古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

出雲大社と大分の宇佐・杵築

2019年02月24日 12時13分49秒 | Weblog
大己貴命(おおなむちのみこと)関連ということで氣多神社と出雲大社を結びます。
(出雲大社ー氣多神社)と同一距離になりそうなのが(出雲大社ー高千穂峰)です。
△出雲大社ー氣多神社ー高千穗峰 
出雲大社→氣多神社
 ①67°09′26.75″ ②249°43′36.17″ ③422,003.776(m)
出雲大社→高千穗峰
 ①203°17′20.44″ ②22°18′35.26″ ③422,957.346(m)
氣多神社→高千穗峰
 ①227°43′21.81″ ②44°15′42.03″ ③783,717.049(m)

出雲大社での角度
 203°17′20.44″ー67°09′26.75″=136°07′53.69″≒136.1316度
氣多神社での角度
 249°43′36.17″ー227°43′21.81″=22°00′14.36″≒22.0040度
高千穗峰での角度
 44°15′42.03″ー22°18′35.26″=21°57′06.77″≒21.9519度


出雲大社ー高千穂峰の測地線は、以前もよく見ていました。
線上には高千穂峡・くし触神社・諸塚山もあります。







このたび、面白いことに気づきました。
この線上には大分県杵築市もありました。
ご承知のように、出雲大社は杵築大社と呼ばれていました。
《古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」》 ウィキペディア  (きづきたいしゃ、きづきのおおやしろ)

この出雲大社あたりの「杵築」という地名と大分県の「杵築」には関連があるのでしょうか。
検索すると、同じ疑問を持った方がいました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1089235365
回答した方は
《宇佐神宮の地名とは、あまり関係ない感じがします。》ということでしたが、
《ただ、両社とも、四拍手を打つという点は同じですので、何か因縁めいたものがあるか、》
《ちなみに、四拍手を打つのは出雲大社,宇佐神宮,弥彦神社くらいです。》だそうです。

もちろん,私も大分県の杵築市が出雲大社ー高千穂峰の測地線上でなければ引っかからないところです。
さて、以前からやっているように,私の想像では、スサノヲの子を妊娠した卑弥呼・臺与(とよ)は宇佐からスサノヲのいる明石・須磨に向かいます。しかし、和田岬の掘っ立て小屋で子を産まざるをえませんでした。《鸕鷀草葺不合尊 (ウガヤフキアエズノミコト)》
《因幡の白兎のウサギとは宇佐・木で宇佐の神で,卑弥呼・臺与(とよ)のことです》

出雲大社→宇佐神宮
 ①210°21′01.10″ ②29°36′35.57″ ③240,560.874(m)
出雲大社→和田神社
 ①109°15′20.14″ ②290°41′02.65″ ③241,590.691(m)
出雲大社→元の和田神社の位置
 ①109°24′45.47″ ②290°50′12.97″ ③241,141.282(m)

出雲大社からの距離はほぼ同じです。
《杵築市(きつきし)は、大分県の北東部に位置する市。》ウィキペディア

豊前国・ウィキペディア
《7世紀末に、豊国(とよのくに、とよくに)を分割して、豊後国とともに設けられた。豊前は、平安時代まで和名で「とよくにのみちのくち」と読んだ。》

豊後国・ウィキペディア
《7世紀末に、豊国(とよのくに、とよくに)を分割して、豊前国とともに設けられた。豊後は、平安時代まで和名で「とよくにのみちのしり」と読んだ。》





さて、大分県の宇佐も杵築も同じ「豊国」だったことになります。
また、出雲大社には卑弥呼が祀られているはずですし、宇佐神宮も卑弥呼が祀られているはずです。
そうしますと、出雲大社は716年に現在地に移った、とされていて、熊野からという説もあるようでしたが、豊国・宇佐神宮・杵築から勧請・移動された,という可能性もありそうです。
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/d6a4c60f63dabee737dad3301e4698b9
716年に出雲大社は現在の位置に移る 2018年11月10日

その後、出雲大社を独自のものにするためには,他から勧請されたとするのは困ります。そこで、豊国を豊前・豊後に分割、宇佐と杵築を離したのではないか。《←とりあえず空想》

また、以前からやっているように
△出雲大社ー宇佐神宮ー熊野本宮大社・熊野速玉大社は直角三角形になります。
《その他 出雲大社→立磐神社、熊野速玉大社は同一距離
立磐神社は神武東征の出発地点、熊野速玉大社は上陸地点。》





出雲大社
北緯35度24分07.10秒 東経132度41分07.70秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=352407.10&l=1324107.70

高千穂峰
北緯31度53分10.63秒 東経130度55分08.29秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=315310.63&l=1305508.29

宇佐神宮(本殿)
北緯33度31分24.48秒 東経131度22分37.98秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=333124.48&l=1312237.98

和田神社
北緯34度39分29.21秒 東経135度10分25.56秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343929.21&l=1351025.56

元の和田神社の位置
北緯34度39分14.31秒 東経135度09分59.85秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343914.31&l=1350959.85

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