昨日のエントリの続きで金融と商売の違いの話
(「商売」はいいのですが「金融」の方の言葉が個人的にもしっくり来ないのですが、いい言葉を思いつかないし、そもそもが学問的な話ではない単なる床屋談義なのでそのまま続けます。)
金融はリスクとリターンが一定程度計量化でき、損切りなどリスクを低減する戦術も立てやすいのに対し、商売は投資が失敗すると無に帰す可能性がある一方でマーケット予測はあてにならない(新製品について「今日の株価」が出ているわけではないですしね)というハイリスク・ハイリターンなものです。
(「セーラームーンがイギリスでヒットするなんて誰も思ってませんでしたから」とは昔聞いたバンダイの人言葉)
つまり商売は、利幅が相当厚くないと割に合わない、逆に言えばうまくやるととても儲かる=やり方の巧拙で結果に大きな差が出る、というものなわけです。
よく市場は「生き物」といわれますが、市場(金融)の世界では生き物の呼吸を見極めて素早く動くことが大事(「生き馬の目を抜く」)だとすれば、商売は「生もの」で、いかにうまく料理するかが大事、ということでしょう。
マーケットがきちんと機能して、正常な競争がなされている限り、金融機関はうまくいっている事業会社ほどは儲からないのが普通で、ここ数年「銀行ばかりが儲かって(けしからん)」という話は単に競争(それは銀行間だけでなく直接金融と間接金融の競争も含め)が十分機能していないのが一因でしょうし、不景気下でも銀行より利益を上げていた企業は沢山あります。
なので欧米系の投資銀行などは、より高収益をあげようと不良債権ビジネスなんかに突っ込むわけです。
不良債権を買うのは(何回もやっていると相場が形成されるので)金融の世界に近いかもしれませんが、不良債権を換金するのは、やり方の巧拙によって結果に差が出る商売の世界ですから。
このように金融の世界と商売の世界の流儀はちょっと違うので、それを混同するとえてしてうまくいかないことが多いです。
その一つが村上ファンド。
当初は内部留保が大きい会社の時価純資産額と株価を比較して割安な会社に投資し、大株主として会社経営の非効率性を指摘し増配や資産売却を促す、というスタイルだったわけです。
これは「現金がジャブジャブなんだから配当しろ」と株主としての権利を主張すればいいので比較的簡単に株価が上がります。
村上ファンドは初期の成功でお金が集まる一方で、この戦略は(金融の世界なので)他の投資家に簡単に真似されますので、だんだんおいしい投資先がなくなってきます。
そこで阪神電鉄に目をつけました。
沿線不動産+阪神タイガースの価値から言えば割安だ、という判断ですが、東京スタイルに内部留保を吐き出せというのとはわけが違い、梅田駅前の土地や阪神タイガースは会社を清算するのでもない限りすぐに売り払うわけにはいきません。
じゃあ村上氏とその仲間がしばらく鉄道会社をうまく経営しながら含み益を穏便に顕在化させようとすると、これは商売の世界になってしまいます。
もともと経営陣がやる気がないとか明らかな非効率があるという理由で経営がうまくいっていないならさておき、そこそこうまくいっている会社をより儲けさせることは常識的に考えてもかなり難しいです。
逆にいえば、株価が保有不動産を時価評価した場合に割安なのではなく、そういう評価軸が間違っていたわけです。
日本の企業経営は不合理だ、とか株主のガバナンスが不在という発言が「金融の世界のロジックで商売の世界が割り切れないから不合理だ」という意味であれば、もともとそういうものだった、としか答えようがなかったのではないでしょうか。
また王子製紙の北越製紙へのTOBについても金融と商売の混同が見られるように思います。
印刷業界の人の話では、もともと北越製紙は箱に使われるコート紙の技術力には定評があり、それを王子製紙は欲しがったようです。
また、北越製紙はかつては長岡市と公害問題(製紙会社は大量の工場廃水を流すので海岸にあるのが普通なのに、下流とはいえ信濃川に放流している)などで地元ともめていて結局市としても北越製紙を追い出さずに共存共栄を選んだという歴史があるそうです(個人株主も北越製紙従業員や長岡市民が多いとか)。
