てつがくカフェ@ふくしま

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てつがくカフェ@ふくしま報告2023.1.21.「日本人とは何か?」

2023年01月30日 19時52分04秒 | 定例てつがくカフェ記録
1月21日㈯に開催された「てつがくカフェ」について世話人から報告させていただきます。


会場とオンライン(Zoom)の同時開催となりましたが、

会場には8名、オンラインでは7名の計15名の方にご参加いただきました。






「日本人とは何か?」というテーマで対話が行われましたが、

ここで参加された方の発言の一部を紹介したいと思います。

・このテーマですけれども、本日は「日本人とは何か?」という去年の2月にですね、皆様からいろんなテーマを出していただいた時に出た案の一つだったかなというふうに思っております。「日本人とは何か」っていうちょっといいテーマがうまく思い浮かばなかったんですよ。日本人について考えてみたいなと言うことです。まあ、日本人という定義の問題もあるかもしれませんし、それとは別に日本人の特徴みたいなことになるのかもしれません。ただあんまり特徴というのも結構イメージの話になっちゃうかもしれませんが。それも含めて皆様の日本人に関するイメージで、そういったものから話し始めて、何か考えが深まっていけばと言うふうに思っております。それでは、ここからは皆様がご自由にご発言いただきたいと思いますので、発言ある方は挙手ないしはお声がけお願いいたします。

・初めて参加させていただきました。私この会合に参加させてもらった理由の一つは、日本人の考え方の一番低い部分というか、底流にあのどういうものがあるのかなっていうふうなことに、興味を持って参加しました。それで、私が考える日本人のその考え方の部分の特徴の一つは、自然との何とか融和性が高いんだなあっていうふうに思います。なんでも自然の大きな岩とかあったりすると神様にするし、石ころでも神様にするしで。人によっては、資本主義の国の中で、そういう自然崇拝があのアニミズムとかいう人もいるだと思いますが、そういうものを色濃く持ってる。人種っていうか非常に稀だっていう風に言う人もいますね。これからの平和とか、それから人間以外の命とか、そういうこととの関わり。こういう考え方ってある面でこうなんかちょっと遅れたように思われるところもあるけれども、でも結局は一周遅れのトップランナーみたいな。これから必要となるような考え方を私たち日本人というのは持ってて、それを意識して大事にしていくっていうのが、もしかしたら必要になるのかなというふうな、そんなこと思って今日、他の方の考えとかも伺いたくて参加させてもらいました。

・日本人っていうのを意識するときに、私は海外で一ヶ月ぐらい旅行したことがあるんですけど、ヨーロッパをずっと。日本じゃないと知れない文字であったり、言葉であったり、まあ文化ですね。日本人っていうのは他社と触れることで違いが知れたってのが私の経験であって。それって日本じゃなくて、日本国内でも他者と触れることで違いが向きだつというか。私は東京の大学に行ったいましたが、東京に行くと方言をすごく感じるようになるんですよ。福島県にいると感じなかったことが他者との交流で強く浮き出す。なので、日本人とは何かと考えた時は他者と何かとの違いによって浮き出すことが多いんじゃないかなと。自分の中で考えて思いました。

・ この間のワールドカップとかで、日本人のサポーターが観戦後にスタジアムのゴミを持ち帰るというのがあって。ラグビーだったり、サッカーだったり、国際的なスポーツの観戦において、日本人のマナーが良いということで海外のメディアに取り上げられたというようなことがあったと思うんですけど。そう言った時に、海外との対比というか、日本人のモラルというかマナーというか。そういうものが海外とは違うんだというのが浮き彫りになっていて面白いかなと思いました。あとは、日本人は拾った財布を警察に届けるとか、震災の時も列を守ったりいうようなことが、海外から称賛されていたりというようなことを聞いたことがあるんですけれど。それって日本人の何か文化というか、これまで形成されてきたものとして、それが形になって現れているのかなということを思った次第です。

