古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

大和朝廷のもっとも恐れた怨霊  源氏物語2

2005年03月30日 17時41分01秒 | Weblog
 須佐之男命は乱暴者で泣くのも豪快です。
伊邪那岐神(これも須佐之男命の一つの姿です)は伊邪那美神が死んだとき、「御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらば)ひ、御足方(みあとへ)に葡匐ひ哭きし時、・・・迦具土神の頸を斬りたまひき。」
また伊邪那岐大神が速須佐之男命に海原を治めよと命じた時、(しつこくいいます。納得しにくいかもしれませんが、同一人物が同じ場所、同じ時に、別々の人物で登場していても、大穴牟遅命と稲羽の素兎の例と同じで、「倭人伝」の伊声耆・掖邪狗の例から、構わないのです。)「・・・啼きいちさき。その泣く状(さま)は、青山は枯(から)山(やま)如(な)す泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾しき。・・・」
激しく泣くさまは豪快です。青々とした山が枯れ木の山になり、河も海も乾いてしまいます。
須佐之男命は実際に激しく泣いたことがあるのだと思います。それはやはり、卑弥呼トヨが火災で亡くなった時です。このとき須佐之男命は五十一歳にもなっていたはずです。それが卑弥呼トヨを失った喪失感で、人目をはばからず、激しく泣いたのです。そのほかの状況で須佐之男命が激しく泣いたということは考えられません。これは長い間、伝え続けられたのでしょう。

それに引き換え、光源氏は激しく泣くことはありません。乱暴者でもありません。
光源氏の泣き方は、感極まっても袖を濡らす程度の静かな泣き方です。紫の上が亡くなった時も、呆然となりますが、‘生前のままなのに、死相が現れてきたと、袖を顔に押し当てて泣く’程度です。
光源氏は最後に‘雲隠れ’します。須佐之男命の墓もはっきりしません。そこは同じです。また両方とも女性関係は盛んです。そこだけは逆にできませんでした。(八千矛神の例から想像できます)
ところで、最も肝心な問題です。須佐之男命が光源氏で、卑弥呼トヨが紫の上ならば、紫の上は火災で死ななければならないはずです。火災で、石に殺されなければならないはずです。もっと言うなら、明石の君に殺されなければおかしいはずです。ところが源氏物語ではそのようになっているとは、一見思えません。
 しかし、きちんと、紫の上は「火と石の呪縛」で亡くなっています。「そんな馬鹿な」とお思いでしょう。なぜなら、紫の上は、気分が悪くなった、といって横になったと思うと、あっけなく息を引き取ってしまいます。どこにも火も石も見えません。表面上の文章では、私の言っていることは無意味です。
 これも暗号といっていいのでしょう。そしてこれは既に証明されている方がいました。私が独力でこれを証明するのは無理です。ただこの方・吉野裕子氏・も、全ての人々、と同様に日本古代史がわからなくなった原因が「倭人伝」の運命的な間違いにあったということは、お解かりになっていません。
 光源氏・紫の上・明石の君のいきさつを説明した後で、紫の上が「火と石の呪縛」で亡くなっていることを説明した学説を紹介します。

源氏物語の悲劇は初めから予定されているのです。
 ご承知のように、光源氏と紫の上の間に御子はできませんでした。それに引き換えて光源氏と明石の上には姫君が誕生します。
このことを聞いたとき、紫の上は嫉妬で怒り、顔が赤くなります。【澪標】
しかし、結局紫の上は光源氏と明石の君の間に生まれた姫君を養女に迎えることにします。                  【松風・薄雲】
明石の君も姫君の幸せを願って養女に出すことを承知します。紫の上も姫君を手離した明石の君に同情します。
明石の君が不幸そうに見えるのはこの部分だけです。源氏物語の中で明石の君は最も幸運な女性とされています。
≪明石の君と光源氏の姫君は、光源氏にとって唯一の姫君です。後に入内し明石の中宮となり、国母と仰がれます≫ 吉野裕子氏の本より
≪世間では明石の御方はもとより、尼君(母親)の幸運を珍しいことと噂していた。近江の君などは、双六をうつときも「明石の尼君、明石の尼君」といって、良い賽の目の出るまじないにしていた。≫若菜・下 田辺聖子
  
 明石の君だけでなくその母親の尼君、また中宮となる源氏との間の姫君の御三方とも極めて幸運な方々になっています。
明石の君は分別ある穏やかな慎ましい人柄とされています。むしろ紫の上のほうが嫉妬深いようです。ところが引っ掛かる描写もあります。
「ほのかなるけはひ、伊勢の御息所によう似たり」
≪その秋の頃から源氏は明石の君の元に通うようになった。気高く心深い明石の様子はなんとなく六条御息所と似通っていて親しくなるほど近まさりする風情である。≫ 明石 ・ 田辺聖子

 あの生霊となった六条御息所と似ているというのです。源氏物語の作者は慎重に言葉を選びます。しかしどうしても秘密をほのめかしたいという欲望に抗しきれなかったのでしょうか。性格は逆になっていますが、明石の君は怨霊・磐之姫がモデルになっていることを打ち明けています。
 ともかく、源氏物語の作者は明石の君に、これ以上ないほど気を使っています。物語のうえで天皇家を継ぐのは、明石の君と弘徽殿の大后の子孫です。(系図を見ればわかります。)磐之姫の血筋は途絶えたにもかかわらず、物語の中では、結局は繁栄するようになっています。これは怨霊を慰め、鎮めようとする以外のなにものでもありません。
 そして、卑弥呼(紫の上)に子がいなかったのなら、祟りようがないのです。それは卑弥呼(紫の上)に養女にやった自分の子だぞとされたら、祟ろうとしてもやめるはずです。
                                     続く
        
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