焼津神社
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=345154&l=1381849
熱田神宮
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=350739&l=1365431
皇大神宮(伊勢神宮・内宮)
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342718&l=1364333
この三つはヤマトタケルの説話と関係の深い神社にあることはご承知だと思います。
ヤマトタケル(日本武尊)は東国征討にさいし、伊勢神宮に寄り、倭姫命(やまとひめのみこと)から草薙剣(草那芸剣・くさなぎのつるぎ)を授かります。(古事記では火打石も)
焼津でだまされて野に入り、放火されたときに、その剣で草を払い、火打石で迎え火をつくり逃れることができます。
ヤマトタケルは、東国征討の帰り、尾張の美夜受比売(みやずひめ)(日本書紀では宮簀媛・みやすひめ)の家に滞在し、草那芸剣(草薙剣・くさなぎのつるぎ)を置いて、武器を持たずに伊吹山の神を取りに行きます。
(現在、草薙剣は熱田神宮にあるそうです。ただし、尾張一宮は真清田神社になっています)
(細かい違いが古事記と日本書紀にありますが、気になる方は確認してください)
日本書紀(朝日新聞社本)巻七
http://www.j-texts.com/sheet/shoki.html
《景行天皇四〇年(庚戌一一〇)十月癸丑(二)》冬十月壬子朔癸丑。日本武尊発路之。
《景行天皇四〇年(庚戌一一〇)十月戊午(七)》戊午。抂道拝伊勢神宮。仍辞于倭姫命曰。今被天皇之命。而東征将誅諸叛者。故辞之。於是倭姫命取草薙剣。授日本武尊曰。慎之莫怠也。
《景行天皇四〇年(庚戌一一〇)是歳》是歳。日本武尊初至駿河。其処賊陽従之。欺曰。是野也糜鹿甚多。気如朝霧。足如茂林。臨而応狩。日本武尊信其言。入野中而覓獣。賊有殺王之情。〈 王謂日本武尊也。 〉放火焼其野。王知被欺。則以燧出火之。向焼而得免〈 一云。王所佩剣叢雲自抽之、薙攘王之傍草。因是得免。故号其剣曰草薙也。叢雲。此云茂羅玖毛。 〉王曰。殆被欺。則悉焚其賊衆而滅之。故号其処曰焼津。》
・・・・・
《日本武尊更還於尾張。即娶尾張氏之女宮簀媛。而淹留踰月。於是聞近江胆吹山有荒神。即解剣置於宮簀媛家。而徒行之。》
ともかく、伊勢神宮、焼津神社、熱田神宮はヤマトタケルの説話に関連します。
位置関係からすると、確かに関連がありそうな直角三角形になります。
熱田神宮→伊勢神宮・内宮
①192.634度 ②12.5302度 ③76.57589km
Ⅰ192°41′23.67″Ⅱ12°35′08.21″ Ⅲ76,457.245(m)
熱田神宮→焼津神社
①102.444度 ②283.249度 ③131.1929km
Ⅰ102°23′17.60″ Ⅱ283°11′38.59″ Ⅲ131,528.853(m)
伊勢神宮・内宮→焼津神社
①72.1207度 ②253.023度 ③152.1229km
Ⅰ72°11′42.52″Ⅱ253°05′53.41″ Ⅲ152,481.538(m)
熱田神宮での角度
192.634-102.444=90.19度
192°41′23.67″-102°23′17.60″=90°18′6.07″
伊勢神宮・内宮での角度
72.1207-12.5302=59.5905度
72°11′42.52-12°35′08.21″=59°46′34.31″≒59.74°
焼津神社での角度
283.249-253.023=30.226度
283°11′38.59″-253°05′53.41″=30°5′45.18″
ご覧のように、正三角形を真っ二つにした90度、60度、30度で辺の比が2:1:√3の直角三角形になります。
もういささか食傷気味の直角三角形ですが、意味としては、もちろん『魏志倭人伝』の邪馬台国の方位の直角の間違いに由来するものです。
そして、ここは伊勢→焼津→尾張・美夜受比売(みやずひめ)の邸という『草薙剣』の移動を表しています。
しかし、これも『魏志倭人伝』の繰り返しを示しているように思えます。
熱田神宮に存在するとされる『草薙剣』は、実は伊勢神宮・内宮に戻っているとしたならば、永遠に終わりのない繰り返しになります。
戻っていないとしても、その直前でストップさせている気がします。
源氏物語が中途半端で終わっているのも同じことだ、と考えています。
いつでも伊勢から始まるようになっているのではないでしょうか。
尾張で終わりではないはずです。
まるっきり私事の覚書
本日、近くのクリニックの紹介で、これまた近くの大病院にいきました。
待合室で掲示を見ると、その科は紹介された先生が一人で月曜日から土曜日まで 午前中診察しているようです。月曜は午後も診察しています。午後は火曜と金曜が手術日みたいです。土曜日は第一、第三のようです。
木曜日の午後だけ別の先生の名前が載っています。
手術もその先生がやられるのかどうかわかりませんが、大病院で、一人では大変な勤務だなぁ、と思います。
ところが、呼ばれて診察室に入って話を伺うと、その先生は今月いっぱいで辞めて7月から後任の先生がくるそうです。
ということで、他の病院を紹介しましょうか、それとも、次の先生の予約を取りましょうか、ということになりました。
結局、次の先生の予約を取りましたが、あの勤務日程じゃ辞めたくなってもしょうがありません。
そのせいで辞めるのかどうかわかりませんが、これからの日本の高齢者医療は大丈夫なんでしょうか。