「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

文化放送 「死刑執行」 (6) (裁判員制度)

2008年05月11日 10時43分11秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54159247.html からの続き)

 死刑制度が 様々な問題を含んでいながら、国民的議論はなされていません。

 にも拘らず、一般人が 死刑を含む刑を下すという 裁判員制度が、

 あと1年で 開始されようとしています。

 司法への参加についても 死刑制度についても、

 国民の意識や考えは まだまだ高まっていないでしょう。

 そんな現段階で、裁判員制度の始動は 拙速ではないかと感じています。

 20年程度で仮釈放される 無期懲役の次は 死刑しかないという、

 極端な刑罰の 狭間に立たされたとき、

 国民は確信を持って 判断することができるでしょうか。

 死刑判決は全員一致にするべき という法案が出されたり、

 最初はもっと軽微な犯罪を 裁判員制度の対象にするべきだ という意見もあります。

 例えば、死刑の実態を知らない 裁判員が多くて、多数決で死刑になったが、

 放送を聴いて 死刑の悲惨さを感じた自分は 反対だった、

 という裁判員の苦痛は 如何ばかりのものでしょう。

 ところで、死刑制度反対を理由に 裁判員を辞退することはできない

 とされていましたが、心理的に 非常に支障をきたす場合は 免除される、

 という方向へ行くようです。

 しかし逆に、裁判員をやりたくないために 死刑反対と言い張る人が

 出てくるかも知れず、事前審査で それを見抜くことができるのか 不安も残ります。

 また、僕は 精緻司法に与するものですが、

 短時間で 難しい真実を 明らかにすることが可能なのか、

 冤罪や量刑不当のことも とても危惧しています。

(光市母子殺害事件・差し戻し審の 事実認定も詳細を極め、

 非常に長い時間を かけています。)

 裁判員が急かされるように 判決を出して、

 後になって 後悔を一生引きずる ということも起こるかもしれません。

 裁判員が マスコミ報道から受ける影響や、

 守秘義務についての 理解度や実効性にも、大いに疑問が付きまといます。

 不適切な人物を 裁判員に選んでしまう危険性や、

 その他にも問題は 山積していると思いますが、

 見切り発車をしてでも 実例を重ねていくしかないのでしょうか。

 しかし、“試行” 段階で 死刑を下されたとしたら、

 容疑者はそれこそ たまったものではないですね。

 控訴はできますが、それで 一審が覆されると、

 裁判員制度の意味は何なのか という議論も出てきてしまいます。

 ちなみに、僕が 残された人生の間に 裁判員になる可能性は、1%くらいでしょう。

 僕個人は (問題は多々あれ、施行するのであれば)

 是非 やってみたいと思っています。

 一方、嫌で堪らないという人も いるでしょうが、同じ条件で 抽選で選ばれます。

 積極的な意思を 持っている人を 優先した方が、真剣な裁判ができ、

 被告のためにもなるのではないか とも思ってしまうのですが……。

 ともあれ、裁判員制度や死刑制度について、

 皆がもっと よく考える機会が 増えることを願ってやみません。
 


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