「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

苦しみ悩み抜いた 裁判員

2010年11月26日 21時43分04秒 | 死刑制度と癒し
 
 石巻3人殺傷事件の 裁判員の人たちは、

 本当に、 深く、 真剣に、 苦悩しぬいたのでしょう。

 記者会見での重い言葉には、

 死刑に反対する者でも、 神妙に 耳を傾けざるを得ません。

(きのうの日記に書いた考えが 基本的に変わるわけではありませんが、

 さらに真摯に 向き合わなければと感じます。

 また昨日は 時間がないなかで書いたため、

 被告の情状に関する情報を 充分得ていませんでした。)

 このような裁判員経験者の 生身の言葉を前にしたとき、

 誰しもが 同じ立場になる可能性を 我が身のものとして捉え、

 裁判や死刑について 真面目に考えるのではないでしょうか。

 それが裁判員制度の 大きな目的のひとつですが、

 顔を出して会見に臨んだ 裁判員経験者の勇気には、 ただ敬服するばかりです。

 この裁判員経験者は、 被告が判決の主文を 聞いたときの表情を見て、

 こう思ったと語りました。

 「正直 …… (長い沈黙) …… 何とかできなかったのかなと ……」

 それでも、 苦しい 心の痛みにも拘らず、 死刑を選択せざるを得なかった。

 僕は、 死刑は最後の最後まで 回避すべきと考えていますが、

 このような 裁判員経験者の声を聞けば、

 それだけ必死に 考え抜いた末に 極刑を選択したのだという 結論を尊重し、

 そういう立場の人の価値判断を 理解しようとしないわけにはいきません。

(それなのに ミクシィの他の人の日記を 見てみると、

 こんなにも懸命な 裁判員経験者を茶化したり、

 軽薄に死刑を訴える輩が まま見られるのは嘆かわしいことです。

 彼らは 実際に自分が 裁判員の席に座ったとき、

 同じ態度でいられるのでしょうか? 

 もっとも そういう手合いは、 仮に裁判員候補に選ばれたとしても、

 事前の面接で はねられるでしょうが。)

 また、 死刑制度廃止を標榜することと、

 死刑が存在する 現在の法律のなかで 遵法精神に則って 判決を出すことは、

 別の問題です。

 そこにも 苦渋の選択を迫られる 辛労があるでしょう。
 


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