一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「亡国のイージス」と「ローレライ」

2006-01-09 | キネマ
年末年始シリーズ第7弾、今回が最後です。

一言で言えば「亡国のイージス」は設定やストーリーは面白いが映画としての完成度は?「ローレライ」はエンタテインメントとしてみればよくできた映画、でした。

※ 以下ネタバレ注意です。

「亡国のイージス」は、イージス艦という最新鋭の防空能力(一定範囲内の攻撃能力と言ったほうがいいか)を持つ艦船を配備しても、守るべき国家がこれでいいのか(まあ、そこまで言わなくても)しっかりした交戦規定がなくて本当に「防衛」ができるのかという問いかけがベースにあります。

そこを中井貴一扮する北朝鮮の工作員に「日本人、これが戦争だ!」とつかれてしまうわけです。

それに対して真田広之扮する先任伍長(ノンキャリの現場責任者ですね)と内閣府の特殊工作員(僕の知らない若い役者)が反発しあいながらも艦を救うという話です。

多分原作の小説はとても面白いのではないかと思うのですが、いかんせん映画の限られた時間(90分とスタンダードな長さなのは、製作時には不安があったのでしょう)のなかではそれぞれのキャラクターの造形が不十分に感じました。
結果的に問題提起の作品としては問題の提示が不十分で、アクション映画としても物足りない、という残念な感じがしました。

中井貴一の工作員も状況が悪化したらとっととミサイルを発射してしまうべきだと思いますし、その他の工作員も最後はあっけなく自殺してしまいます(責任者の死はどうやって確認したのか、また、その場合に次順位の者が任務を代行するのではないのか?)「子R手が戦争なんかい?」とツッコミたくなりました。

また、日本の工作員も「向こう気は強そうだけど基本は紅顔の美少年」という感じの俳優で、今ひとつ「冷酷な工作員」という感じがしません。
彼は、反乱に荷担したが改心しかけた自衛官を問答無用で射殺したときに真田広之から「撃つ前に考えろ」と言われ、肝心な中井貴一と遭遇したときに躊躇して撃たれてしまうわけですが、そこのとろの心境の変化が良く分かりませんでした(それに、相手の親玉なら躊躇せずに撃つべきなんでは?)
撃たれた彼が真田広之に「撃つ前に考えた」と言った時に、真田広之は「馬鹿、考える前に考えるんだ」という場面があるのですが、これは単なる叱咤なのかそれとも「交戦規定をきちんと作ってそれを実行しないと意味がない」という比喩なのか、ちょいと考えてしまいました。

2時間くらいかけた作品だともうちょっと良くなったのではと思います。


次に「ローレライ」を観たのですが、これは「亡国のイージス」の成功で資金がついたこともあり、作者が監督の勧めにより、映画のために書き下ろした作品だそうです。

なので、エンターテインメントとしては良くできています。
ただ、設定としては(秘密兵器「ローレライ」は別にしても)無理がある部分(そもそも訓練もなくいきなりドイツ製の船に乗って簡単に繰艦できるのか、とか、じゃあ、そもそも日本まで運んできた乗組員はどこにいったんだとか、潜水艦の回転式砲塔ってどこで気密をしてるんだとか、和平工作といいながらそんな簡単に米軍が軍事機密を漏らすのかとか)が多々みられますが、主役の役所広司はじめ、芸達者の俳優が揃っているので最後まで飽きずに観ることができます。

ただ、教訓、とか、考えさせられる部分は「亡国のイージス」よりも少ないです。


PS 邦画に出てくる外人の役者って、どうして皆下手(インチキくさく見えてしまう)なんでしょうか(ギャラのせい?日本で調達するせい?)















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