離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

一足先に人生を知ること

2012-06-16 04:26:27 | 日記
離婚をした直後や

それに囚われている状態では、

そのマイナス面にしか目がいってないであろう

自分を責めて、反省し

相手を責めて、恨む

先に紹介した諸冨先生の著書にも書いてあるが、

人生は思い通りにならないことの方が多い。

そのことに今、気づけたことはすばらしい点のひとつである。

今という意味は、少なくとも死ぬときでない、まだ人生が残ってる今という意味である。

わたしの周囲でも、

20-30代であることもあるだろうが、

結婚や、出産の喜びの報告も多いし、

仕事や夢で、希望や可能性を追求している人も多い。

実は40代でもそういう人がまだまだ多い。

それ自体は喜ばしいことだし、良いと思うのだが、

本当の意味で、人生を生きているとは言えないと思うのだ。

震災を見て、心うたれる人は多いだろうが、

自分が被災者でなければ、TVの中のことのようかもしれない。

TVでの通り魔殺人を聞いてもやはり他人事だ。

人間とはそういうもので自分にふりかからなければ気づけないのだ。

だから多くの人が

「まさか自分が・・・・」

という言葉を絶望のなかでつぶやく。

逆におかしいと思わないのがおかしいのだ。

なぜ自分だけは、光輝く理想の人生、希望どおりの人生がおくれると思っていたのだろうか。

どうして自分は辛い出来事に遭遇しないと思っていたのだろうか。

ただの錯覚だし、勘違いだし、過剰なポジティブ思考だし、

世間の広告にだまされているにすぎない。

人生では自分の希望することもあるし、そうでないことも起こる。

そして多くのことをあきらめていくのが人生のひとつの真実でもある。

希望に燃え、幸せの絶頂にある人は、

その真実から目を背けたいし、耐えられないから

そういう人の話を聞いても、ネガティブだとか、深刻すぎるとか、病んでいると笑うが、

私からすれば、逆にかわいそうに映る。

人間は希望や期待だけの人生を送ることはできない。そんな人は聞いたことがない。

挫折を知らず、40、50代ではじめて挫折し、自殺を選ぶ人も多い。

毎年3万人以上が自殺するなど、どう考えても異常であろう。

少なくとも死を前にして、はじめて人生の意味に気づくかもしれない。

でも死を前にして気づいても、もう何もできない。

だから、今気づいたら、すぐに修正するのだ。

自分の人生をやり直そう、

正確には、これまでの人生も経験であり、その土台の上に、新しい人生を築くのだ。

離婚をしてもそのことまで気づけない人もいる。

他罰的な人はそうだ。

ほんとうの意味で、絶望を受け止めてはいない。

どこかに、相手さえ違えばと、希望を抱いているのが深層心理だ。

離婚の理由はひとつではないはずだ。

相手と自分、それを取り巻く周囲、すべてが複雑にからみあい、

けしてひとつの理由に断定などできないが

人間は何か理由があると安心できるから、てっとり早く見つけて断定する。

でもそれは、人生の真実を見たくない拒否であり、事実に目を向けていない。

人生を生きるとは、こういう辛いこともあるし、

自分ではどうにもできないこともある。

自分に原因の主があるにせよ、相手にあるにせよ、

いずれにしてもこの結果を受け止めて生きるしかない。

そして、それが生きるということの本質であると知ったときからが

ほんとうの人生である。

このブログをせっかく読んでくれているのだから、

しっかりとそのことを認識してほしいと思う。

そしてその上で、

人生を悲観し、他人を排除し、恨み、妬み、過ごしていくのではなく、

自分というもの、自分の人生というものを肯定して生きていくこと。

認めて生きていくということ。

自分の中心でがっちりとした不動の強い軸を作り、

生きていくことが大切ではないだろうか。

それを決断し実行できるかどうかは、あなた次第である。