古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

無題になります

2017年12月01日 22時09分30秒 | Weblog
・皇大神宮(伊勢神宮・内宮)-平城宮跡・朱雀門-出雲大社(-武寧王陵・公州)
これはずっと以前やっています。
また、この直線は五芒星の中の五角形の頂点の近く〔昆陽池辺り〕を通っています。
・富士山-平城宮跡-〔住吉大社〕-伊弉諾神宮-宇佐神宮
・伊吹山-道成寺も伊吹山の位置を頂上と限定しなければ、平城宮跡・朱雀門を通ります。
白兎神社-瀧原宮の測地線も平城宮跡を通ります。
想像はついていましたが、やはり、この五芒星の中心は、ピッタリとはいかないものの、平城宮だったのでしょう。








円を作ったとき、秋篠寺の少し北側に中心にすると誤差が少なくなるようです。
しかし、ピッタリというところはありません。

ところで、
《白壁王は天平16年(744年)以後に聖武天皇の皇女で称徳天皇の異母妹にあたる井上内親王を正妃に迎えた。そして宝亀元年(770年)に称徳天皇が崩御して天武系の皇統が断絶すると、白壁王は62歳にして天皇に擁立され光仁天皇となった。光仁天皇の皇后に井上内親王、皇太子にはその子の他戸親王が立てられた。》

しかし、白壁王〔光仁天皇〕は井上内親王を正妃に迎える前に、高野新笠と結ばれていて、《天平5年(733年)に能登女王、天平9年(737年)に山部王(後の桓武天皇)、天平勝宝2年(750年)頃に早良王を生んだ。》そうです。

白壁王は井上内親王を正妃に迎えなかったとすると即位できなかったとされています。多分そうなのでしょう。

さて、全くの想像ですが、先だって、桓武天皇御母の「高野新笠」とは芸名ではないか、と考えたことがありました。白壁王(光仁天皇)は、井上内親王を正妃とする前に、舞姫を妃に迎えていた、と想像しました。
そして、もしかすると、秋篠寺にある技芸天立像は高野新笠がモデルではないでしょうか。
だからこそ、秋篠寺は光仁天皇勅願の寺ではないでしょうか。
以前見た韓国ドラマ「ソドンヨ」では、百済の威徳王は舞人をめとり、二人の間の息子が「チャン」で、後に王位に就きます。
「高野新笠」の父方の「和氏」は百済武寧王の子孫と称する渡来系氏族だそうです。
また、威徳王のめとった舞姫の名は「ヨンガモ」といいます。
同じようなことが起きたのではないでしょうか。

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