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書面化へのこだわり

2007-04-26 | 法律・裁判・弁護士

裁判員時代の公判調書、自動化なるか 方言認識など課題
(2007年4月25日(水)12:56 朝日新聞)

裁判員制度のもとで、証人や被告が法廷で話した内容を翌日には裁判員たちが確認できるよう、最高裁は審理中のやりとりを機械で文字化する「音声認識システム」の実用化を進めている。2年後の制度開始までに全地裁での導入を目指すが、言葉の認識率をどう高めるかがカギ。全国一律のシステムのため各地の方言、独特の言い回しへの対応が困難という課題も浮上している。

朝日新聞は裁判員制度に関心が強いようで、折に触れて取り上げていますね。


裁判官は証人尋問を何回もやっていると、「この証人はウソついてるな」となんとなくわかるそうです。
それが本当だとすると、利害関係のない第三者の証人がなんと言ったかを確認するためにはこういう仕組みがあればいいのでしょうが、証言の信憑性を判断するにはやはり全体的な印象というのも大事なのではないかと思います。

だとすると、裁判記録としての位置づけではなく裁判員の判断の補助のためには、ビデオにとっておく、というのが一番手っ取り早いと思うのですが、ビデオでは何か問題があるのでしょうか。

感情的な証言に影響を受ける恐れがあるとするなら、そもそも証人尋問に立ち会うことも問題、ということになりますよね。
とすると、もっぱら頭出しに時間がかかるとかが問題なんでしょうか?

少なくとも上の音声認識システムと併用すると効果は大きいように思います。

裁判記録としてまとめたり、判決を書くには調書にすることは必要でしょうし、書記官の負担軽減にも役立つと思うのですが、裁判員の判断に資するという意味では書面にこだわらなくてもいいのでは?

コメント
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