80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

家具と私28)

2010-11-28 15:51:00 | 家具
 それから暫くして、あるマスコミ関係の方から電話が入った。

西友の薬缶に関するアイデアに応募された女優さんが、懸賞金の30万円は

いただいたけれど、その後、おやかんが売れてもお金を払ってもらえないので、

もし、家具を考えた方が、契約金をもらえていなかったら、記事にしてくれと

言われているので、あなたはちゃんとアイデア料を貰っておられますかとの事

であった。

 アイデア料というものは一時金と、売れた後、一個いくらでいただく物と

あるが、その方はもうすでに一時金で30万円いただかれているので、もう

いただけないはずであると申し上げた。

 私は直ぐに、アイデア料の支払われなかった伊勢原のメーカーに電話を入れて、

今こういう電話が入ったと告げたら、すぐ、10万円が振り込まれた。

 その後蛇の目ミシンへ手紙を出したら、契約をしたいので、お出かけくだ

さいとの返事が来たので、立川のその会社まで出かけて行ったが、毎日

アイデアに関して、約300通の手紙がきているのだが、こんなすばらしい

アイデアは、初めてだと仰って、契約したいと言う事になったのだが、素人

のアイデイアが製品になったら、大勢居る開発関係のデザイナーの立場が

なくなるから、品物は作れないと言う事で、ただ、何かの時のために自分たち

も一口かんで置こうといったものであって、60万円いただいたが、その代わ

りに高級ミシンを買わされてしまった。

(つづく)

85歳 辰巳芳子 ”日々の料理”を問う。

2010-11-26 23:02:50 | お料理
 タイトルに書いたNHKの番組を御覧になられた方も多いのではないでしょうか?

私はすばらしい番組だと思って録画して何度か拝見しました。

今日の特報首都圏の”料理を毎日してますか?”の番組を少し始まってしまった

ときから拝見したのですが、お若い方からの反論があって、なかには先生の

お考えが古い、お年だからと言わんばかりに聞こえた物もありました。

私は80歳、年齢では先生とあまり変わりませんが、違うのはお料理のプロとアマ

の差ですが、先生のお考えには充分納得ができます。

先生のお考えでは、食べ物は体を作るのだからきちんと食べないと病気になるし、

出来合いのものを買うと経済的にも負担が多くなりすぎる。

纏めて作っておいて、何度も食べてもいいということでした。

あの番組の中で疲れるからお料理をつくらないで食べに行くとか、簡単な物です

ませると言う方が何人か居られました。

私の考えでは、面倒だから作らないとか、簡単に済ませてしまうから、栄養が足り

ないので、直ぐ疲れてしまって作れなくなると言う悪循環に陥っておられるのか

と思いますがいかがでしょうか?

 私は戦争中に子供時代を過ごしたので、長くは生きられないと言われてきた

年代です。だからこそ、戦後暫くして、物が出始めた頃から栄養を充分取ることで

頑張れる体を作ろうと思ってきました。

私の人生本当に忙しいことばかりでしたが、できるだけちゃんと食べる事を心がけ

てきましたので、ちょっと具合が悪くなっても直ぐ直ってしまうのです。

この間も次男の嫁さんが、

”おかあさんって、何でも直ぐなおってしまうんですねー”とびっくりしていまし

たが、これはきちんと栄養を取っているからだと思います。

それから、日々のお料理は女性が作るように決め込んで番組を作っているように

思われた方もあった様ですが、私はそうは思いませんでした。

基本的には男女どちらが作ってもいいと思っておりますし、主夫も居られる時代

ですから、その方々の生活がうまくいくならどちらがお料理をされてもいいと思って

いるのですが、ただ、今の時代、まだまだ男性の方がお給料が多いのではないで

しょうか? それと、今会社員の方々が置かれている現状は、きちんと夕食に間に

合うような時間に帰れる方は殆ど少数ではないかと思うのです。

でも、もしかしたらきちんと時間に帰れるより、遅くまで仕事をなさっている方

の方がお給料は多いのではないかとも思いますけれど・・・?

