monologue
夜明けに向けて
 

  


1965年、男性向け月刊ファッション雑誌「MEN'S CLUB」の募集欄で龍谷大学生加藤和彦がフォークグループ結成を呼びかけ、下京区在住の北山修が妹の自転車で七条通りを東に走り交差点で右に折れて南下して伏見区深草の加藤の自宅を訪ねた。それがフォーククルセダーズの始まりだったのである。
北山修の自宅の北にはジローズの杉田二郎の自宅の金光教島原教会があった。わたしはその近くの島原裏片町に住み高校三年になっていた。北山修の自宅の東の酒屋からのちに「ケメコの歌」でダーツが出てきた。中京区の北野中学校の同級生たちがコメディアン、ジェリー・ルイスの息子のバンド「ゲイリーとプレイボーイズ」の名前をもじった「サリーとプレイボーイズ」を結成してライブ喫茶「ナンバ一番」でグループサウンドの先駆けリンドアンドリンダースに名付けられた「ファニーズ」から東京で「タイガース」へと変貌していった。京都の呉服屋のボンボンの加賀テツヤもリンドアンドリンダースに加入し、その頃の京都には右を見ても左を見てもアマチュアとプロの境ぐらいのバンドがうろうろしていた。演歌界でも西陣出身の都はるみが64年にデビューしていた。運とやる気と才能の量でその後の運命が左右されていった。
そして、わたしが高校を卒業して洋楽にのめりこんでいた頃、京都駅前の「丸物(まるぶつ)」というデパートの屋上に海外ニュースのコーナーがあって、ミッキー・カーチスとサムライというバンドが海外ツアーをしている、という記事がよくあったので憧れた。外国で音楽のツアーをするというのはすごいことのように思ったのだった。
fumio

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加賀  



1960年代、毎日テレビ放送に「みんなの広場」という音楽バラエテイ番組があった。坂本スミ子が司会を務めジャズサックスの古谷充とザ・フレッシュメンなどがレギュラーで出演して、トランペットの日野皓正のバンドも出演して先鋭的なロックフィーリングの演奏を披露していた。この番組は日曜朝の楽しみだった。やがて時代がベンチャーズやアストノーツなどのエレキブームを迎え番組でもエレキバンドをデビューさせると宣伝した。芸能事務所「ターゲットプロダクション」の社長古川益夫がジャズ・ギタリスト加藤ヒロシにエレキバンド結成を指示して加藤が京都のダンス喫茶シアター「田園」に出演していたバンドのメンバーを集めて65年8月に「ザ・リンド」を結成した。ザ・リンドは「みんなの広場」にレギュラー出演して人気を博したが時代はビートルズの登場からヴォーカルグループサウンドに移行した。それで「みんなの広場」の番組中にザ・リンドにもヴォーカル部門「リンダース」を作ると宣伝した。視聴者は楽しみにして何週間も待った。そしてついに67年2月にヴォーカル部門「リンダース」の加賀テツヤのソロ名義で「ギター子守歌」をリリースした。それで演奏部門とヴォーカル部門を合わせて「ザ・リンド&リンダース」という形のバンドになったのだった。
●加藤ヒロシ(リーダー、リード・ギター)
●島 明男(ドラムス)
●宇野山和夫(ベース)
●高木和来(カズキ)(ギター、ボーカル)
ヴォーカル部門「リンダース」
●加賀テツヤ ●榊テルオ
その加賀テツヤは1979年に渡米してロサンジェルスでわたしのバンドSFの相棒中島茂男の住んでいた長屋の一室に居を構え自動車の整備工として働いていた。中島とわたしと加賀の3人でギターのセッションをしたこともあった。1981年1月のわたしたちSFのジャズクラブ「処女航海」でのコンサートに加賀テツヤも色々と手伝ってくれたものだった。加賀テツヤは1994年に帰国したようで14年間ほど米国に滞在してそして帰国後音楽活動を再開してしばらく活動しているうちに肺の持病が悪化して2007年(平成19年)12月30日に持病の悪化による肺病で61才で急死していている。合掌…。
fumio

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プログレッシヴロックグループSFのアルバム「プロセス」のミックスダウンについて

