「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

一個 千両のみかん

2009年02月08日 20時41分16秒 | Weblog
 
 今回 液晶テレビを探していたとき、

 たまたまテレビでやっていた 爆笑問題の番組で、 面白い話がありました。

 ヒルズ族について 評していた番組の中で、 太田が紹介したものです。

「 江戸時代、 富豪の商家の若旦那が 病で死に瀕していました。

 看病している番頭に、 若旦那は 最後にみかんが食べたい と言います。

 しかし 季節は夏。

 江戸中を探しても 見つかりません。

 けれどもついに、 ある家でみかんを一個 探し当てました。

 ところが その家の男は、 一個 千両だと言うのです。

 若旦那の父親の主人は、 息子の最後の望みだから

 金はいくら出しても 構わないと言い、 千両で買い求めました。

 みかんは 十房あったので、 一房百両です。

 みかんを持って帰ると、 若旦那は 喜んでみかんを食べます。

 十房のうち七房を食べ、 「ああうまかった」 と 心から満足します。

 そして、 残りの三房のうち 二房を父親に食べさせたいから 届けてくれ、

 一房は番頭にあげる と言って、 みかんを番頭に託します。

 主人にみかんを 持っていきながら、

 番頭は 『これが 三百両か……』 と つくづく思います。

 自分が死ぬまで 勤めあげても、 とても届かない金額です。

 番頭はとうとう、 そのみかんを持って とんずらしてしまいました。 」

 この番頭が 三百両を得したのか、 言わなくても分かるでしょう。

 番組では 「利用価値」 と 「交換価値」

 というものを 紹介していました。

 例えば、 水は 色々なことに利用できるが、 水で 物は買えない。

 金は 色々なものと交換できるが、 金そのものは 使えない。

 番頭はそれを 混同してしまったわけです。

 ヒルズ族も それと同じだったという、 太田の意見でした。
 


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