古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

女神北面す

2016年10月13日 15時12分37秒 | Weblog
混乱していて、まとまりませんが、とりあえず進めます。
ここ数回で天河大弁財天社の位置が気になってきました。








藤原京、平城京、平安京と日本の都は北に移動しています。
しかし、天河大弁財天社の北側に都は位置しているといっていいようです。
もちろん、熊野(本宮大社、速玉大社、那智大社)の北ともいえますが、天河大弁財天社の北といえます。
さて、天河大弁財天社の主祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)でした。
(辺津宮・宗像大社の主祭神です)
(宗像三女神はアマテラスとスサノヲの誓約から生まれました。古事記ではスサノオの十握の剣をアマテラスが三つに折り、よく噛んで吹いた息吹が霧になって現れた神の名が多紀理毘賣命、市杵島比売命、多岐津比売命。スサノヲの剣から生まれたのでスサノヲの子とされる。女神はスサノヲの子で男神はアマテラスの子とされた。アマテラスとスサノヲは姉弟ですから、二人の子とはいえないでしょうが、引っ掛かり続けています。)

ここで、卑弥呼と卑弥呼の弟の奴国を思い浮かべてしまいました。
奴国の政治の中心地は大宰府跡辺りであったでしょう。
しかし、卑弥呼は大宰府の南にいたと想像できます。
普段は平塚川添遺跡の辺りに居住していて、呪術を行うときは高良山・高良大社あたりに出向いていたのではないでしょうか。

ここから想像が広がります。
卑弥呼と市杵島姫命を同一視とまではいえなくても同期しているのではないか。
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)には、天照大神を天岩戸から連れ出した役割を担った中の一人のアメノウズメが投影されているとすると、市杵島姫命は卑弥呼と同一ではありません。
ですから、天河大弁財天社の主祭神と卑弥呼は同一というよりも同期されているといった方が良いのかもしれません。(同期の使い方は合っているでしょうか)

女神が存在している北に都があります。天子南面す、とはよく聞きますが、女神北面す、でも良さそうです。
とすると、白村江の敗戦後、宗像氏は、卑弥呼の子孫を飛鳥に導き、藤原京の造成に関わっただけでなく、(白村江の戦い以前かもしれませんが)卑弥呼の子孫と姻戚関係にもあったように思えます。

高市皇子の母は尼子娘(あまこのいらつめ)で筑紫宗像郡の豪族・胸形徳善の娘だそうです。
私の想像では高市皇子(天皇)の母は持統(鸕野讃良・うののさらら)と考えています。(草壁皇子≒高市皇子です)
すると、持統(鸕野讃良・うののさらら)は宗像氏の血統になります。
(天智天皇は存在しません)
高市皇子(天皇)の父は天武天皇で母は宗像氏の血統で、奥方は阿閇皇女(あへのひめみこ・元明)で皇女ではなく阿部・安倍氏の血統です。
また、側室には尾張氏の娘がいたはずです。(ヤマトタケルから)
(持統(鸕野讃良・うののさらら)は遠智媛の娘で、天智皇女で、姉に大田皇女という系図はでたらめです。とはいえ私の説も全くの空想です)
(ただ、持統(鸕野讃良・うののさらら)を卑弥呼・アマテラスと同一視化するにはこれしかないかもしれません)

論点が明確ではありませんが、ともかく、藤原京と天河大弁財天社の位置関係は北九州の奴国の高良山・高良大社と大宰府の位置関係に相当するのではないか、と想像します。
とすると、藤原京を造成するときに天河大弁財天社も一緒に造られたのではないでしょうか。(今のところ、それほど自信はありません)





⊿インチョン湾-天河大弁財天社-氣多大社は二等辺三角形になります。
以前やっていたかしら。
インチョン湾→天河大弁財天社
 Ⅰ109°48′39.88″ Ⅱ295°13′21.67″ Ⅲ903,811.235(m)
インチョン湾→氣多大社
 Ⅰ89°54′25.60″ Ⅱ276°03′12.44″ Ⅲ903,803.388(m)
天河大弁財天社→氣多大社
 Ⅰ15°22′02.17″ Ⅱ195°54′21.73″ Ⅲ311,381.522(m)

インチョン湾での角度
 109°48′39.88″-89°54′25.60″=19°54′14.28”≒19.9040度
天河大弁財天社での角度
 360°-295°13′21.67″+15°22′02.17″=80°08′40.50”≒80.1890度
氣多大社での角度
 276°03′12.44″-195°54′21.73″=80°08′50.71”≒80.1919度

⊿天河大弁財天社-氣多大社-出雲大社
天河大弁財天社→出雲大社
 Ⅰ295°15′23.05″ Ⅱ113°27′14.89″ Ⅲ316,981.901(m)
天河大弁財天社→氣多大社
 Ⅰ15°22′02.17″ Ⅱ195°54′21.73″ Ⅲ311,381.522(m)
出雲大社→氣多大社
 Ⅰ64°04′58.27″ Ⅱ246°29′33.11″ Ⅲ404,296.424(m)

天河大弁財天社での角度
 360°-295°15′23.05″+15°22′02.17″=80°06′39.12”≒80.1109度
出雲大社での角度
 113°27′14.89″-64°04′58.27″=49°22′16.62”≒49.3713度
氣多大社での角度
 246°29′33.11″-195°54′21.73″=50°35′11.38”≒50.5865度

⊿竹島-辺津宮・宗像大社-天河大弁財天社
天河大弁財天社→竹島
 Ⅰ314°06′44.70″ Ⅱ131°47′29.14″ Ⅲ490,965.712(m)
天河大弁財天社→辺津宮・宗像大社
 Ⅰ266°26′28.61″ Ⅱ83°27′31.23″ Ⅲ493,870.335(m)
竹島→辺津宮・宗像大社
 Ⅰ198°24′07.16″ Ⅱ17°36′49.86″ Ⅲ397,662.516(m)

天河大弁財天社での角度
 314°06′44.70″-266°26′28.61″=47°40′16.09”≒47.6711度
竹島での角度
 198°24′07.16″-131°47′29.14″=66°36′38.02”≒66.6106度
辺津宮・宗像大社での角度
 83°27′31.23″-17°36′49.86″=65°50′41.37”≒65.8448度

45度、67.5度の二等辺三角形に近いようです。

天河大弁財天社
北緯34度13分24.00秒 東経135度50分30.00秒
34°13’24.00”N,135°50’30.00”E
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=341324.00&l=1355030.00

竹島
北緯37度14分23.42秒 東経131度52分11.01秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=371423.42&l=1315211.01
37°14′23.42″N, 131°52′11.01″E

辺津宮・宗像大社
北緯33度49分51.90秒 東経130度30分51.59秒
33°49’51.90”N,130°30’51.59”E
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=334951.90&l=1303051.59

高良大社
北緯33度18分05.79秒 東経130度33分57.29秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=331805.79&l=1303357.29

インチョン湾
北緯37度21分02.68秒 東経126度36分15.03秒
37°21’02.68”N,126°36’15.03”E

氣多大社
北緯36度55分33.63秒 東経136度46分02.95秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=365533.63&l=1364602.95

出雲大社
北緯35度24分07.26秒 東経132度41分07.66秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=352407.26&l=1324107.66
35°24'07.26"N,132°41'07.66"E


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