monologue
夜明けに向けて
 



 では、大宇宙の法則、フトマニの考察に入ろう。
 まずフトマニとはどう書くのか。
鹿の肩胛骨を焼いて占う「鹿卜」亀の甲羅を使う「亀卜」などの
太占神道の場合は。太占と書いたがこれは占いのことで他には布斗麻爾、太摩仁、太珠、などの当て字があったが日月神示の原文では「二十@@」とマニが渦巻きになっている。
フトは二十でマニとは珠や回転エネルギーを指すらしい。
これがフトマニということばから得られた情報である。
 
 さあ、先を急ごう。 
「神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、
○九十の誠であるぞ、合わせて二十二、富士(普字・不二)であるぞ。
神示の始めに示してあろう。二二(富士)は晴れたり日本晴ぞ。」

このフトマニ説明文の構造を見るとニギハヤヒはなんとかうまく伝えようと工夫しているのがわかる。アラビア数字と漢数字を使い分けてその上漢字も使い変えている。
現世に生きる人間に伝えるのがいかにむつかしかったか。
この神示を下ろしてから何十年を経てやっとその工夫が人々に知られる時が至った。
さぞ待ちくたびれただろう。
教師としてのかれはまず「012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、」
と言い、わたしたち生徒にわからせるために同じ内容を
○九十の誠であるぞ、合わせて二十二、富士(普字・不二)であるぞ。」と言い換えている。
「012345678910」を「○九十」と表し、ひっくり返しのマークとしてひらがなの「の」を
挟んで「その裏に109876543210」という部分を「誠」と漢字で示したのである。
「○九十」も「誠」も同じことだが表と裏になっているということが伝えたかったのだ。

そして今度はまた同じことを「合わせて二十二」という。
「012345678910」と前にはアラビア数字で書いていたのに「合わせて22」としないで今度は
漢数字を使っている。それはもちろん漢数字にしなければならなかったからである。
これは足し算ではないので10足す10で20にはならない。表と裏を合わせた富士山の図なのだ。
モニター上で横書きに読んでいるとわかりづらいが縦にすると
      二
      十
      二
 となる。そしてこれを富士(普字・不二)と文字を換えて説明している。
まず富士の「富」を分析すれば「宇宙」ということばを一字にまとめたような文字で下の「田」は十が回転している図である。「士」は上の「二十二」の縦書きの中に二つ見つけられるだろう。上から下へ読んだときそして下から上へ読んだとき。この「二十二」はぐるぐる回転しても「二十二」なのだ。
それをなぜ「普字」などと似合わない文字に書き換えてまだ説明をつけるのか。
「普字」の「普」の字は「並日」なのだ。すなわち、日が現世とその裏にも輝いていることを示している。
「字」は子がウカンムリをかぶっていること。ウカンムリは宇宙を示している。「普字」も字のことばかりではなく宇宙の姿を表現しているのだ。「不二」の解釈には二つとないすばらしい山というものが多いが
「不二」とは二ではないという意味であった。
日月神示の冒頭に掲げられる「富士は晴れたり日本晴れ」の原文は「二二八八∂十二ほん八れ」であった。ここでは富士は二二と書かれているがかなり無理がある気がする。
富士を数字では表しにくいが、普通二四ぐらいかと思われる。
それでも二二でなければいけなかったから二二と書かれた。これは上から見ても下から見ても二二である。
それが重要だった。「不二」は二ではなく「二二」であるということ。
さあ、つぎは「晴れたり(八∂十)」に進もう。
富士は、ということは「富士=(八∂十)」ということである。
これは今度は富士の山の形を漢数字の八で示している。ニギハヤヒは注意深く文字記号を使い分けてわれわれ生徒にわからせようと努めている。∂は渦巻きの形でエネルギーの回転を示している。
つまり、八の形の富士の下の十が渦巻きの形でエネルギーの回転していること。
われわれが現界で目にする富士は底辺で裏の逆さ富士と接してt回転しているということだ。
フトマニとは二十とマニ(珠や回転エネルギー)であった。
大宇宙の法則、秩序、フトマニとは霊界のヘソ富士を軸として回転する宇宙生命潮流を指しているのであった。
それが黄金太陽と呼ばれカゴメと呼ばれ日々生成、持続、終焉を繰り返している。


「日本晴(二ほん八れ)」は、わが国がヒノモトでありイッポンでなくニホンであるのは表裏一体のニホンであることを教える。
「日本晴」も分解すれば日の本の日月主ということである。
なるほど日月神示の冒頭を飾るにふさわしいフレーズであった。
やっと先生の仕掛けていた謎も解けたようだ。時代がずいぶん遅れたけれどオヤジギャグの好きな先生だから笑ってあげよう。

岩戸(言答)を開くとき、竹取物語のように「答」の竹を取れば「言合(祝)」となる。
そのとき、竹取の翁ニギハヤヒはわたしたち不肖の生徒を祝福してくれるだろう。
fumio




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