ミックスダウンとはトラックダウンとも呼び、8チャンネルトラック、16チャンネルトラック、24チャンネルトラックなどに録音したばらばらな楽器や歌をひとつにまとめ作品に仕上げる作業のことである。そのとき、各楽器の音色を調整し音量のバランスをとり、エフェクターをかけたりヴォーカルにエコーやリバーブをかけたりする作品完成のための最重要な作業なのである。
レコードのレコーディングはエジソンが「メリーさんの子羊」を歌ってレコード盤に直接刻んだ時代からテープを使用する1チャンネル1トラックのモノラルから2チャンネル使用するステレオへそしてビートルズの4チャンネル多重録音に始まるアナログ多重録音へと移りそして倍々(バイバイ)ゲームで8チャンネルそしてすぐに16チャンネルのスタジオが主流になりそれからなんと24トラックという大きい立派なスタジオが当たり前になってしまった。それでわたしたちもアルバム「PROCESS」のプロジェクトではハリウッドのチャイニーズシアターの向いのビルにあった「ガナパーチ」というインデイアン名のエンジニアがやっている24チャンネルスタジオPARANAVA STUDIOを録音に使用しのだがプロデューサーとしての宮下富実夫は厳しくて最高の作品を製作するためにはガナパーチのPARANAVA STUDIOはレコーディングには使用してもミックスダウンには機材がふさわしくないと判断した。理由は基本的な設備、装置や機材。それで当時最新最高の機材やエンジニアを揃えた有名スタジオインディゴランチ・スタジオ(INDIGO RANCH STUDIO)に予約を入れた。それでPARANAVA STUDIOにおいてすべての録音を完了してできあがったレコーデイング済みテープのミックスダウンにはインディゴランチ・24トラッスタジオ(INDIGO RANCH STUDIO)を使用することになったのだった。
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わたしは高校時代アメリカのヒットランキングをノートにつけていたのだが1965年のブリティシュ・インヴェィジョンの頃、Moody Bluesという英国のバンドのGo Now という曲がヒットした。おきまりのリズム&ブルースを基調にしたロックバンドだと思っていたのだがのちにポ-ル・マッカートニーに誘われてウイングスに参加するギターのデニー・レインが脱退してから採り上げる曲想が Tuesday Afternoon のようにがらりと変わってしまった。それからかれらの音楽はプログレッシヴロックと呼ばれるようになった。ヒットを目指すのではなく独特の思想性や内省的な世界観を表現しているようだった。
わたしたちがミックスダウンを行うことになったインディゴランチ・スタジオはそのムーディブルースが始めたスタジオでマリブの丘の上にあった。ニール・ダイアモンド、ヴァン・モリソン、ビーチボーイズ、ニール・ヤングといったミュージシャンたちがレコーディングに使用し、オリヴィア・ニュートン・ジョンはアルバム 「Totally Hot」 を78年にそこでミックスダウンしている名スタジオだった。

1980年11月4日、その日、わたしの一家は朝からピクニック気分でおにぎりを作って用意した。インディゴランチ・スタジオの中では昼食は買えないということなのでエンジニアの分まで作って持っていった。宮下富実夫の家族、島健の家族とみんなで曲がりくねった坂道を宮下一家の大きなヴァンに乗り込んで登って行った。着いたところはUFOが飛来するという噂にふさわしい趣(おもむき)のあるスタジオだった。わたしたちがスタジオに入っている間、家族たちはロビーや丘陵の広い庭で過ごすことができる環境であった。INDIGO RANCH(インディゴ・ランチ) 24chスタジオは当時最高のレコーデイング設備を備えていた。 スペイン語のランチョ(別荘)のように山の中腹にあるのでミキシングの日はピクニックのようだった。それで朝から妻が多くのおにぎりを握り、付け合わせのおかずを用意して行ったのだ。
プロデュースの宮下フミオの指揮の下、各楽器の音決めから試行錯誤のミキシングが進んだ。エンジニアはメインとサブがいて数人の助手がテープ類を用意してくれた。プロデューサーとしての宮下富実夫がまず中央に陣取りわたしと中島がその左右に座る。宮下は普段の友達関係の仮面を脱ぎ真剣勝負モードに入った。
24トラックの元テープをまわし、まずドラムスの音から音色を決めてゆくのだがそれに一番時間がかかった。スピーカーはJBLで音が粒立って聞こえる。細部まで視覚化して見えるように再生する。他の楽器やヴォーカルの音決めはあまり問題なく進んだ。それから一曲ずつ各楽器と歌のバランスやリバーブ、エコー、エフェクターなどのかけ具合など時間をかけてミックスしてステレオマスター・テープを作ってゆくのである。初めの録音時、キーボードの杉本圭がまだ不慣れなためにいわゆる白玉全音符でコードを押さえていただけのストリングアンサンブルのパートを宮下がこのミックスダウンの際に演奏のリズムに合わせて調整卓のフェーダーを上下してリズム感を出した。昼には宮下家の家族、関わったミュージシャン仲間、ミキシングエンジニアなど弁当を持ってきていない、みんなにおにぎりをふるまった。昼食はアメリカ人のエンジニアも和気藹々とおにぎりを食べてくれた。宮下が個人的に多重録音した「嵐」だけはミックスをひとりにまかせた。じゃまにならないようにわたしたちは席をはずしたのだ。一休みしてふたたびやり直して最終曲まで進み多くの耳で何度も何度も聴きなおしてみんながOKした時、やっと終了する。午後も集中してミックスを続けついにマスター・テープができあがってスタジオの壁に埋め込みになっている大スピーカーから出る音をみんなで聴き直していると「ドラゴン・ライダー」 でスタジオ全体が飛んでいるような錯覚に襲われたのだった。
fumio

