古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

これまでのまとめ。想定される歴史の流れ 2

2005年04月01日 23時24分20秒 | Weblog
 卑弥呼一行は三輪山の麓を拠点に定めます。たぶん、北九州での最初の卑弥呼のいた所と風景が似通っていたのでしょう。その時点で、その地がどれほど開けていたのか、どれほどの人口がいたのか、すぐ地域に溶け込めたのか、なんてことはまるでわかりません。また卑弥呼一行がどれほどの人数で移動したのかということもわかりません。
 しかし、急激な温暖化と、卑弥呼一行のもたらした水田稲作農法は三年もあれば十分に豊かさを近隣にアピールできたでしょう。卑弥呼は太陽神で、暮らしも豊かにしてくれるとなれば、誰もが卑弥呼の元に行きたいと思ったことでしょう。国家運営のノウハウを知り尽くした人々もいたなら、即座に邪馬台国は形成されたはずです。
(5/1訂正・・纏向遺跡には農耕の後がないらしいです。とすると、纏向に落ち着いたのは何年か後ということになります。)

明石・須磨を拠点としていたスサノヲも和泉に移ります。そして、一緒にか、それとも後から追いかけたのか、磐之姫も和泉にまで移動します。
(古事記には大国主命の別名の一人、八千矛神が出雲から大和に上ろうとする話があります。これは出雲ではなく和泉なのです。出雲から大和では遠すぎます。同様に越の国の沼河比売の話も実際は、越の国ではないはずです。八千矛神は名前からもわかるように、武力を表わしていますから、スサノヲです。嫉妬深い嫡后(おおきさき)須勢理毘賣命は磐之姫を示しています。載せられている歌は叙情的で、ロマンチックで、美しく、夫婦は死んでからも仲が良いと描かれていますが、「嫉妬深い」という一言でこの「八千矛神の妻問い物語」(文庫p125)の表面上の意味は破壊されています。裏の意味を暗示しています。)
 
スサノヲと卑弥呼トヨは以前より強固に再び結びつきます。ただし夫婦としてではなく、姉と弟という政治体制の基にです。それほど武力を行使しないでも国家の範囲は広がったと思われます。(四道将軍というのがいたそうですが、二人の名前を出すだけで事は済んだのではないでしょうか。いいすぎかしら。戦いはやはりおきたでしょうから)
経済成長が著しかったというのは、中国に対する贈り物の変化で推測されます。
スサノヲは、たぶん、卑弥呼トヨを神だと信じだしていたはずです。(崇神天皇)
スサノヲは「魏志倭人伝」の‘一大率’になります。強力な統一国家に、その時は、なったはずです。しかしこの国家は、二人が元気なうちはいいのですが、どちらかが欠けた時点で崩壊する運命にありました。なぜなら、相続が不可能だったはずですから。二人の間に御子はいましたが、その御子に政治権力が移ることはありません。姉と弟で、しかも夫婦という条件に当てはまるのは、あったにしても一代限りです。そのうえ、大后がいて、彼女にも御子がいたならば内乱が起こることは明らかです。しかも、スサノヲは武力を(後には信心深く変わったかもしれませんが)、卑弥呼は戦争を嫌っているという正反対の異質な同士の結びつきでした。
私の想像では、戦争を嫌っていた卑弥呼は‘男女を逆にしろ’というお告げを出していたはずです。卑弥呼トヨを‘稲羽の素兎’と侮っていたスサノヲの兵士たちは、卑弥呼を‘大和の大蛇・八俣の大蛇’と、怖れ、恨みを抱きます。
 卑弥呼を恨んでいる、嫉妬深い磐之姫と、兵士たちは同一方向に並びます。

 卑弥呼三十九歳の時に、その疫病は始まったはずです。なぜなら紫の上は三十九歳の時に一度死んでいるからです。
 これは「魏志倭人伝」の卑弥呼は二度死んで、一度は生き返っていることになっていることを表わしていると同時に、この疫病の始まりも表わしているはずです。卑弥呼の霊力の衰えと考えられたでしょうから。
 
 卑弥呼トヨは248年に数えで十三歳のはずですから、236年生まれのはずです。とすると、疫病の開始は274年になります。そして277年まで三年間猛威を振るいます。(宇佐神宮の結界)
そして、次の年278年、磐之姫は卑弥呼を襲わせます。卑弥呼トヨ四十三歳(紫の上が四十三歳で亡くなっているからです。)は、仲秋の名月の夜、大勢の人ともに炎に包まれます。卑弥呼トヨ自身は一酸化炭素中毒で亡くなります。
卑弥呼を蘇らさないために、大市(大蛇)の墓こと、箸(愛)墓が造られます。この墓の情報は、中国の三国志(「魏志倭人伝」も含む)の編者(著者?)陳寿の耳に届きます。
情報不足の陳寿のとんでもない勘違いのために、「魏志倭人伝」は間違いだらけとなり、卑弥呼復活の預言書となってしまいます。
中国に届いた情報は、奇跡的な情報となって、日本に跳ね返ってきます。
卑弥呼を殺して権力を握った磐之姫陣営は‘卑弥呼復活を告げる魏志倭人伝’に恐れおののきます。日本は百年以上中国に使者を送ることができませんでした。謎の四世紀の理由です。
スサノヲ(光源氏)は、いつだったのかはわかりませんが、すでに大和から逃亡して雲隠れしています。
そして、卑弥呼トヨとスサノヲの間の御子(年齢的に孫がいてもおかしくはありません。孫だったのかもしれません)も出雲に追放されます。
                   続く
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