・前から不思議に思ってるんですけど、あのワールドカップでゴミとか拾うじゃないですか?あれって「あれだけだよね」と思ったんですけど。日本人はゴミ拾うというそんな文化もないし、拾ってる奴は日本の中で見たことない。野球場なんか行ってみてもゴミなんか拾った奴を見たことない。だから、サッカーとかそれぐらいで、なんであの人たちがやってんのかなって僕はすごく不思議で。僕はあの日本人じゃないと思ってるんですけども。皆さんはちゃんとどっか行ったらをゴミを拾っているのかというのを聞きたいです。

・例えば、今ワールドカップのゴミ拾いとかが出たんですけども。それは本当に日本人なのかなってよく分からなくて。例えば在日の方も一緒に行っていて、その人たちは例えば同じような行動した時に日本人と言われてしまうことをどう思うんだろうとか考えた時に。今出てきたような話の多くは日本で生活してる人であれば、なんとなく癖になってしまっていることであったり。あるいは日本で生活することによって、そのようなことをするのが、なんとなく自然になるものであるのは事実だと思うんだけれども。それを日本人と言ってしまうことで、国籍的に見たときに、日本人とは言われない人から見た時にどのような捉え方がされるのかなと思った時に、あんまり日本人という言い方をしてしまうのは、僕はあの好まないなと思いました。だから逆に「日本人とは何か?」といったら日本のパスポートを持っていて、国外に行った時に何かやらかした時に外務省がとりあえず何か対応してくれる人が日本人で、それぐらいの意味があるなと思うんですけれども。その意味では、少なくとも間違いなく日本人と日本人じゃないものっていうものははっきり分かれると思うんですけれども。それ以外のところで、それは本当に日本人と言ってしまっていいんだろうかってに関しては、ちょっと慎重になりたいなあっていうのが率直な気持ちです。

・今の話と大体関連するんですけど、要するに日本人と言った時の基本的な枠組みを形式的かもしれませんが、押さえておくことも大切かなと。今国籍という言葉が出てきて、日本国籍を持つということがもう一つ押さえておくべきことかなと。それで、あと日本国憲法について。日本は政府がということでしょうけれど、国民の生命財産を守ると、要するに国民と言った場合、日本国民、日本人の生命や財産を守ると。だから思うのは、外国でいろんな事件とか紛争が起こって日本人が巻き込まれた時に、外務省がすぐに日本人の被害を受けた人がいないとか、犠牲者がいないとかっていうことが話題になる。これも要するにかなり自己中心的というか。他の例えばアラブ地域で日本人が事件に巻き込まれて、被害を受けるとか受けないとかあったら、それは日本国憲法の保護するというのはその通りなんですが。他の国の人たちについてはあんまり関心がないのかなとも思う。人権という点から、普遍性ということで考えた時にやや自己中心的かなという感じは受けてるんです。それと、もう一つはこれらの天皇制の問題とも絡んでいて。要するに、日本国憲法で天皇という立場は、日本国および日本国民の総意というか。あるいは日本国民の象徴ということですよね?そういうことは、普段我々はあんまり日常的に意識してないんだけど。こういう憲法の点からいうと、そういうことで縛られているのかなというふうに思ってるんです。だからまあ日本人といった時に、思いつきですが一つは国籍。日本国籍を持っているのが日本人で、それと憲法で国民として認定・認識されている人たち。それから、その憲法が規定している天皇制の問題。無意識的意識的にしろ包含されている国民・人間ということ今思ったんです。