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「未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind)」 という映画が1977年11月に公開された。翌年、その題名にちなんだような「エンカウンター(Encounter)」という日系の大型クラブがロサンジェルスのダウンタウンに開店するのでエンターティナーのオーディションがあるという噂が流れた。行くと多くのミュージシャンが集まっていた。
ロサンジジェルスのエンターティナーといっても色々でピアニスト、ギター奏者、ハープ奏者、ジャズバンド、マリアッチ、ロックバンドなどなど店や地区、人種によって様々である。当時エンターテイナーとして活躍していたロサンジェルス中のピアニスト、ギタリストが集まって覇を競った。ピアニストが多くギターではレコード大賞を獲得した「シクラメンのかほり」を弾き語りする人が多かった。順番にパフォーマンスをしてゆき、わたしも順番が来ると「シクラメンのかほり」をギターで弾き語りした。支配人は一週間分のエンターティナーを選考してそれぞれに曜日をあてがった。選ばれたのはやはりほとんどがピアニストだった。日本でレコードを出している歌手もいた。結局、ギターで選ばれたのはアコースティックギターのわたしとヒゲが印象的なエレクトリックギターの中島茂男だけだった。マネージャー、ジョージ氏は最後に、君たちはふたりでやってくれという。エンターティナーが二人でやるというのは聞いたことがない変な話しだったけれどバンドの入っている雰囲気がして店が華やぎ演奏が豪華になる。開店してしばらく店は大盛況だった。客が帰ったあと多くのホステスたちがチップの取り分争いでつかみ合いするのを目のあたりにして驚いたりしたものだった。
「エンカウンター」の支配人ジョージ氏は、プロデュース能力に恵まれて様々なイベントを企画してその開催したエンターテイナーオーデションはさながら天下一ミュージシャン選考会の様相を呈して日頃顔を合わせることのない他のエンターテイナーと知り合ったりしてコンテスト独特のある種の高揚感に包まれて楽しかった。その様子をラジオ局のサテライトスタジオと化したクラブからリモート生中継したりしてアナウンサーが番組の中でわたしになにか歌えと所望するのでわたしはその日の担当のピアニストにバック伴奏を頼んで「また逢う日まで」をライブで歌ったものだった。ところが、開店当時大繁盛していたクラブ「エンカウンター」が経営不振で突然つぶれてしまったのである。それでわたしはシゲさんとふたりで働ける店を探してハリウッドのクラブ「蝶」やLAPD(ロス市警)の隣の店「燈り」やダウンタウンのリトルトーキョーの白龍飯店(インペリアルドラゴン)に一緒に出ることにした。それである日、中島の長屋でビートルズの「No where man」など数曲練習していると、ヨーロッパツアーを終えてアメリカツアーにやって来たファーイーストファミリーバンドの宮下フミオが生まれたばかりの子供(ジョデイー天空)を抱いてやってきた。それが宮の下と山の下のフミオと中を取持つ中の島で構成されるバンドSFの始まりだった。
fumio