そういうなかで王子製紙が北越製紙を買収して効果を上げるには、2つの選択肢があります。
一つは優秀な経営者はいくらでも自社内にいるし、地元との関係が当初悪化しても金をつぎ込んで修復して採算に載せることができると言う場合。
このケースはとにかくTOBを成功させることを優先すればいいわけです。
もう一つは今の北越製紙の経営陣や地元との関係を含めた一体として北越製紙を評価している(=自分よりうまくやっている)場合。
この場合は相手の機嫌を損ねずに提携・合併交渉を進める必要があります。
王子製紙の社長がTOBの敗北宣言の中で、欧米流のM&Aの手法と日本流の手法のどちらにも徹し切れなかった、というような発言をしていたと思いますが、手法の誤りの前に、北越製紙を買収したあとどのように収益をあげていくかという「商売」としての目算が不十分だったところが戦術の中途半端さにつながったような感じがします。
上の前者のケースなら、要は機械設備と製造技術と工員がいればいいわけですから、TOB価格を上積みしても勝負をかけるべきですし、後者だとしたら、そもそもTOBという手法自体が不適当です。
商売の次元での目算が十分でないのに、金融の世界のM&A手法(=要するに株の買い集め方)を学んで、なんとなくうまくいくと勘違いしてしまった、と言ったら言い過ぎでしょうか。
とりとめのない話になってしまってますが、要するに企業経営の世界にも、ファイナンスのような金融の世界(=お金という交換可能なもの同士の空中戦)の部分と、どうやって稼ぐかという商売(=生もの)の部分があって、それぞれにあてはめる物差しや道具立てを間違うとうまくいかない(とんでもない失敗をすることになる)ということが言いたかったわけです。
もともとは貸金業の上限金利の話をするはずだったのが、横道にそれたままになってますね。
どうなることやら・・・
(「商売」はいいのですが「金融」の方の言葉が個人的にもしっくり来ないのですが、いい言葉を思いつかないし、そもそもが学問的な話ではない単なる床屋談義なのでそのまま続けます。)
金融はリスクとリターンが一定程度計量化でき、損切りなどリスクを低減する戦術も立てやすいのに対し、商売は投資が失敗すると無に帰す可能性がある一方でマーケット予測はあてにならない(新製品について「今日の株価」が出ているわけではないですしね)というハイリスク・ハイリターンなものです。
(「セーラームーンがイギリスでヒットするなんて誰も思ってませんでしたから」とは昔聞いたバンダイの人言葉)
つまり商売は、利幅が相当厚くないと割に合わない、逆に言えばうまくやるととても儲かる=やり方の巧拙で結果に大きな差が出る、というものなわけです。
よく市場は「生き物」といわれますが、市場(金融)の世界では生き物の呼吸を見極めて素早く動くことが大事(「生き馬の目を抜く」)だとすれば、商売は「生もの」で、いかにうまく料理するかが大事、ということでしょう。
マーケットがきちんと機能して、正常な競争がなされている限り、金融機関はうまくいっている事業会社ほどは儲からないのが普通で、ここ数年「銀行ばかりが儲かって(けしからん)」という話は単に競争(それは銀行間だけでなく直接金融と間接金融の競争も含め)が十分機能していないのが一因でしょうし、不景気下でも銀行より利益を上げていた企業は沢山あります。
なので欧米系の投資銀行などは、より高収益をあげようと不良債権ビジネスなんかに突っ込むわけです。
不良債権を買うのは(何回もやっていると相場が形成されるので)金融の世界に近いかもしれませんが、不良債権を換金するのは、やり方の巧拙によって結果に差が出る商売の世界ですから。
このように金融の世界と商売の世界の流儀はちょっと違うので、それを混同するとえてしてうまくいかないことが多いです。
その一つが村上ファンド。
