さて、最初の設問に戻ります。紫の上は、本当に「火と石の呪縛」で亡くなったのでしょうか。
≪衰運の萌しは既にあったが、それが現実となったのは、紫上発病(源氏47歳)とその死(源氏51歳)である。
紫上死没は旧八月十四日。葬式は十五日である。八月は酉月で金気正位。さらにその十五日は真正の金気の正位である。紫上の死は金気そのものと見做される。≫ 易・五行と源氏の世界・・吉野裕子・・p75
「石」はもちろん「金気」に配当されます。私はこれを石・金気・すなわち磐之姫によって卑弥呼トヨが殺されたことを示していると考えました。そして実際にその日は、仲秋の名月にあたっています。
たまたま、卑弥呼トヨの殺された日が陰陽五行の真正の金気正位に一致したと考えます。そしてこれが陰陽五行は実際の現象をよく説明できる、科学的な学問だと評価されることにつながるのでしょう。(その他にもたくさんそのような例はあったことでしょう。また、陰陽五行とか陰陽道とかを説明しなければならないのでしょうが、よくわかっていませんから無理です。ともかく紫上の亡くなった日が‘木・火・土・金・水’の金にあたる日だったということです。)
ただ吉野氏は光源氏や紫の上や明石の上に、実在した人物が投影されているとは考えてもいません。源氏物語がフィクションでありながら、リアリティを持っているのは、五行生成順に則して書かれているからだと、考えられているようです。
≪『源氏物語』は単に興味本位の小説ではない。彼女(紫式部)の意図は深く広大な現世の描出にあったが、しかもここに語られる世界は彼女の心によって捉えられたもので、真実ではあっても事実ではない、という哲学の所産である。≫ 同p63
吉野氏は紫式部の意図が(深く広大な現世の描出にあった)とされますが、そんなことに当時、何か意味があるのでしょうか。人々の娯楽のために書かれたものではない、と吉野氏は主張されるのでしょうが、(現世の描出)に誰がどれほど価値を見出すのでしょうか。当時貴重品であった紙を、膨大に消費させて、個人的な紫式部の達成感、開放感のために藤原道長が協力するわけがありません。・・・話がずれそうなので元に戻します。
金気という、まさに石を表わす日に紫の上は亡くなりました。
さて次は、火の問題です。
≪・・死期を悟った紫上は、幼くして引き取られたその故郷とも言うべき二条院に戻り、ここで一生を終える。
二条院の「二」は「火」である。作者は読者に対して、「火」としての紫上の念押しをくり返し行っているが、その意図は、六条院の本質の確認にある。・・≫ 同p94
ここで吉野氏は「紫の上」自身が「火」であるといっています。「火」で殺されたとは述べておられません。しかし、二条院の「二」が火を意味するならば紫の上は二条院に戻ったとき、火に包まれたことになります。
私の説では、紫の上は卑弥呼を投影していますから、紫の上は「日」になります。(卑弥呼は実際には日御子とか、日巫女とか表現されるべきでした。)しかし古代においては、「日」と「火」の発音は、違っていたとされているようです。すると紫の上が「火」であるというのはおかしいことになります。
しかし、紫の上が「日」であり、「火」であったとしても、「火」によって殺されるという私の説は、影響を受けません。
(「日」と「卑」の発音は同じだったのでしょうか?同じでないと変ですが。現在では中国語では違っていますが。)
なぜなら紫の上は何重にも火攻めにあっています。
前にも書いたように、第一に明石の君です。「明石」は「赤猪」ですから、大穴牟遅命(卑弥呼)を殺した「真っ赤に焼けた大きな石」のことです。
第二に、朱雀院の内親王・女三の宮の降嫁です。朱雀院の母は弘徽殿の大后で、光源氏には異母兄にあたります。朱雀は四神相応図では方位としては南を指し、色は赤で、火を表わします。(青龍・白虎・朱雀・玄武)
第三に、明石の君の姫君です。姫君は赤猪子になります。紫の上は姫君を養女に迎えますから、火を取り込んだことになります。(姫君は二重の意味を持ちます。実在した卑弥呼が育てていたのは卑弥呼の子供ではなく、磐之姫の子供だったことになります。すると怨霊・磐之姫は卑弥呼の子孫に祟ることはありえません。なぜなら天皇家の血統は自分の子孫になるわけですから。)