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昨年、 2023年12月10日 日曜の朝、歯を磨いているとロサンジェルス時代のバンドSFの相棒、中島茂男(シゲさん)から行ってもいいかと電話がかかってきた。
Wajindenというフロリダ州オーランドのギターバンドの毎年の日本公演に来たらしかった。2時に来るというので待っていると午後2時前にタクシーでシゲさんがひとりでやって来た。
シゲさんはコーヒーを飲みながらわたしのギブソン• ハミング• バードギターを弾き色々以前のレパートリーなどをわたしとセッションした。
年とともに声が衰えてきたのでバンドはヴォーカルなしという。わたしはバックを弾いてもらってマイウエイなど数曲以前のレパートリーなどを歌った。楽しい時間だった。シゲさんはこれから中目黒に行くというので驚いた。ずいぶん忙しくて大変らしかった。慌ててタクシーに乗り込んで行った。その
バンド公演の模様がユーチューブにアップしてあったのでそのセッションのことをなつかしく思い出した。
fumio


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英語版わかりあえる日まで」By the day we see eye to eyeの日本語訳
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「遥かなる昔より広大な宇宙に小さな星がある。われわれが住むその星は芯まで青く輝いている。
永遠にともに過ごせたらいいのに…。」

目は違うし、肌も違うし、顔も違う。
言葉も違えば、夢も違うし、国家も違う。

ライ- ララララ、 ライ- ラララララララ、

ライ- ララララ、 ライ- ラララララララ、 愛するだれかが必要なときは、わたしのそばに来て。
そしてあなたはこの世の終わりに孤独を感じる。あなたがどう泣いたか、どんな努力したか話して。
わたしの手を握り、目を見て
わが友よ、この歌で慰めてあげよう。 時代を超えて歌おう、所を飛び超えて、
人種を超えて歌おう、目と目を合わせてわかりあえる日まで。 悲しい涙も分かち合うたびに、痛みは氷のように溶け、
この世に生きていることの喜びに満たされる。 われわれがどうやって生き延びたか知らないの?どんなふうに再生復活したか知らないの?
わたしの言葉を受けて、わたしのやり方を見て。
あなたをこの歌でわたしのソウルに連れてゆこう。 世紀を超えて歌おう、国家を飛び越えて、
歴史を超えて歌おう、心と心が触れ合う日まで。 風に違いはなく、雲にも違いはなく、光にも違いはなく、
空に違いはないし、海にも違いはなく、陸にも違いはない。

ライ- ララララ、 ライ- ラララララララ、
ライ- ララララ、 ライ- ラララララララ、 戦火を越えて歌おう。鉄条ケーブルを飛び越えて、
欲望を越えて歌おう。われわれが手をつないで歩く日まで。 全地球を越えて歌い、航行者を飛び越え、
宇宙を越えて歌おう。目と目を見合わせてわかるあえる日まで。
心と心で微笑む日まで。
 兄弟、あなたと、姉妹、あなたと、友よ、あなたと。
********* ***** ***************************
fumio

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多くの国で通じる世界語としての英語ヴァージョンでも「わかりあえる日まで」By the day we see eye to eyeを歌った。
それがわたしたちが宇宙に発するプロジェクトだった。


*********************************************************************
<By the day we see eye to eye.>words and music fumio yamashita

“There is a tiny planet in the spacious universe from the long time before.
We all live on it that shines blue to the core.
Wish we’d be going together forevermore.”

Eyes are different,skins are different,faces arer diffrent.
Words are different,dreams are different,nations are diffrent.

lai- la la la la, lai- la la la la, lai- la la la la la,

lai- la la la la, lai- la la la la lai- la la la la la

 Come to me here by my side, when you need someone to love.
And you feel all alone in the end of this world.

 Talk to me how you cried,talk to me how you tried.
Hold my hand see my eyes.
I’m gonna comfort you,my friend.with this song.

 Sing across the ages, jump across the places,
Sing across the races,by the day we  see eye to eye.

 Every time we share sad tears, our pains melt like the ice,
We become full of joy for living life in this world.

 Can’t you see how we survived? can’t see how we revived?
Take my word see my way.
I’m gonna take you to my soul with this song.

 Sing across the centuries, jump across the countries,
Sing across the histries,by the day we  touch heart to heart.