今日の番組で、旦那様とメールで、お夕飯を食べるかどうかを連絡しあい、色々と

お心のこもったお料理をこまごまと綺麗に作っておられていた様で感心しましたが、

お弁当に詰めておき、食べてもらえなければ悲しいし、捨てると言うのは、もったい

ないですし旦那様がお気の毒と言いたくなりました。

昼もお弁当で晩もお弁当だなんて味気ないですし、どうしても仕事上しておいた方

がいいと判断して遅くなられるのですから、そういうやり方ではご主人様がせめら

れているように思われないかと心配です。



お帰りになる時に電話していただくと言うのはどうでしょうか?

私の夫もサラリーマンでしたから、毎朝、今日は飯はいらないとか、いるとか

行って出かけるのですが、急に変更があれば、電話してきますし、電話から家まで

1時間半掛かりますので充分対応が出来ました。

たまには出先から、急に相手のご都合で、早く帰れるようになったと連絡してくる事

もありましたが、あまり仕度時間がなければ、常備菜などから少しづつ出していけば

いいので、はじめから全部並べておかなければいけないわけでもありません。

お料理だって簡単でおいしいお料理はたくさんあります。

また、下ごしらえだけしておいて、お帰りになった時点でさっと作れるようにして

おくのもいいでしょうし、今は冷凍術も進化し、結構おいしくいただけるのです

から召し上がれなかった時には、さっと冷凍しておかれればいいのです。

半完成品を作っておくのもいいと思います。辰巳先生のお話しのようにたくさん

作って冷蔵庫においてあればそんな時に役立ちます。

もう一つ一番大事なことは食べる相手に愛情を持っていれば作って挙げられる幸せ

があると思います。 相手の立場を考えてあげるなら、もっと優しいやり方がある

のではないでしょうか?

私は、女に生まれて、孫たちに自分でいろいろのお料理をt作ってやれるのが本当に

嬉しくて、あれもこれもと食べさせたくなるのですが、毎回リクエストがあったり

するので、なかなか新しいメニューを出せないでいるのですが、考え方をちょっと

変えてみるだけで幸せになれるものだと思えるのですが?、そんな幸せをなくして

しまうなんて、それこそもったいない!!!!!(わらい)

家具と私(27)

2010-11-26 01:51:43 | 家具
 3月16日からKデパートに出かけて、私自身が家具の説明をさせて

もらうことにして、それを報告がてら、実家へ息子たちと一緒に行った。

私が母の面倒を見に当分実家へ行かれないので、春休みの間息子たちに

母の世話を手伝って貰う事にしたのだが、父と母はデパートに出展できる

ようになった事をとても喜んでくれた。

この時、母が、”千恵子、良かったね。”と言ってくれたが

母は三日後に亡くなって、最後の言葉になってしまった。

私はお葬式以外はデパートにつめて家具の説明を一生懸命にしたのだが、

店長さん以下かわりがわりに来てくれてエール贈ってくれて、お客さんは

私の説明を聞いて、とても喜んでくれたので、毎日張り合いがあったが、

家事机の上で使えるポータブルミシンをつけて、19万8千円と言う

お値段も割りと高かったためか、主人と相談して買うと言う話しばかりで、

少しもご注文がないまま十日あまりが過ぎてしまった。

ところが最後の日には20本、展示会が終ってからもご注文が25台来た

そうで、デパートの方々は大喜びであった。

大体家具というものがあまり売れない物であると言うことを知ったのは、

その後で、何倍も売ると豪語されていたデパートの方達が、土・日で1本売れ

たらいいけどなあと言ったのを耳にしたときであった。

そんなに売れない物なのかとびっくりしたのだが、取り掛かってしまったもの

で、続けてやるしかなかったのである。「笑い)

