もう数年来会っていなかったし、元々それほど親しいという訳でもなかった友人からの突然のメール。
我社の熨斗の事で用があり、今日は飯田に行くからという事なので、
品物を取りに来てもらう事にしました。
ホントに珍しい事です。
小川路峠に立った時、この友人が上村の人であった事が脳裏をかすめた事を思い出しました。
なぜなら、今回は飯田側に車を停めて上って来たので、
飯田側に下らなくてはなりません。
上村側に下りた時、どうすれば飯田に帰れるか考えていた時
ちょっと上村に住むこの友人を思い出したのです。
いやいや、あまりに自分勝手、こんな時だけ友人はないでしょう・・と
自分の考えは打ち消して、もうすっかり忘れていました。
午後3時、友人が品物を取りに来ました。
久し振りなのでちょっとジュースでも飲んで行かない?と部屋に上がってもらって
「先週、ここに行ったよ」とこの写真を見せました。
突然返って来た返事は
「家の土地に入ったの?」
どうゆう事???
「この峠には茶屋があり、その茶屋は自分の家だった」と言うのです。
自分と言っても友人のおじいちゃんがやっていて、S.5年生まれの父親が一年生になる年に
今の場所に引っ越した。
と言うのです。
確か、峠にも説明書きが・・・、写真を見直してみると、
ありました!!!!!
・・・・・・・北側には宝暦時代から大正時代まで続いた(花菱屋)の5間半×12間の本棟作りが有り、
旅人の食事処や、馬の休憩所として栄えた。
この峠は遠山谷と伊那谷とを結ぶ生活物資の交換や文化の中心として、又秋葉山信者の信仰の道として
大いに栄え、賑わった・・・と説明されています。
次の言葉が
「家、花菱屋だけど・・・」
偶然というものは恐ろしいもので、
「えっ・・?今日何しに来たの?」と聞いてしまいました。
友人によると、この小川路峠、昔の住所は下伊那郡上村1番地でここから上村が始まっていた事、
おじいちゃんは、片道8kmを学校まで通い、一番近い隣まで30分、
一日馬100頭が往復したと、お父さんから聞いたと話してくれました。
今は、誰もいないこの場所に、1日100頭の馬が行き来して、人々の話し声が絶えなかったなんて、
今の風景を見ていて俄かには信じがたい、が、友人は
又、あまりに賑やかで忙しかったので、茶屋の勘定は店の前に置いた丼に放り込んで行って、
丼が常に一杯だったとの事、
1600mを越す、涼しい場所なので、蚕種を飯田の製糸工場から預かっていた事など
本当に、この道が生活の場だった事を生々しく話してくれました。
この日、峠から又飯田への道を下って来ましたが
次回は友人の助けを借りて上村に下りてみようと思いました。
それにしても、偶然て凄い。
家に来たのはもしかして茶屋をやってた花菱屋さん?
山も道も松も道標も観音様も、私たちも、みんな今でも生きているよ・・・って。
偶然というのはもしかして偶然ではなく必然なのかもしれない。
おわり
昔の賑やかな往来や厳しい山道…このブログを見なければ知ることのなかった飯田の歴史の一頁です。話には聞いてましたが、こんな雰囲気なんですね。
軟弱、ずく無しの私は実際訪れることがないから行った気分で峠道を満喫させてもらいました。
身に余るお言葉をありがとうございました。