 Winds no difference,  clouds no difference, lights no difference,
Skies no difference, seas no difference, lands no difference

lai- la la la la, lai- la la la la, lai- la la la la la,

lai- la la la la, lai- la la la la lai- la la la la la


 Sing across the fires, jump across the wires ,
Sing across the desires,by the day we  walk hand in hand.


 Sing across the whole earth, jump across the voyagers,
Sing across the universe.by the day we  see eye to eye.
By the day we  smile heart to heart.

 Brothers with you, sisters with you, my friends with you.
********************************************
fumio

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奈良で催された「第15回わたぼうし音楽祭」で優勝して「第1回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」の日本代表として2年後の1991年8月にシンガポール国立劇場「カランシアター」で開催されたアジア太平洋わたぼうし音楽祭というフェスティバル」に出場したのだった。
そして、わたしたちは日本帰国後、あちこちのフェスティバルや コンサートにゲストとして喚ばれ楽しい忙しい日々を過ごしたのだった。。
わかりあえる日まで」By the day we see eye to eye 
スター
ネヴァーギヴアップ
まことの光などなど…。
fumio

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予言の民、ホピ族は、世界的音楽イベントに出場するTRUE WHITE BROHERたち三人(Romio Miyuki Fumio)はそれぞれに十、卍、☆のシンボルマークが見えるという。わたしは原宿竹下通りの声優とモデルのプロダクション「ホワイト・エレガンス」で活動していたのでWHITE BROHERらしい。
イントロのナレーション担当の少年Romioはバプティスト教会で洗礼を受けたので十字、リードシンガー,Myukiとわたしは卍や☆がシンボルマークになるようだ。
fumo


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t988年11月、わたしが頸椎損傷のリハビリテーションのために転院した武蔵村山病院のリハビリ病棟にある日、劇団のヒロイン、Miyukiが見舞いにやってきて、わたしがアメリカでロックミュージシャンとして活動してレコードやカセットテープを製作していた、と話すとMiyukiは「わたしにもオリジナルソングを作ってください」と言い出した。イベントや歌謡ショーなどの司会などの仕事の時、歌を歌う機会があるので自分にもオリジナルの歌を作ってほしい、というのだった。その時、Miyukiは自分が音楽祭で優勝して外国で司会を受けてオリジナルソングを歌う立場になるとは夢想だにしなかっただろう。
fumio




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1991年8月にシンガポール国立劇場「カランシアター」で第1回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」「が開催されて、わたしたち日本代表チームは
リードシンガー、鈴木美由紀、
コーラス、山下勞美雄&富美雄の編成で参加した。
シンガポールは英語圏なので稽古では英訳して英語ヴァージョンでも歌ったのだった。
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By the day we  see eye to eye.

“There is a tiny planet in the spacious universe from the long time before.
We all live on it that shines blue to the core.
Wish we’d be going together forever more.”

Eyes are different,skins are different,faces are different.
Words are different,dreams are different,nations are different.

lai- la la la la, lai- la la la la, lai- la la la la la,

lai- la la la la, lai- la la la la lai- la la la la la
***********      ******************    ******   ***********

訳「遥かなる昔より広大な宇宙に小さな星がある。われわれが住むその星は芯まで青く輝いている。
永遠にともに過ごせたらいいのに…。」

目は違うし、肌も違うし、顔も違う。
言葉も違えば、夢も違うし、国家も違う。

ライ- ララララ、 ライ- ラララララララ、

ライ- ララララ、 ライ- ラララララララ、


 Come to me here by my side, when you need someone to love.
And you feel all alone in the end of this world.
 愛するだれかが必要なときは、わたしのそばに来て。
そしてあなたはこの世の終わりに孤独を感じる。

 Talk to me how you cried,talk to me how you tried.
Hold my hand see my eyes.
I’m gonna comfort you,my friend.with this song.
あなたがどう泣いたか、どんな努力したか話して。
わたしの手を握り、目を見て
わが友よ、この歌で慰めてあげよう。

 Sing across the ages, jump across the places,
Sing across the races,by the day we  see eye to eye.
 時代を超えて歌おう、所を飛び超えて、
人種を超えて歌おう、目と目を合わせてわかりあえる日まで。

 Every time we share sad tears, our pains melt like the ice,
We become full of joy for living life in this world.
 悲しい涙も分かち合うたびに、痛みは氷のように溶け、
この世に生きていることの喜びに満たされる。