その後、4月10日から2週間展示会をしたデパートの方は86本売り上げた

ので、売り場の女性たちにはこれは売れる家具だからもっと入れてくださいと

言われたのだが、商売敵のデパートに出し抜かれてしまったと言う理由で、店

の改装を機におろされてしまった。

係長さんにはとても優しくしてもらえたので助かったが、次長さんにはヘンな

いじめを受けた。

昼休みの食事の時にお前たち、今日は俺がおごってやると言って私の隣から一人

づつデザートの注文を聞き、私の前で終るというのであった。

ご自分の対応が遅れたのに、私のせいにしておられたのは笑止千万と、私は平気

な顔をしていたのだが、心のうちでは面白くなかった。


 そんな風で、家具としては抜群の売れ行きだったようだが、その売り上げの3%を


(工場出し価格で)いただく事になっていたのだが、kデパートの方へ家具を入れ

ていた伊勢原の工場からは契約金は支払われなかったのである。

その前には、夫がたまたま一緒に工場へ行ったときに社長に、自分の娘の結婚の世話

をしてくれと土下座をして頼まれた。

夫が弟に頼み、会社の人を紹介したが、その時には御礼は仕事で返しますと言って

いたにもかかわらず、娘さんは幸せになったのに、ちゃんと契約していたお金は

1銭も支払われなかったのである。

86台売り上げた方のお金はちゃんと支払われたが、工場出し価格なのでいくらも

振り込まれなかったので、毎日通った足代の方が高くついてしまったくらいであった。


(つづく)

家具と私(26)

2010-11-25 19:23:42 | 家具
その後主婦の友昭和52年9月号の付録に取り上げられたり、The Key 新聞

に取り上げてもらったりしていたのだが、頼まれてやっていた家庭教師の仕事

をヤットやめて家具に取り掛かれたのが昭和54年のはじめであった。 

デパートなど5社に手紙を書いたら、直ぐ、新宿のデパートから電話が来た。

新しく家具の課長さんになられたばかりの方から電話をいただいて、とても

いい物だと思うので、是非工場へ見に行きたいと言ってくださった。

2、3日して、課長代理の方とお二人で伊勢原の工場へ見に来てくださった。

売り出す方向で考えていきますので、他のデパートには内緒にしていてくださ

いと言われたのである。

日ならずして、新宿のほかのデパートから電話をいただいたが、うちの専属

工場でやらせようとお話ししておられたのだが、こちらでも、他には黙って

いてくれと仰ったのである。

最初のデパートでは、どんどん事が進んでいって54年の3月16日から

2週間の家具の催しに出していただけることになって56万部のチラシが

刷り上ってきた。

もうこの時点では黙っているわけにもいかないと思って、後発のデパートに

他のデパートでやることが決まったと話したのである。

そのデパートでは何の進展もしていなかったのだが、この話に驚いて、

 “其処のデパートの話しはなしにしてくれ。 ”と言われたのである。

それでも、

 ”御社は何もしておられないのだから、それならお断りさせていただき

 ます。”と言ったら、

 ”あんたは馬鹿か。うちの方が何倍も売れる。考えて見なさい。”

 といわれたのだが、チラシまで作ってしまわれたデパートを棒に振ったら

 新任の課長さんは首になってしまわれるかもしれないと思ったので、私は

 ”大変申し訳ないけれど、如何しても他社は駄目と仰るなら、御社をお断り

 させていただきます。”と言った。

 ”いや。いや。それならうちもやるよ。”と言うことで4月の10日から

 急遽売り出すことになった。

(つづく)






安藤和夫木工展

2010-11-24 19:58:46 | 最近のできごと



 今日から横濱高島屋7階で始まった安藤和夫木工展を見に行った。

この写真の背の高い素敵な男性が安藤和夫先生である。

先生にいただいたお葉書にはご挨拶が書いてあった。




三回目となる安藤和夫木工展、今回は特にライフワークとして取り

組んで参りました「お厨子」を中心に作品発表をさせていただく

ことになりました。仏教美術など、大切な美術品をお守りするのが

「お厨子」ですが「お仏壇」としてお使いになられる方も多くおら

れます。

使用する素材にも吟味を重ね太古より伝わる「神代木」を使用する

事で作品に、時間の厚みと品格を備えられたらと念じつつ、制作

いたしました。また、今展では工芸の先生との競作も実現いたしま

した。ご高覧いただけましたら幸いです。





 先生は高邁な精神がお顔に出ているようでなんともすがすがしい

お顔とお見受けした。実は私の高校の後輩である。(エッヘン)

