬の花火』と言う物語で占領軍の検閲によって削除されたのは「日本の国の隅から隅まで占領されて、あたしたちは、一人残らず捕虜なのに」という箇所である。日本政府のうえに占領軍総司令部があることは、誰の目にも明らかなのに、当時、口に出していけなかったのだ。

「敗北の文化」は慰安婦の話から始まる。アメリカ軍兵士のあいだに性病が蔓延するのを防ぐために、占領軍総司令部は、日本政府にいわゆる「慰安所」を作ることを命じた。ところが、「プロの売春婦」が慰安婦になりたがらなかった。日本政府は、「女性事務員、年齢19歳以上25歳まで。宿舎、衣服、食料支給」という看板をたて、素人の女性を募集した。

そうして集めた女性たちが、いままで、ほとんど性交を経験したことのない女性たちが「1日に相手にした米兵の数は、15人から60人であった。元タイピストで19歳の女性は、仕事をはじめるとすぐに自殺した。精神状態がおかしくなったり、逃亡した女性もいた」。

すざましい話である。

プロの売春婦は、日本軍が戦地で創った慰安所で、占領された国からの慰安婦がどのような扱いを受けるか、見聞きしていたから、アメリカ軍兵士の慰安婦になることを断ったのであろう。通常の売春婦であれば、一晩に2、3人を相手にすれば十分であるから、慰安婦は割に合わない。

同じ時期、セックスを扱った雑誌がいっぱい出版される。とても安っぽい紙に印刷されており、「カストリ雑誌」と呼ばれたという。この名前は、安い粗悪な酒「カストリ焼酎」からきている。「カストリ焼酎」は3合も飲めば必ず意識をうしなうことと、「カストリ雑誌」は3号以上続けて発行されることがないことをかけた言葉遊びからくる。

ジョン・ダワーは、なぜ「カストリ雑誌」が3号以上も続けて出せないのか、説明していないが、警察の取り締まりが厳しかったのだろうと私は思う。この厳しい取り締まりは、日本政府に指令よるものか、占領軍総司令部からくるものか、興味あるが、ジョン・ダワーは言及しない。私は、総司令部は日本語を読めないし、日本の庶民に関心はないし、日本政府が単に戦前の道徳規範を維持するために、取り締まったのだと思う。

いっぽう、性器や性交位を扱ったヴァン・デ・ベルデの『完全なる結婚』の完訳本は発禁処分を受けなかった。それどころか非常に売れたので、この手の本が日本の出版物の1つのジャンルとなった。

昔、私は、この本のことを話しには聞いたことがあったが、見たことも読んだこともないので、図書館に予約をしておいた。

思うに、『完全なる結婚』は、結婚した夫婦の行為ということで、大目に見られたのであろう。当時の日本政府には、結婚していない男女の性行為を禁じたいという思いがあったのだろう。が、慰安や売春が合法の世界で、文字表現で猥雑な気持ちを高めるもの(それは文学というのだが)を禁じるのは、日本政府も頭がオカシイと、私は思う。たとえ、慰安や売春がない社会でも、性行為の文学は認められるべきである。


戦後の食糧難、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』

2022-08-28 22:56:31 | 戦争を考える

ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』の第2部を読む。敗北によって生じた日本の混乱期が克明に描かれている。吉田茂が望んだように、日本の支配層は一部の軍人を人身御供として占領軍総司令部(GHQ)に差し出し、自分たちの安泰をはかった。支配されていた私たちの父母は、占領軍を「解放者(メシア)」のように思い、食糧難のなかを必死に生きた。

無条件降伏をしたのだから、日本の支配層を皆殺しにすればよかったと、私なんかは思う。しかし、占領軍は日本支配層によって牢に閉じこめられた政治犯を解放し、代わりに、アメリカとの戦争を導いた人たちを戦争犯罪人として逮捕したので、「解放者」と誤解したのであろう。