 Can’t you see how we survived? can’t see how we revived?
Take my word see my way.
I’m gonna take you to my soul with this song.
 われわれがどうやって生き延びたか知らないの?どんなふうに再生復活したか知らないの?
わたしの言葉を受けて、わたしのやり方を見て。
あなたをこの歌でわたしのソウルに連れてゆこう。

Sing across the centuries, jump across the countries,
Sing across the histries,by the day we  touch heart to heart.
 世紀を超えて歌おう、国家を飛び越えて、
歴史を超えて歌おう、心と心が触れ合う日まで。

 Winds no difference,  clouds no difference, lights no difference,
Skies no difference, seas no difference, lands no difference

lai- la la la la, lai- la la la la, lai- la la la la la,

lai- la la la la, lai- la la la la lai- la la la la la
 風に違いはなく、雲にも違いはなく、光にも違いはなく、
空に違いはないし、海にも違いはなく、陸にも違いはない。

ライ- ララララ、 ライ- ラララララララ、

ライ- ララララ、 ライ- ラララララララ、

 Sing across the fires,
 Jump across the wires,
Sing across the desires, 

,by the day we  walk hand in hand.
 戦火を越えて歌おう。鉄条ケーブルを飛び越えて、
欲望を越えて歌おう。われわれが手をつないで歩く日まで。

 Sing across the whole earth, jump across the voyagers,
Sing across the universe,
.by the day we  see eye to eye.
By the day we  smile heart to heart.
 Brothers with you, sisters with you, my friends with you.
 全地球を越えて歌い、航行者を飛び越え、
宇宙を越えて歌おう。目と目を見合わせてわかるあえる日まで。
心と心で微笑む日まで。
 兄弟、あなたと、姉妹、あなたと、友よ、あなたと。
fumio

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test  


“There is a tiny planet in the spacious universe from the long time before.
We all live on it that shines blue to the core.
Wish we’d be going together forever more.”

Eyes are different,skins are different,faces are different.
Words are different,dreams are different,nations are different.

lai- la la la la, lai- la la la la, lai- la la la la la,

lai- la la la la, lai- la la la la lai- la la la la la

 Come to me here by my side, when you need someone to love.
And you feel all alone in the end of this world.

 Talk to me how you cried,talk to me how you tried.
Hold my hand see my eyes.
I’m gonna comfort you,my friend.with this song.

 Sing across the ages, jump across the places,
Sing across the races,by the day we  see eye to eye.

 Every time we share sad tears, our pains melt like the ice,
We become full of joy for living life in this world.

 Can’t you see how we survived? can’t see how we revived?
Take my word see my way.
I’m gonna take you to my soul with this song.

 Sing across the centuries, jump across the countries,
Sing across the histries,by the day we  touch heart to heart.

 Winds no difference,  clouds no difference, lights no difference,
Skies no difference, seas no difference, lands no difference

lai- la la la la, lai- la la la la, lai- la la la la la,

lai- la la la la, lai- la la la la lai- la la la la la


 Sing across the fires ,
 Jump across the wires ,
Sing across the deires,by the day we  walk hand in hand.


 Sing across the whole earth, jump across the voyagers,
Sing across the universe.by the day we  see eye to eye.
By the day we  smile heart to heart.

 Brothers with you, sisters with you, my friends with you.
***********      ******************    ******             ***********
fumio







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翻訳  


1991年8月、シンガポール国立劇場「カランシアター」で「第1回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」が開催された。
司会者、
“Fumio when he wrote this song had one dream, one desire in mind. he would like to see all mankind united as one to music.
And ,I personally feel that so far tonight, we all felt as one. havn't we, yes?
“I know some people upthere."

“I know some of you having feeling very emotional about all song, up to during rehearsal.
“ You realize, I personally did realize that I didn't have to understand the lyrics of the song to feel with the songwriter
To feel with the singer,I felt very sad, I didn't know the words when I heard some of the song. then I later read the translation in the souvenir magazin which each of you have.
“I felt I was'nt too far off the map. Seein' you is Fumio and his song tells the story and his song has a special message.
“Would you like to share that message with all of us Fumio!"
“ Yes, Hello ! people in Singapole and from many places asia .
I'm going to present you this special song for you and me all whole universe.
This song is written for not only asian people, universal people, thank you!"

