古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

もう一つの「笠沙の岬」 あくまでも空想

2018年07月29日 16時26分58秒 | Weblog
台風12号は関東を去り、午後3時現在、中国地方を西に進んでいますが、関東は、また暑さがぶり返してきました。中国地方・九州地方も被害が少ないといいですが、日本海側はフェーン現象で猛烈らしい。
ということで、ボーッとして、以下まとまっていませんが

笠沙の岬が野間岬ではないとすると何処にあるべきでしょうか。
笠沙の語源を検索しましたが、わかりませんでした。
「笠沙」の意味はなんなんでしょうか。
(わけのわからない地名もたくさんあるでしょうし、どうってことないのかもしれませんが,気になり出すと気になります。)
《笠沙町 ウィキペディア
笠沙町(かささちょう)は、鹿児島県川辺郡の南西にあった町である。2005年11月7日、加世田市・大浦町・坊津町・金峰町と合併し、南さつま市となった。
町名の由来[編集]
「古事記」天孫降臨の段に登場する[3]「笠沙之御前」(笠沙の岬)に因む。町名になる以前には、この一帯に「笠沙」という地名は、字名としても広域地名としても存在しなかったが、多くの伝承や逸話がこの当たり一帯を指し示しており、歴史的な研究の対象地名とも重なる地域である。》

《「笠沙」という地名は、字名としても広域地名としても存在しなかった》
《しかし、多くの伝承はこの辺り一帯を指している、》
ということですが、大和朝廷はなぜ「笠沙」という地名を創らなかったのでしょうか。

そして、「笠沙の岬」は別にあるとすると、以下、全くの想像で,まるっきりピント外れかもしれません、が・・・・・・・・・・・・。
藤原宮(飛鳥浄御原宮)跡-高千穂峰-野間岬は一直線で、天孫降臨が高千穂峰であるならば、野間岬が笠沙の岬になるでしょう。
しかし、天孫降臨は高千穂町(高千穂峡)という説もありました。
高千穂峡が天孫降臨の地ならば、藤原宮跡→高千穂峡の延長線上に,もう一つの「笠沙の岬」は存在するのではないでしょうか。
天孫降臨が二カ所ならば、笠沙の岬が野間岬以外に,もう一つ別にあってもいいのではないでしょうか。

その線の行きつく先は《熊本県(肥後国)「天草郡」・鹿児島県(薩摩国)「出水郡」》になるようです。
天草郡ウィキペディア
《天正9年(1581年)までは現在の鹿児島県出水郡長島町の区域も含んだ。》
天草郡、そこの岬に,獅子吼岬がありました。

https://www.t-island.jp/p/spot/detail/21
牛深海中公園指定区域内で法ケ島の南端にある奇形岩で、まるで大きな獅子が海に向かって吼えているかのような自然の造形美が楽しめる。
 この獅子吼岬は、鹿児島県の桜島を中央の火口とする大カルデラ火山の噴火によって形成されたと言われている。











https://www.web-gis.jp/GS_Kigan100/K100-060/Kigan100_060.html
獅子吼岬のある法ヶ島は、雲仙天草国立公園の第二種特別地域でもあり、海は海域公園に指定されています。
法ヶ島の獅子吼岬は、約300万年前に東方の鹿児島県長島で火山活動が起き、その火山砕屑岩(凝灰角礫岩など)が到達後、風化・侵食によってできた地形・景観です。
こちらから 写真転載


「獅子吼岬」は「ししぼえみさき」と読むそうです。
ですが、普通「獅子吼」は「ししく」と読みます。
「かささ」と似ていないでしょうか。
「かささ」ではどんな意味かわかりませんが
獅子吼(し・し・く)を逆さにして(く・し・し吼獅子)で「吠える獅子」。
そこで「く・し・し」を「か・さ・さ」に変化させます。
「獅子吼」そのままでは天草からの移動がわかってしまいますから、それを変えます。(カ行・サ行・サ行)

獅子吼岬を笠沙の岬にするのは、強引かもしれませんが、藤原宮跡→高千穂峡の延長線はここに行きつきます。
また,一年の間で、高千穂峰から藤原宮跡の方角から陽が昇ることもありませんし、野間岬に陽が沈むこともありませんが、高千穂峡からすると藤原宮跡の方角から陽が昇ることも、獅子吼岬の方角に陽が沈むこともあります。

藤原宮跡-高千穂峡-獅子吼岬
藤原宮跡→高千穂峡
 ①245°44′26.18″ ②63°14′43.66″ ③463,400.699(m)
藤原宮跡→獅子吼岬
 ①245°44′32.69″ ②62°34′46.63″ ③594,890.453(m)
高千穂峡→獅子吼岬
 ①243°15′13.06″ ②62°35′09.54″ ③131,489.755(m)

463,400.699(m)+131,489.755(m)=594,890.454(m)
594,890.454(m)-594,890.453(m)=0.001(m)=1mm違い 一直線です。



高千穂峡から見て,藤原宮跡から陽が昇るのは、
2018年の場合、5月28日と7月16日頃です。
高千穂峡から見て,獅子吼岬に陽が沈むのは、
2018年の場合、12月13日、12月30日です。

https://kotobank.jp/word/獅子吼-73212
釈尊が説法する様子を獅子のほえる様子にたとえたもの。釈尊が大衆に恐れることなく説法することをいう。漢訳仏典では「師子吼」と書くのが通例である。

デジタル大辞泉の解説
しし‐く【×獅子×吼】
[名](スル)
1 雄弁をふるうこと。意気盛んな大演説をすること。「壇上に獅子吼する」
2 仏の説法。獅子がほえて百獣を恐れさせるように、悪魔・外道(げどう)を恐れ従わせるところからいう。

大辞林 第三版の解説
① 獅子がほえること。
② 釈迦の説法・教説。獅子がほえて、百獣を恐れさせる威力にたとえていう。
③ 熱弁をふるって真理・正義を説くこと。

獅子吼岬
32° 9'44.60"N,  130° 3'22.04"E
北緯32度09分44.60秒 東経130度03分22.04秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=320944.60&l=1300322.04

藤原宮跡
北緯34度30分08.61秒 東経135度48分26.46秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343008.61&l=1354826.46

高千穂峡(遊歩道入り口)
北緯32度42分07.91秒 東経131度18分03.51秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=324207.91&l=1311803.51
32°42'7.91"N,  131°18'3.51"E
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