この「お厨子」は扉を開いているところだが、扉を閉めたところを

是非皆さんに見ていただきたいものである。なんともすばらしい出来

ばえで、美しい品格が感じられる。

大臣學

2010-11-22 08:35:20 | 政治
 歴代の天皇は帝王学と言うものを修めておられるということを聞いた

ことがあるが、このところのいろいろな政治問題を見聞きしていると、

大臣になられる方には大臣學(?)と言うものを必須科目にしなければ

ならないような気がする。

どうも民主党の大臣様方は、大臣として身の処し方と言うか、大臣として

最低の心構えとか心使いがないように思われてならない。

閣内でもっと煮詰めて報道すればなんでもないことを個々に勝手におしゃ

べりになるとか、タイミングや、話しのもって行き方、発表の仕方によって

何の問題もない筈のことまで、ちゃんと(?)問題にされてしまうのである。

また、自民党も、それをしつこく攻めたてるだけでこの国を立て直していく

方策の一つも考えてはおられないような気がする。

他の党の方々においても、あまり変わらないようで、このところ開催されて

いる議会が我々国民には、とてつもない借金を抱えている国の国会とは如何

しても思えないのである。

 でも、だから民主党が駄目で元の自民党体制に戻そうとか、他の党にしよう

とか言いたい訳ではないのだが。

 国の難問が続発している今日、政治家全体の皆さんにも、それを何とか、

挙国一致体制で乗り切ろうとする気構えが欲しいと思っているのは私だけでは

ない様に思えるのだが?????

同期会

2010-11-21 07:31:57 | 戦争体験
 一昨日は神奈川県立第一高等女学校の同期会(45期、46期)が横浜駅

の近くの崎陽軒であったので、私は冊子"昭和20年の思い出を語る会”に

関係された皆さんにお目にかかって一言お礼が言いたいと思ってのこのこと

出かけていった。



 冊子”昭和20年の思い出を語る会”とは、平成7年5月頃に、当時

有燐堂のお偉いさんだった篠崎(旧姓 松信)孝子さんが、このままでは

戦争の記憶が若い人々に伝えられないまま風化してしまうことを強く恐れ

られて友人の碓井(旧姓 佐藤)ヤス子さん、長井(旧姓 八木)文枝さん、

安田「旧姓 竹腰」美代子さん、柳澤「旧姓 岡崎)和子さんに呼びかけ

られ、5月17日に安田(竹腰)さん宅で会合を開き、具体的な打ちあわ

せをされて、私たち同級生に手紙を送られ、協力者を募り、7月2日に

戸塚の有燐堂 営業本部ビルの6階でいくつかのグループに分かれて、

戦争体験の話を録音し、上記の方々や柴田(旧姓 中田)トシさんが

加わってテープを何度も聞き、原稿を作られたそうで、どのグループ

も大賑わいでテープの内容がよく聞き取れないくらいだったそうで、大変

な作業になったようである。

出席者は上記の方々の他に磯(旧姓 新井)ハル子さん、伊丹(旧姓 福島)

幸子さん、岩瀬(旧姓 野中)富美子さん、小野塚(旧姓 岩田)貴美子さん、

尾和瀬(旧姓 古谷)恵美子さん、川上「旧姓 小宮)多美江さん、

木村「旧姓 松浦)玲子さん, 小林富美子さん、鈴木桜子さん、千本松「諸貫)

美江さん、高山(旧姓 依田)迪子さん、武 恒子さん、寺田(旧姓 新倉)

昭子さん、中内(旧姓 浅井)和子さん、永田(旧姓 野村)澪子さん、

長谷川(旧姓 大岡)百合子さん、比留間(旧姓 小池)澄子さん、藤井 淑子

さん、前田(旧姓 小岩井)珠子さん、他7名  お手紙で参加された方 1名

合計33名


 


