こんばんわ。
最近、見ていて不思議ではないですか?
高島政信さんと、美元さんの裁判。
全く意見が違うように見える。。。
そんなことありえません。
なぜなら、同じ環境で生活しているから
認知の仕方は違えど、事実はひとつだけ。
もちろん正しいとか、間違いではないんです。
どちらもおそらく正しいことを言っていません。
なぜなら、これは裁判だから。
「意見がかみ合っていませんねぇ」
というテレビの解説は的が外れているんですね。
離婚は、もちろん協議離婚からはじまり、
調停となり、調停には、離婚調停と、円満調停があり、
そこでも決着しなければ、裁判となる。
今日、テレビでも言ってましたが、
子どももいないし、お金でもめているのでもないのに、
裁判までいくのは珍しいのです。
それにDVテープが出てくるあたりが相当に激しい。
もう完全に勝つか負けるかしか、双方にはありません。
これで円満にもう一度夫婦なんてことはありえません。
しかも、どういう結論になっても、お互いに相当傷ついているし
心はボロボロです。
もう双方の弁護士の完全な戦略のうちなのです。
どう発言し、どう装い、どういう戦略で臨めば
最終的に自分にとって良いかの。
離婚裁判とはこういうものです。
だからそんなのしないほうがいい。
どうせ裁判官は、ただの役人で、他人です。
自分の人生とは関係がないんです。
だから、どちらかが、執着を捨てるのです。
まあ、この場合は、奥様の方ですね。
自分がどんだけ正しくても、相手のことを好きでも
相手が嫌だというのだから、しょうがないんです。
もちろん、相手は、メンタルの病気かもしれないし、
一時的なことかもしれない。
でもしょうがないんです。
少なくとも今は。
あなたが奥様の状況で、仮に、ほんとうに自分が正しくて、
執着を捨てられるでしょうか?
かなり辛いと思います。
でも、この執着を手放すところからはじまります。
どんなに苦しくても、辛くても、不可能に思えても、
手放すことでしか。進めないときがあります。
私がいつもいう、執着を手放すとは、
物事の善悪、価値判断を超えなければできません。
自分が仮に120%正しいと思っても、
その上で手放す勇気のことなのです。
それができるかできないか、
成熟への差となるでしょう。
善悪、正誤、利損、そんな次元には
執着を手放すことはできません。
どんなに悔しくても、不条理でも、不合理でも
それでも手放す。
ただし、執着を手放すことは
自分が負けるとか、責任あるということとは違う。
成熟への、唯一の道です。
最近、見ていて不思議ではないですか?
高島政信さんと、美元さんの裁判。
全く意見が違うように見える。。。
そんなことありえません。
なぜなら、同じ環境で生活しているから
認知の仕方は違えど、事実はひとつだけ。
もちろん正しいとか、間違いではないんです。
どちらもおそらく正しいことを言っていません。
なぜなら、これは裁判だから。
「意見がかみ合っていませんねぇ」
というテレビの解説は的が外れているんですね。
離婚は、もちろん協議離婚からはじまり、
調停となり、調停には、離婚調停と、円満調停があり、
そこでも決着しなければ、裁判となる。
今日、テレビでも言ってましたが、
子どももいないし、お金でもめているのでもないのに、
裁判までいくのは珍しいのです。
それにDVテープが出てくるあたりが相当に激しい。
もう完全に勝つか負けるかしか、双方にはありません。
これで円満にもう一度夫婦なんてことはありえません。
しかも、どういう結論になっても、お互いに相当傷ついているし
心はボロボロです。
もう双方の弁護士の完全な戦略のうちなのです。
どう発言し、どう装い、どういう戦略で臨めば
最終的に自分にとって良いかの。
離婚裁判とはこういうものです。
だからそんなのしないほうがいい。
どうせ裁判官は、ただの役人で、他人です。
自分の人生とは関係がないんです。
だから、どちらかが、執着を捨てるのです。
まあ、この場合は、奥様の方ですね。
自分がどんだけ正しくても、相手のことを好きでも
相手が嫌だというのだから、しょうがないんです。
もちろん、相手は、メンタルの病気かもしれないし、
一時的なことかもしれない。
でもしょうがないんです。
少なくとも今は。
あなたが奥様の状況で、仮に、ほんとうに自分が正しくて、
執着を捨てられるでしょうか?
かなり辛いと思います。
でも、この執着を手放すところからはじまります。
どんなに苦しくても、辛くても、不可能に思えても、
手放すことでしか。進めないときがあります。
私がいつもいう、執着を手放すとは、
物事の善悪、価値判断を超えなければできません。
自分が仮に120%正しいと思っても、
その上で手放す勇気のことなのです。
それができるかできないか、
成熟への差となるでしょう。
善悪、正誤、利損、そんな次元には
執着を手放すことはできません。
どんなに悔しくても、不条理でも、不合理でも
それでも手放す。
ただし、執着を手放すことは
自分が負けるとか、責任あるということとは違う。
成熟への、唯一の道です。