当初は内部留保が大きい会社の時価純資産額と株価を比較して割安な会社に投資し、大株主として会社経営の非効率性を指摘し増配や資産売却を促す、というスタイルだったわけです。
これは「現金がジャブジャブなんだから配当しろ」と株主としての権利を主張すればいいので比較的簡単に株価が上がります。
村上ファンドは初期の成功でお金が集まる一方で、この戦略は(金融の世界なので)他の投資家に簡単に真似されますので、だんだんおいしい投資先がなくなってきます。
そこで阪神電鉄に目をつけました。
沿線不動産+阪神タイガースの価値から言えば割安だ、という判断ですが、東京スタイルに内部留保を吐き出せというのとはわけが違い、梅田駅前の土地や阪神タイガースは会社を清算するのでもない限りすぐに売り払うわけにはいきません。
じゃあ村上氏とその仲間がしばらく鉄道会社をうまく経営しながら含み益を穏便に顕在化させようとすると、これは商売の世界になってしまいます。
もともと経営陣がやる気がないとか明らかな非効率があるという理由で経営がうまくいっていないならさておき、そこそこうまくいっている会社をより儲けさせることは常識的に考えてもかなり難しいです。
逆にいえば、株価が保有不動産を時価評価した場合に割安なのではなく、そういう評価軸が間違っていたわけです。
日本の企業経営は不合理だ、とか株主のガバナンスが不在という発言が「金融の世界のロジックで商売の世界が割り切れないから不合理だ」という意味であれば、もともとそういうものだった、としか答えようがなかったのではないでしょうか。
また王子製紙の北越製紙へのTOBについても金融と商売の混同が見られるように思います。
印刷業界の人の話では、もともと北越製紙は箱に使われるコート紙の技術力には定評があり、それを王子製紙は欲しがったようです。
また、北越製紙はかつては長岡市と公害問題(製紙会社は大量の工場廃水を流すので海岸にあるのが普通なのに、下流とはいえ信濃川に放流している)などで地元ともめていて結局市としても北越製紙を追い出さずに共存共栄を選んだという歴史があるそうです(個人株主も北越製紙従業員や長岡市民が多いとか)。
そういうなかで王子製紙が北越製紙を買収して効果を上げるには、2つの選択肢があります。
一つは優秀な経営者はいくらでも自社内にいるし、地元との関係が当初悪化しても金をつぎ込んで修復して採算に載せることができると言う場合。
このケースはとにかくTOBを成功させることを優先すればいいわけです。
もう一つは今の北越製紙の経営陣や地元との関係を含めた一体として北越製紙を評価している(=自分よりうまくやっている)場合。
この場合は相手の機嫌を損ねずに提携・合併交渉を進める必要があります。
王子製紙の社長がTOBの敗北宣言の中で、欧米流のM&Aの手法と日本流の手法のどちらにも徹し切れなかった、というような発言をしていたと思いますが、手法の誤りの前に、北越製紙を買収したあとどのように収益をあげていくかという「商売」としての目算が不十分だったところが戦術の中途半端さにつながったような感じがします。
上の前者のケースなら、要は機械設備と製造技術と工員がいればいいわけですから、TOB価格を上積みしても勝負をかけるべきですし、後者だとしたら、そもそもTOBという手法自体が不適当です。
商売の次元での目算が十分でないのに、金融の世界のM&A手法(=要するに株の買い集め方)を学んで、なんとなくうまくいくと勘違いしてしまった、と言ったら言い過ぎでしょうか。
とりとめのない話になってしまってますが、要するに企業経営の世界にも、ファイナンスのような金融の世界(=お金という交換可能なもの同士の空中戦)の部分と、どうやって稼ぐかという商売(=生もの)の部分があって、それぞれにあてはめる物差しや道具立てを間違うとうまくいかない(とんでもない失敗をすることになる)ということが言いたかったわけです。
もともとは貸金業の上限金利の話をするはずだったのが、横道にそれたままになってますね。
どうなることやら・・・