このように考えてくると、源氏物語の作者はなんとしても、紫の上に八月十五日に、火に囲まれて死んでもらわなければなりません。
素人考えでは、女三ノ宮が光源氏に降嫁するのは物語の筋では無理があります。しかし源氏物語の作者はここをどうしても乗り越えなければならないため、言葉を尽くして理屈を並べます。源氏物語では展開の難しい所では饒舌になるようです。しかし紫の上や、明石の君[御方]のいる四十男の六条院[光源氏]に三ノ宮が降嫁すれば、波風が立つどころでは済まないのは当たり前です。まさか朱雀院が光源氏と紫の上の関係を知らなかったとは思えません。
しかし、源氏物語の作者は無理を承知で、紫の上を八月十五日・金気の正位の日に火に包まれて殺します。そうしなければ紫の上は最後の卑弥呼・トヨにならないからです。
光源氏五十一歳のとき、紫の上は四十三歳で亡くなります。ですから卑弥呼トヨも同じ年齢・四十三歳で殺されたはずです。当然須佐之男命はそのとき五十一歳だったことになります。
紫の上は一晩中祈祷などさまざまなことを施されますが、甲斐もなく亡くなります。
「かく、なに事も、まだ變わらぬ気色ながら、限りのさまは、しるかりけるこそ」
これは光源氏の言葉です。(何事も生前と変わらないのに、最後だということははっきりわかります)
『(紫上は)御ぐしの、ただ、うちやられ給える程、・・・・火のいと赤きに、(顔の)御色は、いと白く、光ようにて、・・・・・・更なりや』
(紫の上の髪はただ枕元にうちやられていて艶々と美しい。灯火がたいへん赤く明るくて、顔色は白いように輝いている・・・・ますます美しく見える)
私にはこのあたりは意味深に思えます。卑弥呼トヨは火災で死んだはずです。しかし遺体に損傷がなかったはずだと、私が推理したのはこのあたりの文章ためです。火のせいで死にながら、表面上の遺体に損傷がなかったとしたら、一酸化炭素中毒以外考えられません。
しかも一酸化炭素中毒の症状で、嘔吐、失禁、頭痛があるそうです。嘔吐、失禁は症状の出る人と出ない人がいるようです。
なお、紫の上の死の床での顔色は‘白い’となっています。しかしこれは、火が顔色以上に赤いせいで顔色は白く見えたのでしょう。
紫の上は‘火と石の呪縛’で亡くなったことは証明されました。
≪衰運の萌しは既にあったが、それが現実となったのは、紫上発病(源氏47歳)とその死(源氏51歳)である。
紫上死没は旧八月十四日。葬式は十五日である。八月は酉月で金気正位。さらにその十五日は真正の金気の正位である。紫上の死は金気そのものと見做される。≫ 易・五行と源氏の世界・・吉野裕子・・p75
「石」はもちろん「金気」に配当されます。私はこれを石・金気・すなわち磐之姫によって卑弥呼トヨが殺されたことを示していると考えました。そして実際にその日は、仲秋の名月にあたっています。
たまたま、卑弥呼トヨの殺された日が陰陽五行の真正の金気正位に一致したと考えます。そしてこれが陰陽五行は実際の現象をよく説明できる、科学的な学問だと評価されることにつながるのでしょう。(その他にもたくさんそのような例はあったことでしょう。また、陰陽五行とか陰陽道とかを説明しなければならないのでしょうが、よくわかっていませんから無理です。ともかく紫上の亡くなった日が‘木・火・土・金・水’の金にあたる日だったということです。)
ただ吉野氏は光源氏や紫の上や明石の上に、実在した人物が投影されているとは考えてもいません。源氏物語がフィクションでありながら、リアリティを持っているのは、五行生成順に則して書かれているからだと、考えられているようです。
≪『源氏物語』は単に興味本位の小説ではない。彼女(紫式部)の意図は深く広大な現世の描出にあったが、しかもここに語られる世界は彼女の心によって捉えられたもので、真実ではあっても事実ではない、という哲学の所産である。≫ 同p63
吉野氏は紫式部の意図が(深く広大な現世の描出にあった)とされますが、そんなことに当時、何か意味があるのでしょうか。人々の娯楽のために書かれたものではない、と吉野氏は主張されるのでしょうが、(現世の描出)に誰がどれほど価値を見出すのでしょうか。当時貴重品であった紙を、膨大に消費させて、個人的な紫式部の達成感、開放感のために藤原道長が協力するわけがありません。・・・話がずれそうなので元に戻します。
金気という、まさに石を表わす日に紫の上は亡くなりました。