 幸いお天気もよく、温かくて最高の1日になった。

昭和18年に入学した300名の同期生の中には、戦争のお蔭で疎開して

そのまま、その土地で活躍されておられる方もあれば、残念ながら、戦争

その他でお亡くなりになったり、体調を崩されて、要介護になられたり、

足腰が痛くてご欠席という方も多く、過去最低の48名の方のご出席と言う

事になってしまったが、楽しい一日ではあった。


 
 会がほぼ終わりに近づいた頃、私は幹事さんにお願いして、マイクを

お借りして、冊子"昭和20年の思い出を語る会”についてのお礼を述べ

させていただいた。


 
 昨年の同期会で、戦争体験をお若い方々に聞いていただきたくて

ブログを書いて居るので、皆様の戦争時のご経験を書いていただけません

かとお願いしていたのだが、親友堤「旧姓 河原」恭子さんが貯めておか

れた戦争に関する記事と一緒に送ってくれた"昭和20年の思い出を語る会”

の冊子を読ませていただいて、皆様の様ざまな体験談に感動し、編集された

方々の代表者柴田(旧姓 中田)トシさんにお電話して、ブログへ転載させ

ていただく許可をいただいて、時々載せさせていただいていますと言うご報

告をした。

それを企画してくださった方の頭の良さ、企画力に、感動したことや、その会

に集まられた方々の多くのテープから何度も何度も聞いて原稿を起こして

くださった方々のご苦労、それにご出席ご協力された多くの方々に心から

感謝し、そのお蔭で私のブログにいろいろな体験談を書かせていただけて、

より多くの事実をお若い方々に知っていただけたことと、他にも私を励まして

下さった方々にも、心から感謝して居ますと言う事を申し上げることができた。


 一番大変だったろうと思っていた編集者にお話を聞いたが、多くのお話

が、同じようなことが多くて、なるべく違った体験を選ぶのに何度

テープを聴いたか判らなかったと仰っていた。 そのご苦労は良くわかる。

多分皆さんの雑談の中だから、あちこちから話しが重なって聞き取りにくい

ことも何度もあったことだろうし、話し言葉だから、それをお書きになる

のも大変だっただろうと推察した。



 お礼が言えたので、何だかすっきりしたが、新に、ご自分の体験を書いて

くださると約束してくださった方もあったし、"昭和20年の思い出を語る会"

