古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

イザサワケに関連して

2005年04月13日 22時54分16秒 | Weblog
イザサワケという名前は、イザナギ、イズミ、イズモ、さらに伊豆半島のイズにも通じると思えます。たぶん海につながる名前です。(イズモはちょっと困るのですが、出雲より古い意味があるということで目をつぶります)
海洋(支配・安全・貿易・漁・とか)に関係する名前と思います。
で、私は、イザは前王朝を象徴するのではないか、と考えました。実際は、もしかすると、もっと以前の縄文時代からの名前でしょう。そして、前王朝を象徴しているように見えるのです。(海彦・山彦と関係あるのかしら)
スサノヲと磐之姫の系列は、卑弥呼の系列よりも古い日本の文化を象徴し、卑弥呼は新しい文化・水田稲作農耕文化を象徴していた。
また、死ぬ時のイザナミは卑弥呼トヨを表わしていましたが、島を産み始める時のイザナミは違っていると考えます。イザナギ・イザナミの二神は最初に淡路島を産むのですが、地図を見ると、見ようによっては、淡路島は明石と須磨の間からひねり出されたように見えます。淡路島はスサノヲと磐之姫(明石の君)から産まれたのです。この時のイザナミは磐之姫となります。古事記は互いに敵である卑弥呼と磐之姫を、「魏志倭人伝」の間違いと同じに、混同させています。
さて、ではイザサワケ大神がイルカを贈ったということは、イザサワケ側、すなわち前王朝が蘇我入鹿を滅ぼしたということになるのでしょうか。
表面的には、そういうことではないでしょうか。
蘇我氏が卑弥呼の子孫につながるもの、またはそのものだということで、滅ぼした。ということは卑弥呼の子孫は、一旦は、復活したがまた滅んだと怨霊に考えさせるためだった。怨霊は卑弥呼の子孫の復活をしっていた。しかし自分の子孫の滅亡は知らなかったということになります。(そう考えないと筋が通りません)
もう一度、考えてみます。
イザサワケは前王朝の象徴で、むしろ卑弥呼系よりも古い日本を体現していました。卑弥呼はむしろ新しい水田稲作文明を有していました。卑弥呼とスサノヲの合体は二つの文明の混在又は融合でした。卑弥呼を殺した前王朝はその混在・融合の上に立脚しました。
太子の元の名前がイザサワケだとすると、太子は前王朝の系列であることになります。しかし実際は逆です。なぜなら応神天皇は石(磐之姫)によって誕生を遅らされた卑弥呼系列の天孫として設定されているはずだからです。
それに応神天皇はもともと誉田天皇(ほむたすめらみこと)といわれていました。書紀によれば、応神天皇は生まれた時から腕の上に盛り上がった筋肉があり、その形が弓を射るときの防具(鞆・とも・ほんだ)のようだったから誉田天皇(ほむたのすめらみこと)と名づけられたということです。
これは、応神天皇が武力を表現する天皇という位置づけにするために創られた話でしょう。前王朝とつなげたかったのです。しかし、(ほむた)は炎(ほむら)を表わしているはずです。火の中から生まれでたのは、火の呪縛を乗り越えた卑弥呼の子孫です。卑弥呼復活後の王朝です。
とすればこの話しは、二つの王朝があったことをあいまいにうやむやにして、万世一系であったことにするためのものとなります。
大化の改新(乙巳の変)は中大兄皇子、中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒したものですが、「魏志倭人伝」の卑弥呼・卑弥弓呼のように、実際は姉・弟でありながら敵・味方にしてしまった間違いと同じ構造にした可能性が高くなります。
互いに敵である蘇我氏も中大兄皇子も同じ天孫、卑弥呼の子孫ということになります。
ですから、イザサワケ大神はなぜイルカの贈り物をしたのかといえば、やはり、蘇我氏は卑弥呼の系列で、復活した卑弥呼を磐之姫の側が再び葬ったということになるのです。ということは、磐之姫の怨霊は卑弥呼が復活したことを知っていたと想定されていたことになります。それから、中大兄皇子(天智天皇)は、実際は逆なのですが、前王朝の後継者という設定になるはずです。
そんな都合よくいくのでしょうか。
しかし、継体天皇・欽明天皇の系図を見るとそのように見えます。
ただ、怨霊が実在するということが前提になっているとして、怨霊はそのような細工を見破れないものと考えられたのでしょうか。怨霊は見破れないと安心できたのでしょうか。いくら緻密に、怨霊対策を施そうとしても、怨霊が原因とされる天変地異はなくなるはずがなかったのですから、怨霊はどんな細工も見破ったことになります。
 (裏返せば、卑弥呼の奇跡がよほど大きかったということです。)
怨霊思想にはまると、容易には、そこから抜け出せなくなり、どんどん泥沼にはまっていくように見えます。
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