monologue
夜明けに向けて
 



 わたしと中島茂男(シゲさん)はクラブのエンターティナーとして客の好みにあわせて譜面さえあればなんでもかんでも演奏した。ある日、仕事の打ち合わせでシゲさんの長屋形式の集合住宅にいると宮下文夫が子供を抱いてひょっこりやってきた。その子は「ジョデイー・天空」という名前だった。前年、1977年11月 にかれのバンド「ファー・イー・スト・ファミリー・バンド」 が天空人 (Tenkujin) というアルバムを出したあとだったのでミドルネームを天空 としたようだった。わたしにも7月に子供が生まれることなどあれこれ話した。それからわたしはハリウッドのカ-ルトン・ウェイにあるかれの家によく行くようになった。

 そしてしばらくしてわたしとシゲさんが演奏しているクラブに宮下が酒も飲めないのにやってきた。シゲさんが、なにか演奏するかい、と水を向けると、かれはピアノの前に座ってなにやらとりとめなく弾きだした。どうやらかれはクラブのエンターティナーにはあまり向かないミュージシャンだった。他人のヒット曲を演奏するより自分で創造したもので世の中をひっぱってゆくタイプの、ミュージシャンというよりアーティストだった。おそらくかれの人生においてクラブのエンターティナーとしてピアノの前に座ったのはこの夜一度きりであっただろう。
fumio

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