「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

家族の視点 -- ある母親の経験 (2)

2013年09月22日 20時53分48秒 | 「BPD最新ガイド」より
 
(前の記事からの続き)

 私たちは、 遺伝子の問題なのか、 子供のときの環境が原因なのか、

 自分たちを責めました。

 親戚から偏見も経験しました。

 私たちは 現状を誰にも話したくなくて、 社交的な場に顔を出すのを避け、

 親戚との関係は ギクシャクしたものになりました。

 多くの臨床家が、 私たちの話に耳を傾けてくれず、 治療困難であり、

 家族の過干渉だとして、 見離されたことを 思い知らされました。

 精神疾患の支援団体までもが、 BPDに ほとんど関心を持っておらず、

 私たちの声を 抑圧しようとさえしたのです。

 私たちは、 多くの治療者, デイケアに 援助を求め続け、

 5回の入院のあと エネルギーと望みは消えてしまいました。

 ある日、 娘は大量の薬を服用して 救命救急質に運ばれ、

 四肢を拘束されて、 様々なチューブが取り付けられていたのです。

 私は 弁証法的行動療法 (DBT) を知らされました。

 週に1度、 複数の家族による 集団療法に参加しました。

 安全な状況の中で、 しっかり嘆くことによって 自分を責めるのをやめること,

 深く悲しむことによって 罪悪感の重荷を下ろすこと,

 偏見の苦しみから逃れることに 取り組んで、 大いに助けられました。

 教えの多くは、 BPDの人から学んだものです。

 どうすれば 押しつけがましくなく支持できるか,

 どんな場合なら 罪悪感を抱く必要がないか,

 偏見や差別に対して 娘をどのように助けていったらいいのか、 などです。

 私たちは、 娘が自ら責任を持って 回復できるよう、

 援助するチームの 一員になったのです。

 それは長く、 辛い取り組みでした。

 娘はもう一度 働くようになって 大学を修了したいと強く望み、

 一歩一歩目標へ向かっています。

 彼女には 再び友だちもでき、 リーダーとして見られています。

 私たちのもとに、 かつての娘が戻ってきたのです。

〔 「境界性パーソナリティ障害最新ガイド」 星和書店 (林直樹訳) 〕より
 

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