一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

放送倫理・番組向上機構(BPO)のバラエティー番組に関する意見書

2009-11-18 | よしなしごと

「イジメ、バカ騒ぎは視聴者不快」民放連に意見書
(2009年11月17日(火)19:17 読売新聞)

バラエティー番組の下品な表現への苦情が相次いだのを受け、放送倫理・番組向上機構(BPO)は17日、日本民間放送連盟(民放連)に番組制作の指針作りなどを求める意見書を送った。  意見書では、BPOに寄せられた26件の苦情を、「イジメや差別」「内輪話や仲間内でのバカ騒ぎ」など5項目に分類し、「多くの視聴者が不快に感じている」と指摘している。

意見書はこちら

ただそもそも意見書としてバラエティーを対象にするか自体が矛盾を内包しているので、その議論を実際の審議と同じ階数だけ繰り返したそうです。

 現在放送されているバラエティー番組には、相当数の視聴者が不快感・嫌悪感を持ち、反発するような問題点があることは否定できない事実である。
 しかしながら、世間の規範から逸脱し、視聴者に不快感を与えたとされる番組に放送倫理基準を機械的にあてはめて結論を出せば、それで足りるというわけではない。そのような安易で機械的な倫理基準の適用による断罪を行えば、テレビ番組の中でももっともテレビらしいジャンルを窒息させ、これからの発展をも封じてしまうことになりかねないからである。

その結果

イラスト・口語多用…バラエティー番組にBPO意見書
(2009年11月17日(火)19:54 朝日新聞)

放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は17日、テレビのバラエティー番組について、性的表現や内輪話などが視聴者のテレビ離れを招いていると指摘し、番組づくりの見直しを求める意見書を日本民間放送連盟に通知した。「さァ、イッてみようっ」「これはレッドカード、即退場」など、くだけた口語を多用する異色の文体で、制作現場の若手に共感してもらえるよう工夫した。

意見書の「緒言 本意見書のスタイルについて」によると

そこで委員会は、バラエティーの諸問題を検討するに当たり、これまでの意見書のフォーマットや文体を捨て、全く新しいスタイルによってこの問題を論じてみることにした。バラエティー問題を適切に扱うためには意見書のバラエティー化を図ってみるしかない、と考えたのである。

ということですが、この部分は余り成功しているようには思えません。
業界のひとには分かるのかもしれませんが、途中に出てくるたとえ話などいまひとつよくわからず、また硬軟の文体が混ざっているので「バラエティー化」の部分が浮いてしまっていて、中途半端な照れ隠しのような印象を受けました。

結局、きちんと書いたところが一番伝わります。
ただそれも、「表現の自由」との関係を意識して、慎重な言い回しを繰り返しています。

私たちは、バラエティーが萎縮することを望まない。そういうことは絶対に避けなければいけないと考えている。

それゆえに私たちは、表現への規制それ自体を笑いの対象とするような特性を持った表現形態に対しては、放送倫理の解釈に当たっての弾力的な取扱が不可欠である、と考える。


バラエティー制作者には「何をやってもいいし何でもあり」の心意気を失わないでいただきたい、と私たちは思う。
 ただ、何をやるにせよ、言葉は悪いが、「確信犯」であってほしい。絶対これをやりたいという欲求、やりぬくんだという覚悟、これをやらなければしかめっ面をひっくり返せない、表現したいことが表現できない、だからやるんだという確信。私たちは、番組からそういう制作者としての内的必然性が伝わってくるバラエティーを見たいと思う。

ところが、いわば「当て逃げ」のような粗雑なネタ、その場の「軽いノリ」の悪ふざけを寄せ集めて作ったバラエティーがいささか目立つのではないだろうか。

最後の二行を言うためにかなり回り道をしています。

昔のバラエティーはよかった、などということではない。

などと反発を先回りしてみたり。

でも昔の「バラエティーも粗雑だったけど」というようなことは言ってません。この意見書に言う「昔」というのは、けっこうな昔(テレビの「黄金期」)をイメージしているのかもしれません。
この部分などは「8時だよ!全員集合」の時代をイメージしているような感じです。

バラエティーは、直接的には視聴者に向かって語ったり、演じたりしながら、間接的にはそのうしろにある世の中の仕組みと、そこに付随するもろもろの権威や通念を揶揄し、笑い飛ばし、おちょくっていた。

当然、おちょくられた側からは「子どもに悪影響を与える」「公序良俗に反する」等々の反発もあった。反発もコミュニケーションの一種であるから、当時のバラエティーは、こうして視聴者ばかりか世の中とも渡り合う二重三重のコミュニケーションの上に成り立っていたと言うことが出来る。


しかし、意見書という位置づけからは言及がされなかったのでしょうが、今や自らが「権威」になってしまったテレビ業界が、上の定義にふさわしいバラエティーをどうやったら作ることが出来るのか、そしてその権威に胡坐をかいているところが視聴者にも透けて見えることからくる批判をどう受け止めるか、という部分に一番の問題があるように思います。

特に「権威」にはご多聞にもれず「利権」が伴っているので、なかなか改めるのは難しいと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする