80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

日本は何故戦争に向かったか(34)

2011-11-02 13:05:52 | 戦争体験
NHKテレビ ”日本は何故戦争に向かったか”よりの抜粋


しかし、アメリカのコーデル・ハル国務長官は近衛のリーダー

シップに疑問を抱いていました。

交渉の際には軍も含め日本の中で完全な同意を得た意見を出すよう

にと言い出します。

内大臣木戸幸一の証言

 ”それはもう駄目なんだ。 どうしたって撤兵で(陸軍の反対)

  ごつんごつんとぶつかれば、そのこっちの気持ちで伝えようが

  ない。 彼らにわからない腹芸とか何とか言うことになるんで

  しょう。そういうことが解らんから、とうとう日米会議はお流

  れになった。


  そして10月上旬、連絡会議で一ヶ月前に決めた決断の期限を

  迎えました。

  そして、近衛首相は陸海軍の譲歩を引き出すため、極秘で大臣

  達を私邸に集めました。

  (企画院総裁鈴木貞一、陸相東条英機、外相豊田貞次郎、海相

  及川古志郎)

  1941年10月12日開戦まで後57日

  対談直前、海相の及川に戦争回避の意向を確認した近衛首相は

  海相がそれを明言することを望んでいたが、及川は

  ”戦争か交渉か海軍はいづれにも従います。 しかし決定は

  首相のご裁決に一任します。”

  及川は本音を言わず、下駄を近衛に預けた。

 ”私はどちらかと言えば交渉にかけてみたいと思う”と首相。

 東條は

 ”お待ちください。陸軍はあやふやな理由で統帥部を説得すること

  はできません。”

 海軍が真意を明らかにしない以上、陸軍は態度を変えるわけにはい

 かなかった。

 事態は振り出しに戻った。

豊田外相

 ”今から考えると我々の9月の決定は軽率だった。”

東條陸相

 ”いまさらそんなことを言われても困る。 我々には重大な責任が

  あるのですぞ。”


先に戦争回避を言い出せないリーダー達、議論は4時間にわたった。

誰も勇気ある決断を言い出せなかった対談4日後の10月16日

ニュースが全国をゆるがせました。

第三次近衛内閣は、複雑な、重大なる国際政局対処すべく鋭意努力を

傾けておりましたが、10月16日突如総辞職を決行、同夜この旨

伊藤情報局総裁より発表されました。

 近衛首相辞表より

 ”ついに所信を貫徹して輔弼(ほひつ)の重責を全うすること能わ

 (あたわ)ざるに到る。是、一重に才能なきが致すところにして、

 誠に,恐懼(きょうく)に絶えず。”

 途中で内閣を投げ出したのは近衛、後を継いだのは対米強硬論者と

 認められていた東条英機でした。


  
  (つづく)
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