・報道はあまりされないのは、他の国の人は日本はやっぱり単一民族でよく言いますよね。他の国の人もいるけど、ほぼマジョリティーは日本人。そうすると、それにこう比べて、例えばカナダとかアメリカとかほとんど移民でできた国なんですよ。フランス人もいれば元日本人もいる。そういう意味でそれを報道しないとするのが当たり前っていうのが、他の国からすると。だから、そうすると例えばフランスの犠牲者は何人とか、そういう言い方をするんじゃないかと思うんで。そういう意味で単一民族の国っていうのは(国際的にも)非常に少ないんじゃないかと思いますよね。それと同時にさっきちょっと、こういうのは面白い例もあると思ったんですが、例えば海外のレストランに行くと。その時に皿が出てきたりすると、特に女性の場合なんだけど、まとめてこっちに置いたりとかね。いかにも便利なようにウェイトレスの人が下げたり、また今度持ってきたりする時に、そういうやり方をするんだけど。多くのウェイトレスは「それは失礼だ」「私たちの仕事だ」と言ってね。「そんなことやるくらいだったらチップおいとけ」と言うんですよね。それだけにかかわらず、特に日本の一般の人っていうのが、相手のことを考えているようだけど、それは私がっていうことを中心に考えて、あんまり相手のことを考えてないんじゃないかと。でも、まあ、私がこうしてほしいってことをやる。それが良い事も分からないけど、相手には通じないってこともあるのかなと。

・ 先ほどの報道の件で、日本人の被害が出ませんでしたということに関して、若干国の肩を持とうかなと思ったんですけども。外務省の仕事としては国民の保護っていうのが多分仕事なので、外務省自身がその保護しなきゃいけない人がいるかどうかって、何かあったときに調べるのは仕事だし。そういうことをしましたっていうのを外務省が発表するところまではやはり必要なのではないかなって気がして、僕は見てるんです。ただ、それをニュースとかで大々的になんかあたかも「日本人の人はいなくて良かったね」みたいな感じで報道することは、仰る通り「どうなの?」って思うところがあって。なので、これは国の問題ってよりは、むしろ報道側の姿勢の問題だなあと思っていました。

・国籍の話が出まして、後は単一民族という話も出たので。ついでに言っておくと日本は本当に難しい問題を抱えていて。僕はこの問題を考える時に真っ先に思うのが、在日コリアンの皆さんのことを考えたんですけども。国籍は持っていない訳ですよね、帰化していなくて。でも、もうずっと日本に住み続けざるを得ないっていう。多分、それは私たちが強制連行して来たからなわけですけれども。それに対する今、ものすごいバッシング的な事が行われている。ああいうことをバッシングするのも多分日本人だなあ、すごく日本人らしいなというふうに思うところがあるのと。逆に、例えばアメリカで、先ほど移民の国の話になりましたけども。黒人の皆さんに向かって、「アフリカに帰れ」とかっていうそういう差別はありえないじゃないですか。黒人差別が実際あって、今でもまだ残っていると思うけども、「アフリカに帰れ」とは言わないと思うんですよね。そこらへんでやっぱり、それはあくまでもちろん国籍を持ってるからってのもあるんですけれども、国籍は持たないけど、日本に住んでる人っていう問題っていうのを。「あなたは日本人じゃないよね?」って。この問題を考えた時にすごく、喉に骨が刺さってる感じがするという気がします。

・今の話に関連して質問なんですけれども。トランプがメキシコからの移民に対して「メキシコに帰れ」みたいな、ああいうことをやっていたのは、彼らは自発的にアメリカに入ってきたっていう意味では、日本の場合の在日朝鮮人、韓国人の問題とは若干違いはあるけれども。ただ、構造的には実は同じようなところもあるのではないかなと思っていて。なので、何かそのネイションというか国というものを重々しく考える人にとっては、何か共通のやり方なのではないかというような感じがするんですけど、その辺いかがでしょうか?

・今の点に関して言うと、ちょっと僕の中で全然まだ整理がつかないんですけども何かが違う気がする。というか、まあそれで言うならば、日本はそもそも今もう移民をほぼほぼ受け入れてない、受け入れないようにしている。それは世界でも本当に少数派に入るトップクラスの移民を受け入れない国ですよね。それで、そこはなんというか、単一民族というのは僕は嘘だと思うんですけれども。すごく同質性というか、「みんな日本語喋るでしょう?」みたいな。そういうなんて言うか。帰化するのも条件が厳しいのもそうなんですけど。「日本に溶け込むことをもってして日本国籍を与えますよ」みたいな。そういう所があって、日本人になるみたいな。アメリカとかが「アメリカ人になれ」っていうのは、やっぱりアメリカ国籍を持つことによって、アメリカへの所属というか忠誠心っていうのがあるんだけど。なんかそれと違うレベルで日本人的な感性じゃないけど、考えとか「そういうものをも含めて日本人になってね」みたいな。なんかそういうようなところが単なる国籍問題にもそこがなんか含まれてしまっていて。ごめんなさい、今の移民の話で別ですね。移民の話とちょっと別だけども、そういう外から入ってくる異分子に対する排他性というのはとりわけ強いというか、感じはしなくもないというところですかね。