の冊子を他の方に送ったと言う方も居られて少しづつ広がりが出来ているな

あと感じることができた。

日本の産業

2010-11-17 14:48:49 | 経済問題
 1992年から1995年まで中国の北京へ8回行ったが、中国の方々の日本の

電気製品に対する信頼度の高さをいつも実感させられていたが、今なお

大勢の観光客が秋葉原を嬉々として訪れていると言う事は嬉しくありが

たい事だと思っているが、それが何時まで続くのだろうかと最近では心配

でならなくなった。

 韓国では、大韓民国の第15代大統領金大中(キムデジュン)氏が在任中に

強力に推し進めた経済革命が、次代の大統領にも引き継がれて、国を挙げ

てのIT産業の奨励やビッグデイール政策で、ついに日本をはるかに凌ぐ

産業大国になってしまいつつあるようである。

サムスン電子は日本の大手の電気メーカーをはるかに凌駕してしまった

ようだが、私には良くわからないが、どうも日本の開発に携わっている

人々の心に長い間いい製品だと言われ続けた事で、何か心におごりの

ような物があるのではないかとさえ思うようになった。

 卑近な例だが、いまや大人からお子さんまで必需品のように扱われて

いる携帯電話で言うと、近頃老人用として文字の大きい見やすい携帯が

宣伝されているが、私に言わせれば、いい加減な物である。本当に老人の

ために開発されたのですかと言いたくなるような代物である。

何故かと言えば、私の携帯電話はまだ買い換えて1年になるかならない

かのものだが、息子と一緒に行って、私が使うのだからと老人用のもの

を買ったつもりであったのだが、或る日、外出して、バスの遅れがあって、

相手に携帯電話で連絡しようと思ったが、肝心のその携帯の文字が外光では

見えなかったのである。

日本の技術がまだそのくらいなのかと思ってしまったが、最近、そうでは

ない事が判明した。 同じメーカーの携帯を持っておられる方にお会い

したが、その方のはもうそろそろ、古い機種で機種自体がなくなりそうだと

か言う事であったが、この私にでも、外の光の中でちゃんときれいに文字が

見えるのでびっくりした。と、言う事はつまり、メーカーが老人のためと言い

ながら本当に老人の事を思って作っていないのではないかと思った。そういう

技術がありながら、使用していないのである。 それはとりもなおさず、本当

に使う人のことを研究していない、つまり、若い人から見た老人とはこんな

ものであると言う、いい加減な考えに基づいているだけで、本当に老人を研究

して開発された物ではないようなのだ。

これでは、きめ細かい配慮がなされている韓国の物に勝てないのは明白だ。

相手の立場に立って、相手が必要な技術だけはきちんと製品に生かす事を心がけ

て欲しいものである。

当たるも八卦当たらぬも八卦

2010-11-15 18:12:20 | 性格
八卦とは

 ① 易の卦を示す陰陽二種の爻(コウ)により形づくられる形象。この

 中の二種を組み合わせて、自然・人間などのあらゆる現象・属性を表し、

 判断の基礎とする。周易・64卦

 ② 占い

以上のように大辞林には書いてあるのですが、皆様はこういったものを

信じられますか?

私自身、占いだとか手相だとか、全く毛嫌いして居るわけではありませんし

たまには面白半分と言うと御幣がありますが、見ていただいたこともあるの

です。

 ですから、そういうご商売の方の営業妨害をしようということでは決して

ないのですが、それによって物凄く左右されてしまう方が居られるのは時に

よっては心配になるのです。

色々お悩みの時にそういうことで助けられた方も多いと思うのですが、

時にあまりにいいことを言われたために、人生を誤る方も無きにしも非ずと

思えるのです。

お金持ちのボンボンに甘い考えで人生を送られる方があるのと同じように、

占いなどで、あまりに良い事をお若いうちに言われてしまい、何も努力を

しなくてもそうなると思い込んでしまう方があるように思えるのです。

 "当たるも八卦、当たらぬも八卦”と言われることは其の卦でいいことを

言われた時になんとなく其の方向に努力していればそうなるとつい甘い夢を

もたれるとすれば、それは当たらぬも八卦になってしまうのではないかと思

いますし、大きな夢であればあるほど、少しばかりの努力では夢がかなわな

いと思うべきで、そういういいことを言われた時こそ、努力を惜しまない

ように心すれば、”当たるも八卦”間違いなしではないでしょうか?

どちら様の夢も実って欲しいと思っておりますが・・・。


ご油断めさるな!!!!

女子バレー世界選手権

2010-11-14 22:48:45 | スポーツ・趣味
 女子のバレー世界選手権での今日の対アメリカ戦、銅メダルを取ってくれ

ましたね。本当におめでとうございます。すばらしい試合でした。

多分多くの皆さんが御覧になって応援されていたでしょうが、1セット目と

3セット目は落としたのですが、2セットめと4セットめを取り、フルセット

に持ち込んで、3対2で勝ち、日本の女子が32年ぶりに銅メダルを獲得し

ました。

本当にどこの国の選手たちよりも体格的に劣っているのに、平均身長で

20センチ以上、ジャンプすると30センチも高さが違うと言うのに

それでもみんなで一致団結して頭脳的プレイを連発させ勝ってくれました。

感動して涙が出ました。

真鍋政義監督やスタッフの皆さんものご苦労もさぞ大変だった事でしょう。

この試合にもまして私が感動したのは、昨日、世界一といわれたブラジルとの

戦いに1セットめと2セットめを勝ち、特に2セット目は35対33で

勝ったという世界バレー史上初めての記録になったことでした。

残念ながら其の後は負けてしまいましたが、立派な戦いぶりでした。

監督や選手の皆様、関係者の方々本当に元気をいただけました。

どうも有り難うございました。