私自身は強烈な食糧難を体験していないが、私の5歳上の兄は、どの野生植物が食べられるのか、知っていて食べる。それだけでなく、あしながバチの巣をとって、幼虫と蜂蜜を食べるのである。それでも、私は、シイの実やくるみや銀杏の実をひろって食べ、学校給食では、アメリカの援助の小麦粉のコッペパンを食べ、スキムミルクを飲んだ世代である。

アメリカの余剰農産物が日本に食料援助としてきたのだ。ジョン・ダワーによると、これは無償の援助ではなく、あとで、日本はその代金を支払った。

食料難が生じた理由は、戦前の日本がもともと自給自足ができていなかったのもあるが、日本政府の権威の崩壊とともに、農家が、日本紙幣や配給制度を信用しなくなったからでもある。農家が政府の要請に応じなくなったのである。そのことを、子どもの私は親から幾度となく聞いているので、流通の混乱に本能的恐怖心をもっている。

戦後の混乱期、日本の食料の流通はヤクザなどが取り仕切ることになる。闇屋、闇市である。警察はヤクザとつるんでいるから、逮捕されるのは、末端の人間だけである。しかも、多くは闇屋から食料を買ったほうの人々である。敗戦によって、日本の支配層に裏の人間が新たに加わることで、日本の支配体制は維持されたのだ。

ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』に、「闇市で仕入れた食物を分けてくれなかったことに腹を立てた24歳の男が、自分の父を殺害する事件」が1946年4月に起きたと、書かれている。

これを読んで、私の父が戦地から戻らない間、母(嫁)が、祖父(義理の父)から食べ物が与えられず、自分で食べるものを確保しなければならなかったが、それは特別のことではなく、どの家にも起きうることだったのだと、了解した。

また、私の母から何度も聞かされた話は、判事が闇の食料を食べないと言い張り、餓死したという事件である。ジョン・ダワーの本書で、餓死した判事の名前といつかをはじめて知った。1947年10月に、34歳の判事、山口良忠が餓死した。

闇屋から食べ物を買った者が、法廷に連れてこられると有罪の判決を下すのが山口の仕事だった。しかし、自分の妻も闇屋から食べ物を買っていた。良心の苦しみから自分だけは闇屋から買ったものは食べないと妻に告げた。その結果、餓死したのである。

私の母はその話をしたとき、いつも、餓死した判事を罵倒した。政府が間違っているとき、法律が間違っているとき、それに従ってはいけないと私に言い渡した。

確かにそうであると私はいまも思っている。死ぬべきは天皇を含む日本の支配層である。ソクラテスの選択は間違っている。

この事件の2カ月後に私が生まれた。母が闇でサツマイモを売っていたのは、父が戦地から戻ってこない1年間だけでなく、1947年になっても闇屋をしていたのではないか、と、ジョン・ダワーの本書を読んでふと思った。戦地から戻ってすぐ父の商売が軌道に乗るはずがない。日本の経済混乱はもっと続いたはずである。


佐伯啓思の『社会秩序の崩壊と凶弾』は安倍晋三へのラブコール

2022-08-27 23:22:19 | 政治時評

佐伯啓思のきょうの朝日新聞異論のススメ『社会秩序の崩壊と凶弾』に何か不快なものを感じる。結局のところ、佐伯は「保守の精神」の優位性を自慢しているだけのように思える。彼は自己独自の言葉の定義に基づき、怪しげな論理を積み重ねているにすぎない。

佐伯の問題提起は、安倍晋三の殺害は「政治的テロ」ではないということである。彼はテロを「政治的目的をもって暴力的な恐怖を与える」と定義する。しかし、「政治的目的」とはなんであるか、私にはわからない。

佐伯は、この「奇妙なテロ」の不気味さは、「政治的意図を持たない私的な復讐心が、開かれた公共空間へ銃弾を撃ち込んだ点にある。交わるはずのない、私的な復習と政治的な公共空間が重なりあったのだ」と言う。