・今話を聞いていて思ったんですけど、近代国家というかその国籍問題が出る前は、昔朝鮮からの技術者がいっぱい入ってきて、もう天皇もあちらの人だっていう話もあるので。まぁ遠い昔はそういう技術が朝鮮からいっぱい入ってきて、混ざって今の日本人も単一ではないですけど、最近その在日の問題はやっぱり国家とかね。そういう国籍というのがきちっと決まっているから未だに残っている問題なのかななんて、今の話聞いてて思いました。

・「日本人とは何か?」と考える場合に形式的に日本人を規定するのは、やっぱり国籍なのかなと思うんですよ。ただ、それとは別にやっぱり住んでる所で考え方がとてもこう違うというか、バリエーションがあるなと感じています。最近一番衝撃的に思ったのは、ロシアのウクライナに侵攻した時に、日本人のほとんどは「とんでもないことだ」というふうに思ったんではないでしょうか。「ロシアが悪い」「侵略だ」と。でも、国連の場で採決なんか見てみると、かなりの国がロシアに対する経済制裁なんかもを保留しているし、南アフリカ共和国なんかも制裁に加わってないですね。こんなに大きな考え方の違いが住むところによって違う。なんでだろうと思うと、例えば南アフリカ共和国はアパルトヘイトという黒人隔離みたいな政策の時に、それに反対する人を支援したのがソビエトだったんですね。そういう経緯がある。あるいはインドなんかだと、かつてヨーロッパが今は人権を大事に言ってるけど、2~300年前は酷いことやってるわけですね?インドを収奪するだけ収奪したという。そういう歴史があるので、やっぱり住むところによってこれだけ大きな考え方、日本人から見るとロシアのウクライナは勝手で絶対許されないと思ってることが、世界の中の全ての人がそう思ってるわけじゃないというのはとても衝撃を受けました。「日本人とは何か」という特定はできないけれども。考え方は日本人の日本人じゃないところで、白か黒かの違いぐらいがあり得るんだって感じをしています。

・先ほど世話人から話があった単一民族というのはちょっと疑わしいという話で。そんなはずじゃないとおっしゃって、私もそんな感じがするんだけど、要するに単一民族、日本の場合は民族的には熊襲(※南九州に居住した種族)もいたでしょうし、アイヌ民族だってそうだし、沖縄の人たちだって全く人種的に大勢である日本人とちょっと違うかもしれない。それと歴史を辿るば、三~四世紀から五~六世紀にかけて、朝鮮の方から朝鮮の人々いっぱい入ってきた、新しい文化文明を持って入ってきた。仏教なんかもそうですよね。にもかかわらず。単一民族というような話が出てくる。大和民族という捉え方ができる。出てきてしまうんだけど、これは私の思いつき的な意見になるけども。どうも西洋を中心に考えると、キリスト教という絶対神を信じるということで、王権と二つに分かれてきたんですけど、日本の場合はそうでなくて。古事記とかそういうこと考えると巫女みたいな、天皇が神であって。また武力的にも王権的にも一緒になっていた。今もそれ引きずってると思うんですけど。そういうことで。民族的には単一民族、純粋民族として考えたいというそういう根っこの精神的な記号的な流れがあるんじゃないかなと。天皇制が宗教的な意味で神みたいな形を纏って。それからあの王権的に武力的にも武家政治が始まる前まではそういう形だったんだと思う。そういう歴史伝統があって、民族的には純粋である単一であるというふうに考えてたがる精神的な流れがあるんじゃないかなと思うんです。