さて次は、火の問題です。
≪・・死期を悟った紫上は、幼くして引き取られたその故郷とも言うべき二条院に戻り、ここで一生を終える。
二条院の「二」は「火」である。作者は読者に対して、「火」としての紫上の念押しをくり返し行っているが、その意図は、六条院の本質の確認にある。・・≫ 同p94
ここで吉野氏は「紫の上」自身が「火」であるといっています。「火」で殺されたとは述べておられません。しかし、二条院の「二」が火を意味するならば紫の上は二条院に戻ったとき、火に包まれたことになります。
私の説では、紫の上は卑弥呼を投影していますから、紫の上は「日」になります。(卑弥呼は実際には日御子とか、日巫女とか表現されるべきでした。)しかし古代においては、「日」と「火」の発音は、違っていたとされているようです。すると紫の上が「火」であるというのはおかしいことになります。
しかし、紫の上が「日」であり、「火」であったとしても、「火」によって殺されるという私の説は、影響を受けません。
(「日」と「卑」の発音は同じだったのでしょうか?同じでないと変ですが。現在では中国語では違っていますが。)
なぜなら紫の上は何重にも火攻めにあっています。
前にも書いたように、第一に明石の君です。「明石」は「赤猪」ですから、大穴牟遅命(卑弥呼)を殺した「真っ赤に焼けた大きな石」のことです。
第二に、朱雀院の内親王・女三の宮の降嫁です。朱雀院の母は弘徽殿の大后で、光源氏には異母兄にあたります。朱雀は四神相応図では方位としては南を指し、色は赤で、火を表わします。(青龍・白虎・朱雀・玄武)
第三に、明石の君の姫君です。姫君は赤猪子になります。紫の上は姫君を養女に迎えますから、火を取り込んだことになります。(姫君は二重の意味を持ちます。実在した卑弥呼が育てていたのは卑弥呼の子供ではなく、磐之姫の子供だったことになります。すると怨霊・磐之姫は卑弥呼の子孫に祟ることはありえません。なぜなら天皇家の血統は自分の子孫になるわけですから。)
このように考えてくると、源氏物語の作者はなんとしても、紫の上に八月十五日に、火に囲まれて死んでもらわなければなりません。
素人考えでは、女三ノ宮が光源氏に降嫁するのは物語の筋では無理があります。しかし源氏物語の作者はここをどうしても乗り越えなければならないため、言葉を尽くして理屈を並べます。源氏物語では展開の難しい所では饒舌になるようです。しかし紫の上や、明石の君[御方]のいる四十男の六条院[光源氏]に三ノ宮が降嫁すれば、波風が立つどころでは済まないのは当たり前です。まさか朱雀院が光源氏と紫の上の関係を知らなかったとは思えません。
しかし、源氏物語の作者は無理を承知で、紫の上を八月十五日・金気の正位の日に火に包まれて殺します。そうしなければ紫の上は最後の卑弥呼・トヨにならないからです。
光源氏五十一歳のとき、紫の上は四十三歳で亡くなります。ですから卑弥呼トヨも同じ年齢・四十三歳で殺されたはずです。当然須佐之男命はそのとき五十一歳だったことになります。
紫の上は一晩中祈祷などさまざまなことを施されますが、甲斐もなく亡くなります。
「かく、なに事も、まだ變わらぬ気色ながら、限りのさまは、しるかりけるこそ」
これは光源氏の言葉です。(何事も生前と変わらないのに、最後だということははっきりわかります)
『(紫上は)御ぐしの、ただ、うちやられ給える程、・・・・火のいと赤きに、(顔の)御色は、いと白く、光ようにて、・・・・・・更なりや』
(紫の上の髪はただ枕元にうちやられていて艶々と美しい。灯火がたいへん赤く明るくて、顔色は白いように輝いている・・・・ますます美しく見える)
私にはこのあたりは意味深に思えます。卑弥呼トヨは火災で死んだはずです。しかし遺体に損傷がなかったはずだと、私が推理したのはこのあたりの文章ためです。火のせいで死にながら、表面上の遺体に損傷がなかったとしたら、一酸化炭素中毒以外考えられません。
しかも一酸化炭素中毒の症状で、嘔吐、失禁、頭痛があるそうです。嘔吐、失禁は症状の出る人と出ない人がいるようです。
なお、紫の上の死の床での顔色は‘白い’となっています。しかしこれは、火が顔色以上に赤いせいで顔色は白く見えたのでしょう。
紫の上は‘火と石の呪縛’で亡くなったことは証明されました。