人間は私的な思いで行動するのが普通であると私は思うので、べつに奇妙と思わない。犯人からすれば、街頭演説のために安倍が公共空間に現れた瞬間しか、殺害のチャンスがなかったことにすぎない。

安倍は、政敵をつぎつぎと撃破したことで、奢りからくる油断があったのではないか。最初の銃撃のあと、致命傷となるつぎの銃撃のあいだに2.7秒があったという。自分が恨みをかっているという意識があれば、咄嗟に物陰に隠れるはずである。

安倍が死んだおかげで、日本の政治に統一教会が入り込んでいることが明らかになった。安倍が死んで良かったのではないか。

佐伯は、問題提起の後、突然、「リベラルな価値」を定義する。「リベラルな価値」とは、「民主主義」「言論の自由」「法の支配」「公私の区別」「権利の尊重」など、相互に連結した普遍的価値を総称したものであると言う。確かにそれらは関連があるが、相互に異質のものでもあり、連結したとまでは言えないと私は思う。「法の支配」や「公私の区別」がどうして「リベラルな価値」となるのだろう。「権利の尊重」とは何を言うのだろうか。

佐伯のいう「リベラルな価値」とは、もしかしたら、アメリカやイギリスで普遍的な価値と思われていると佐伯が思いこんでいるものをいうのかもしれない。

さらに佐伯は「今日、日本だけではなく世界的にも、あきらかに『リベラルな秩序』が崩壊しつつある」と言う。そして、「リベラルな秩序」は「リベラルな価値の普遍性によって担保されるのではなく、……、人びとが、『目に見えない価値』を頼りにして営む日常の生によって実現されていく」と言う。

それでは、「リベラルな秩序」とは何かという疑問が湧くが、「リベラルな価値」が実現される社会秩序のことかと推定される。佐伯の「リベラルな価値」の定義自体が、外的形式の羅列なので、そう、私が推定しただけである。

もしかしたら、アメリカやイギリスの社会のことを漠然と言っているのかもしれない。そうすると、「リベラルな秩序」が崩壊しつつあるとはどういうことなのだろうか。佐伯は妄想の世界にいるのではないか。

そして、佐伯は「『目に見えない価値』を醸成し維持するものは、人々の信頼関係、家族や地域のつながり、学校や医療、多様な組織、世代間の交流、身近なものへの配慮、死者への思い、ある種の権威に対する敬意、正義や公正の感覚、共有される道徳意識などであろう」と結論する。

佐伯はレベルの違う概念をまたもやズラズラと並べる。「ある種の権威に対する敬意」とは何を言いたいのだろうか。

佐伯は「『目に見えない価値』を重視するのは『保守の精神』なのである。それがなければ、リベラルな価値など単に絵にかいた餅に過ぎなくなるのであろう』と言う。

佐伯は論理が逆立ちしている。人間は幸せになりたいのである。そのために、どうしたら良いのだろうかということで、制度的なもの、政治的なもの、思想的なもの(価値観)が出てくるのだ。

殺害犯にとっては、自分が不幸であるのは統一教会の存在であり、それを日本に持ち込んだ岸信介の孫が統一教会の広告塔になっていれば、安倍を殺したくなるのは当然のことではないか。

つづいて、佐伯は安倍晋三を弁護している。

「この混沌たる世界にあって、安倍氏は、可能な限り日本の国力の向上を目指した。」「安倍氏とりわけ政治力や経済力に関して日本の国力を強化しようとしたし、着実に一定の成果をあげた。」「安倍氏は、もともと日本社会の土台となる慣習や道徳価値の再生を強く意識していた。だが、グローバル世界への積極的適応がむしろ逆にその崩壊に手を貸すことにもなった。」

なんだ、佐伯は、殺害された安倍晋三へのラブコールのために、この逆立ちした論理をのべているわけだ。

私的な恨みで安倍を殺害することは何も不思議なことではない。今の世の中で勝ち誇っているものは、豪華な私生活を見せびらかさないよう、もう少し慎重であったほうが良い。