“When you hear the song you will know exactly whatYamashita-san is trying to tell you ." 
Performing the song with Fumio is his son, ah… right on my right, on your left , Romio.
And the lady with him is Miyuki Suzuki.
“Ladys and gentle men, Japanese song,
“By the day we see eye to eye."
**************************************************************************** 
訳文
「フミオがこの曲を書いたとき、彼は一つの夢、一つの願いを抱いていました。音楽を通じて全人類が一つになるのを見たいと願っていたのです
。そして私は、今夜ここまで、私たち全員が一つになったと感じていると感じています。そうではありませんか?
「そこの上にいる何人かの人たちを私は知っています。」 「リハーサルの間まで、すべての曲にとても感情的になっている人たちがいること
を知っています。」 ご存知のとおり、私は個人的に、作曲者や歌手の気持ちを感じるためには歌詞を理解する必要はないことに気付きました。曲の一部を聞いたとき、歌詞がわからなくてとても悲しくなり、皆さんが持っているお土産の雑誌で翻訳を読みました。
「私は、自分がそれほど遠く離れていないと感じました。あなたがたに会っているのはフミオで、彼の曲は物語を語り、彼の曲には特別なメッセージがあります。
「フミオ、そのメッセージを私たち全員と共有してくれませんか?」
「はい、こんにちは!シンガポールの皆さん、そしてアジアの多くの場所の皆さん。
この特別な歌をあなたと私、そして宇宙全体に贈ります。
この歌はアジア人だけでなく、全宇宙中の人々のために書かれています。ありがとう!」

「この歌を聴けば、山下さんが何を伝えようとしているのかがはっきりとわかるでしょう。」 
フミオと一緒に歌うのは彼の息子、あー私の右で、あなたがたの左にいるのはロミオで
そして彼と一緒にいる女性は鈴木ミユキです。
「紳士淑女の皆様、日本の歌です。
----------------------------------------------------
  
わかりあえる日まで(by the day we see eye to eye)
                         詞、曲、山下富美雄
   「この広い宇宙の片隅に ポツンとひとつ星がある。
    青く輝くその星に 命に輝くその星に
    ぼくらはみんな住んでいる。 ひしめきあって生きている」

   1.膚が違う 瞳が違う 国が違う 夢が違う 言葉が違う
     ライララララ ライララララ ライララララ
     ライララララ ライララララ ライララララ

      もしも世界の 果てに住もうと
      人を愛する 心は変わらない

      もしもあなたに いつか会えたら
      こんな気持ちで 包んで歌おうか この歌
     
      世代を超えて 人種を超えて すべてを超えて
      わかりあえる日まで
 Every time we share sad tears, our pains melt like the ice,
We become full of joy for living life in this world.

 Can’t you see how we survived? can’t see how we revived?
Take my word see my way.
I’m gonna take you to my soul with this song.

 Sing across the centuries, jump across the countries,
Sing across the histries,by the day we  touch heart to heart.

 Winds no difference,  clouds no difference, lights no difference,
Skies no difference, seas no difference, lands no difference

lai- la la la la, lai- la la la la, lai- la la la la la,

lai- la la la la, lai- la la la la lai- la la la la la


 Sing across the fires, jump across the wires ,
Sing across the desires,by the day we  walk hand in hand.

Sing across the whole earth, jump across the voyagers,
Sing across the universe.by the day we  see eye to eye.
By the day we  smile heart to heart.

 Brothers with you, sisters with you, my friends with you.
********************************************************************
fumio             



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1991年8月、シンガポール国立劇場「カランシアター」で「第1回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」が開催された。
司会者、
“Fumio when he wrote this song had one dream, one desire in mind. he would like to see all mankind united as one to music
And ,I personally feel that so far tonight, we all felt as one. havn't we, yes?
“I know some people upthere."
“I know some of you having feeling very emotional about all song, up to during rehearsal.
“ You realize, I personally did realize that I didn't have to understand the lyrics of the song to feel with the songwriter
To feel with the singer,I felt very sad, I didn't know the words when I heard some of the song. then I later read the translation in the souvenir magazin which each of you have.
“I felt I wasn't too far off the map. Seein' you is Fumio and his song tells the story and his song has a special message.
“Would you like to share that message with all of us Fumio!"
“ Yes, Hello ! people in Singapole and from many places asia .
I'm going to present you this special song for you and me all- whole universe.
This song is written for not only asian people, universal people, thank you!"

