古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

これまでのまとめ。想定される歴史の流れ 1

2005年04月01日 00時08分55秒 | Weblog
 まだいろいろな問題が残りますが、いったんここまでのまとめをします。
大体の事実の流れとしては次のようになります。
明石の豪族の命を受けて、スサノヲとその兄は明石・須磨から出発し、博多湾沿岸で奴国(卑弥呼と弟の国)を中心とした勢力と、半島・大陸との交易権をかけて戦います。しかし、スサノヲたちは上陸を果たしたもののコテンパンにやられます。兄も亡くなります。スサノヲは退却し関門海峡を通りますが、そこから明石・須磨には戻らず、宇佐に再上陸します。宇佐から西に山中行軍をし、卑弥呼たちが神聖な山とあがめていた山の山頂から奇襲をかけたのです。(須佐之男命が高天原で大暴れをして、神殿を荒らしたり田を壊したりした場面が想像されます。同時に『神武東征』も表わします)
卑弥呼(八俣の大蛇、同時に天照大神)や兵士たちが討たれ、筑後川の上流は血で染まります。
(天照大神が天の石屋戸に隠れる、とは最初の卑弥呼の死を表わします)
弟の登美毘古(那賀須泥毘古、難斗米、難升米)も亡くなります。
スサノヲは王位に就きますが、国はまとまりません。皆既日食の後、十三歳のトヨが卑弥呼となり、スサノヲが形式的に弟となることによってやっと国は治まります。(魏志倭人伝)
スサノヲたちは奴国を破壊しましたが、国を治めるノウハウを持っていなかったと見えます。
スサノヲは十四歳になった卑弥呼トヨと結ばれます。といっても、たぶん強引にでしょう。(光源氏・紫の上)
スサノヲは明石・須磨に戻ります。卑弥呼トヨが妊娠したことを知らずに。(源氏物語は逆になっています)(海彦・山彦)
スサノヲは明石の豪族の娘(磐之姫、弘徽殿の大后、明石の君)と、論功行賞でしょうか、婚姻します。
そこへ、臨月の卑弥呼トヨが宇佐からやって来ます。(稲羽の素兎、山彦、豊玉毘賣命)
卑弥呼が妊娠するということはあってはならないために、卑弥呼トヨと近臣たちは、どうしたらよいのか、迷ったあげく東へ、スサノヲのもとに行くことを選択したのでしょう。
しかし、明石の人々は卑弥呼トヨの受け入れを拒絶したはずです。スサノヲにも‘まさか’という思いがあったことでしょう。(邇邇芸命・木花之佐久夜毘賣・・一宿(ひとよ)にやはらめる。これは我が子にはあらじ。)
卑弥呼トヨは和田岬の粗末な小屋で、屈辱の出産をします。(といっても卑弥呼自身はそんなことを感じている余裕もなかったでしょう。きっと後世の人はそう考えただろうなということです。また、子を産むことによって強くなったかもしれません。でも十四歳じゃ、大変だったでしょう。)(豊玉毘賣命の波限建鵜草葺不合命の出産・神功皇后の安産の神社)
この後、卑弥呼トヨ一行は、出立を余儀なくされたはずです。(仁徳天皇大后磐之姫は意地悪をして、天皇の愛する黒日賣を徒歩で吉備に行かせます。これは、たぶんこの時のことです。ただし方向は吉備ではなく、大和・三輪山です。)
しかしこの時から日本列島は寒気を抜け、暖かくなっていったはずです。
 続く
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大和朝廷のもっとも恐れた怨... | トップ | これまでのまとめ。想定され... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事