古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

鬱陵島(ウルルンド)と竹島(=独島・Liancourt Rocks・両児島)

2009年04月04日 12時12分49秒 | Weblog
更新できるような状況にありませんのでお茶を濁します。
まず、竹島・「Liancourt Rocks」・《両児島(ふたごのしま)=天両屋(あめのふたや)》について、ちょっと視点を変えます。
竹島=独島(トクト)は単にリャンコ島=二個の島という普通の名称で呼ばれていたのではないでしょうか。
どこの国の領土か、ということは問題にならない名称です。
大和朝廷はその《リャンコ島=二個の島》に《両児島(ふたごのしま)》という名称を与え、1849年のフランス人は「Liancourt Rocks」にしたのです。(たぶん)
ですから、竹島=独島(トクト)を意識したのは、朝鮮よりも日本の方が先です。
それというのも、白村江の戦いで敗れた日本・百済の連合軍は朝鮮での領土・権益を失い、当然、鬱陵島(ウルルンド)も失い、その鬱陵島(ウルルンド)の代わりに竹島を必要としたからです。
白村江の後も大和朝廷は鬱陵島(ウルルンド)を呪力の要としたようですが、意味は失われていたと思われます。
そこで、《リャンコ島=二個の島》・竹島がクローズアップされたのではないでしょうか。

鬱陵島(ウルルンド)については以前にも調べました。
聖人峯(ソンインボン)が要のはずでしたが、場所が把握できませんでした。
今回、グーグルアースで鬱陵島(ウルルンド)を、スポットにチェックを入れて観察したところ、山の名称が現れました。
ところが、聖人峯(ソンインボン)が見つかりません。
どうもUlreungと書かれた山が聖人峯(ソンインボン)のようなので、そこで計算しました。

2007.1/21
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/a3650b32cd7af72382a83d0c768dacbd

そのときは鬱陵島(ウルルンド)北緯37度29分20秒、東経130度52分51秒
としましたが、
Ulreungが聖人峯(ソンインボン)だと
北緯37度29分59秒、東経130度52分12秒になります。

時間がありませんので、検討しきれませんが、以前のものに加えて、
聖人峯(ソンインボン)-高千穂峰-伊勢神宮・内宮をみると正三角形に近いようです。
以前にも見たのですが、面白いのは、高千穂峰と聖人峯(ソンインボン)が完全に南北にあることです。(もう一つの南北関係になるのかな)
《鬱陵島(ウルルンド)については2007・1/23、9/18、9/21、12/18、2008・6/21にもみています。》

聖人峯(ソンインボン)→高千穂峰
 ①179.575度 ②359.603度 ③623.873km
聖人峯(ソンインボン)→伊勢神宮・内宮
 ①120.973度 ②304.416度 ③625.7725km
伊勢神宮・内宮→高千穂峰
 ①243.755度 ②60.5756度 ③610.8297km

聖人峯(ソンインボン)での角度
179.575-120.973=58.602度
高千穂峰での角度
360-359.603+60.5756=60.9726度
伊勢神宮・内宮での角度
304.416-243.755=60.661度

 竹島に呪力の拠点の位置を移動させたのは聖武天皇の時代で、紫香楽宮を決めるときだったのではないでしょうか
 






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