“When you hear the song you will know exactly whatYamashita-san is trying to tell you ." 
Performing the song with Fumio is his son, ah… right on my right, on your left , Romio.
And the lady with him is Miyuki Suzuki.
“Ladys and gentle men, Japanese song,
“By the day we see eye to eye."
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わかりあえる日まで(by the day we see eye to eye)
                         詞、曲、山下富美雄
   「この広い宇宙の片隅に ポツンとひとつ星がある。
    青く輝くその星に 命に輝くその星に
    ぼくらはみんな住んでいる。 ひしめきあって生きている」

   1.膚が違う 瞳が違う 国が違う 夢が違う 言葉が違う
     ライララララ ライララララ ライララララ
     ライララララ ライララララ ライララララ

      もしも世界の 果てに住もうと
      人を愛する 心は変わらない

      もしもあなたに いつか会えたら
      こんな気持ちで 包んで歌おうか この歌
     
      世代を超えて 人種を超えて すべてを超えて
      わかりあえる日まで
 Every time we share sad tears, our pains melt like the ice,
We become full of joy for living life in this world.

 Can’t you see how we survived? can’t see how we revived?
Take my word see my way.
I’m gonna take you to my soul with this song.

 Sing across the centuries, jump across the countries,
Sing across the histries,by the day we  touch heart to heart.

 Winds no difference,  clouds no difference, lights no difference,
Skies no difference, seas no difference, lands no difference

lai- la la la la, lai- la la la la, lai- la la la la la,

lai- la la la la, lai- la la la la lai- la la la la la


 Sing across the fires, jump across the wires ,
Sing across the desires,by the day we  walk hand in hand.

Sing across the whole earth, jump across the voyagers,
Sing across the universe.by the day we  see eye to eye.
By the day we  smile heart to heart.

 Brothers with you, sisters with you, my friends with you.
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fumio             









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1991年8月にシンガポール国立劇場「カランシアター」で「第1回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」が開催されて、わたしたち日本代表チームは
リードシンガー、鈴木美由紀、
コーラス、山下勞美雄&富美雄の編成で参加した。
シンガポールは英語圏なので稽古では英訳して英語ヴァージョンでも歌ったのだった。
すると、番組制作に来ていたNHKのプロデユーサーが日本語もいれてほしいというので
本番では日本語と英語を混ぜたヴァージョンをパフォーマンスしたのである。
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わかりあえる日まで(by the day we see eye to eye)
                         詞、曲、山下富美雄
   「この広い宇宙の片隅に ポツンとひとつ星がある。
    青く輝くその星に 命に輝くその星に
    ぼくらはみんな住んでいる。 ひしめきあって生きている」

   1.膚が違う 瞳が違う 国が違う 夢が違う 言葉が違う
     ライララララ ライララララ ライララララ
     ライララララ ライララララ ライララララ

      もしも世界の 果てに住もうと
      人を愛する 心は変わらない

      もしもあなたに いつか会えたら
      こんな気持ちで 包んで歌おうか この歌
     
      世代を超えて 人種を超えて すべてを超えて
      わかりあえる日まで
 Every time we share sad tears, our pains melt like the ice,
We become full of joy for living life in this world.

 Can’t you see how we survived? can’t see how we revived?
Take my word see my way.
I’m gonna take you to my soul with this song.

 Sing across the centuries, jump across the countries,
Sing across the histries,by the day we  touch heart to heart.

 Winds no difference,  clouds no difference, lights no difference,
Skies no difference, seas no difference, lands no difference

lai- la la la la, lai- la la la la, lai- la la la la la,

lai- la la la la, lai- la la la la lai- la la la la la


 Sing across the fires, jump across the wires ,
Sing across the desires,by the day we  walk hand in hand.

Sing across the whole earth, jump across the voyagers,
Sing across the universe.by the day we  see eye to eye.
By the day we  smile heart to heart.

 Brothers with you, sisters with you, my friends with you.
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そしてその模様は同年九月十四日午後九時、
『ひびけ いのちの歌声 第1回アジアわたぼうし音楽祭』と題してNHKTVで放映された。
当時の担当ディレクター、寺谷一紀(いちき)氏は、のちにアナウンサーに転じて活躍している。
fumio


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