・日本人がそういうところがある可能性ももちろんあると思うんですけども。でも、同じようなのは多分ナチスドイツがやってたことも多分同じで。美しきアーリア人みたいなことを訴えて、それでそれに対して最も反対にあるユダヤ人をその排除していくっていうようなやり方っていうのは構造的には一緒じゃないでしょうかね。だから、何かその自分たちの国、あるいは自分たちのまとまりの正当性を認めようとするときに、認めさせようとする時に、あるいは何かを同質なもので集まろうとするときの最もパワフルなロジックとして同じことをやってるだけに過ぎないんじゃないかという気もします。

・先ほど宗教の話が出たので、私は日本人の宗教との関わりはすごくユニークだと思っています。大体仏教の文化が根強く残ってるんですが、西欧の人がキリスト教を信じるような厳密さはあまり無いというか。神頼みもするし、お盆とか供養もするし、そういうふうにするんだけども。本当に宗教として信じているかっていうと怪しい。日本はかなり特徴的なことなのかなと思って、それが強みであるのか弱みであるのか分かりませんけども。とても日本人の仏教、宗教、特に仏教に対する感覚というのが緩やかで、私は良い所もあるんだと内心思っております。

・宗教のことなんですが、この2~3日前にドイツに行ってた人と会ったんですよね。それで、彼女はいわゆる今回のコロナのいろんなこう問題で、ドイツ政府が来た人には金をあげるとかで。それで「アプリケーションフォームを書け」と言われた時に、やっぱり「あなたの宗教は何ですか?」という質問があったらしくて。彼女は「別に宗教があるわけじゃない」とそこの返答しなかったんですよね。そしたら出なかったっていうの。だから、ドイツではそれぐらい宗教に関して、キリスト教がほとんどだろうけど、それぐらいこう宗教っていうものが政府の方針っての生き方っていうのに関係してるんだと。それを比べると日本は返って、ひょっとしたら「日本人の生き方ってなんや分かりません」みたいな感じがずっと言ってて、「それでうまいこといってるじゃないけ」みたいなとこもないんじゃないかっていうのが僕なんかのスタイルですよね。

・先ほどの方が日本人の宗教と非常に世界的に特徴的じゃないかと最初に発言された時、アミニズム自然崇拝だとかという話がありました。私もそう思います。ただ。そういう風になってきたのはやっぱり地球を俯瞰した時にやっぱり置かれた位置ね、アジアの端っこに位置している日本列島。それで自然の影響はモンスーン気候で。非常に四季がはっきりしている。そういういろいろなことから自然というものに対するまあ恐れもあるし、崇拝もあるし。ということで出てきたんだと。特に、例えば山だとか山腹にある石ころね。あんなものも神様として、しめ縄で巻いて拝んでいるんですよ。たぶん、ああいうのって、あんまり世界的に見てないんじゃないかと思う。そういうのは何で出てきたかっていうのが、今すぐには思いつかないんですけど、まあ、そういうことで。トータルに考えると地理的な置かれた場所、気性的なものとか。あと端っこにあったということで。やっぱり世界的に交流が少なかったんじゃないかと。というようなことで、要するに独りよがりというか、自分の殻に固まっている。そういうようなことがあって、単一民族とか我々純粋な民族だよとそんなことを考えて上がってきたのかなと思ったんです。


上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓








次回のてつがくカフェは、

2月18日(土)15時から福島市市民活動サポートセンターとZoomの同時開催で行います。

テーマは当日の話し合いで決めます。


なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。


また、オンライン(Zoom)による参加をご希望の際は、

ブログ上にZoomのURLを掲載しておりますので

該当記事の「Zoomミーティングに参加する」の下の

URLをクリックして頂ければZoomに参加することができます。

会場参加同様、オンライン参加につきましてもお申し込みは不要です。



そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。


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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

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