耳納の神々

この山から見る平野も川も壮大です。やっぱりこの山には神々がいらっしゃいます。
山の神にご挨拶するために今年も登るぞ~

おくりびと

2011年03月31日 | 家族
納棺師とも言っていましたが、湯灌(ゆかん)と言われました。

女性2名でおごそかに行われました。

途中逆さ水と言って、ひしゃくの水をかける。
逆さ水と言うから、ひしゃくの右側から水をかけるのかと思ったら、そうではなかった。
ただ足元から上に上がっていったな。
そして最後にガーゼで顔をふいてあげる。

シャンプーもして、リンスもして、化粧水もつけて、お化粧して。
浴衣を着替えるときも、まったく肌は見えない。

今回の爺ちゃんのようにきれいな遺体のときは良いけど、そうではないときは大変な仕事だ。

でも生きているようになりました。
ちょっと口元が爺ちゃんではないような形になりましたけど(@_@;)


これで7万弱。

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仮通夜の夜

2011年03月31日 | 家族
病院の霊安室から直接つながっている裏口。
そこから車に入れて葬儀屋に行った。

私は一度家へ連れて帰るのだと思っていた。
でもばあちゃんは「いい」って(+_+)

私としては通夜も家でしてあげたいなんて言い出したらどうしようと思っていた。
駐車場もないし、お茶出しもしなくちゃいけない。

でも思ったよりばあちゃんドライでした。

結局家に帰らずに葬儀屋の通夜をする場所ではない和室へ。

もちろんそこは、そういう場所だからきちんと布団を敷いてくれて爺ちゃんを寝かせて祭壇をつくった。

それから打ち合わせをしたり、家に帰って準備をしたりを交替で。
爺ちゃんを一人にはできないからね。

夜。
兄夫婦はすぐにねた。
その前の日は病院に行ったので、寝ていない。
「いいよ。明日もあるのだから」と寝て貰った。

12時~2時までは夫が起きていた。
15分でなくなる線香。それを絶やさないように15分おきに線香に火をつける。

この部屋は寒い。いくらエアコンの設定温度をあげても寒いし、途中で止まる。
きっとそういう設定にしているんだ(-"-;)

家から電気毛布を4枚持ってきて、それぞれが敷いていても寒かった。

2時から朝まで私がずっと線香守。途中水に浮いている大きなろうそくも取り替えた。

寒いし、眠いし、でも15分おきだし・・・
ここで体力使い切ってしまった。

次の日、葬儀屋が出してきた巻き巻き線香。
「これがあれば一晩大丈夫ですよ」って(-"-;)
昨日出してくれればいいのに!!

まぁ一晩お役目は果たしました。



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最期の夜

2011年03月31日 | 家族
爺ちゃんが亡くなる前日の夕方。
入院していた病院から連絡が入った。

もし状態が悪くなったとき、大きな病院に移すかどうかの判断をしてくださいと。

兄と相談し、2~3日後に迫っている先生との話し合いで決めたいと伝えると、
「いや、今決定してください」と言われた。
そこで私たち夫婦の考えとは違ったが、兄や弟の意見を尊重し「もしものときは病院を移してください」とお願いした。

まさかそれがその夜とは思わなかった。
いつもの通り携帯は居間に置き、寝た私たち。

朝起きると、固定電話にも携帯にも留守電が入っていた(・_・;)

看護師さんってすごいね。その夜に急変するって経験上分かっていたのね。
その数時間前に会っていた私には、そこまで分からなかった。
夜中に駆けつけたのは、高速で30分のところに住む義兄夫婦(@_@;)



朝には落ち着いていたから、結局昼の面会時間に大きな病院へ。

先生は1年前にお世話になった先生。
あちらも私たちを覚えていた。
毎日点滴に通ったからね。そうとう騒がせたからね(^^ゞ

先生がおっしゃるには、
「もう病院を移す必要はなかった。老衰状態ですので、覚悟してください。
お爺ちゃんを傷つけるような延命処置はしません」と。

そうよね。やっぱり私たちの判断は間違っていなかった。
でも病院を移したことで、兄や弟、そして義母の気は済んだろう。

それから四時間ほどで逝ってしまった爺ちゃん。
でも苦しそうな顔ではなかった。
穏やかな顔。
すっと引き潮のように心臓がとまった。平穏死。

お爺ちゃん、お疲れ様でした。
もう痰をとることもないし、惚けもなおっているでしょ。



無理矢理生かして苦しませるようなことをしなくてよかった。

亡くなる1週間前に夫と義母と病院へ行ったとき、満面の笑みだった爺ちゃん。
我が目を疑うほどの笑顔だった。どうしたんだろうね???と言っていた私たち。

あの笑顔が見られて本当によかった。
あの笑顔は私たちへのプレゼントだったのね。






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退職

2011年03月31日 | 家族
今日で退職した。

最後までばたばたと引き継ぎをしたけど、どうにか形にはなった。

みんな明日から不安みたい。

でも大丈夫よ。しっかり教えたんだから。





さぁ明日から私も第三の人生の始まりだ。

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分かってらっしゃる

2011年03月31日 | 家族
私の長男が父親(夫)に「遺産はどれくらい入るみたい?」と聞いたらしい。

夫曰く
「まぁちょっとはあるだろうけど、話の流れによっては母さんは「いらない」と啖呵を切るかもしれないぞ」

30年連れ添った夫。よく分かってらっしゃる。


義弟が、兄貴達は親の面倒を見ていないと言ったとき、義母が「良くして貰っている。あなたは何もしていないのに言う権利はない」と言い放った。

その時
帰省するとき私や兄嫁に500円のお菓子でいいから買ってきて「いつもお世話になっています」と言ってくれるだけでいいのよ。いままでそれすらなかったでしょ。と言った私。

いままで堪えていたことを、つい口にしてしまった。
でもね、気づかない義弟も悪いけど、それを教えない義母も悪いと思っていたんだ。
そこまでは言えないけどね。



まぁ積もり積もったものが噴火している。
浄化するためには、必要なことなのよ。




コメント (2)
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