80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

発見”幻のドラマ 遺族”(1)

2014-01-11 23:58:15 | 戦争体験
NNHのテレビ、”特報首都圏"で放映されたものの抜粋。

昨年夏、11万本のフィルムが眠るNHK アーカイブス

の保管庫で発見された一本の番組のフィルム、ドラマ”遺族”。

53年前に製作された貴重なもので、太平洋戦争中に出撃

した一人の特攻隊員とその家族を描いて、戦争の悲劇を

伝えようとするものでした。

その脚本を書いたのは、男はつらいよなどの家族をテーマ

にして、数々の名作を産み出した山田洋次監督です。 

ドラマ”遺族”は、山田洋次さんが監督でデビューする前

の初作品でした。


今回、そのフィルムを山田洋次さんに観ていただきました。

戦争のさなかに少年時代を過ごした山田さん、その記憶は

今も脳裏に焼きついています。

 

 山田洋次監督


 ”戦争というものは、キャタピラーが踏み潰していくような

 破壊という行為で、恐怖感が窓の向こうにあった時代ですよね。”


 それから53年、山田さんは、これから今月放映される最新作

 ”小さなおうち”でも戦争の悲惨さを伝えようとしています。

 
 山田監督

   ”子供のころに戦争を体験している世代は、この国では、

   もうすぐいなくなるわけで、僕たちの今までの体験を

   一生懸命残さなけれ ばいけないじゃないかと・・・。”

  NHKドラマ ”遺族”番組は若者へのインタビウーから

  始まります。

・・・・・特攻隊ていうのがありましたが知っていますか?

・・・・・わかんない。”

・・・・・どういうことをしたのか知っているでしょう?
   
     特攻隊で亡くなってしまった人をどう思いますか?

・・・・・どう思うかって、あんまり利口じゃないと思います。

 主人公は陸軍報道班員として従軍した高田俊夫。

 昭和20年5月10日、特攻隊の青年から出撃前夜に日記を

 預かります。

 ”これは日記なんですが、自分の母のところへ送っていただ

  けませんか? もう検閲もないとは思うんですが、遺品とは
 
  別に、直接母に渡して欲しいです。”

 ”キットお渡します。”

 そこにあるのは古い友達へのように過去の生活と思考と愛情を

 打ち明けてくれた青年の顔であり その三時間後に自分の

 命を絶とうとしている青年の顔があった。

戦後高田はなかなか遺族を見つけられず、日記を渡されないまま、

15年がたった。

 時代は高度経済成長期、戦争に記憶は薄れ掛けておりました。

 ようやく遺族を探しだした高田。 しかし母親は、自分の息子

 はどこかで生きているのではないかと信じられずにいました。

 戦争は過去のものではありませんでした。

 母が持っていた新聞記事、同姓同名の男のものでした。

高田
 
 ”これが息子さんだと思れるんですか?”
 
 ”はい。”

 ”でも、もし息子さんが生きておられるんだったら、

 今までお母さんに連絡が取れないっていうことはあり得ない

 と思うんです。”

 ”でも、世の中にはいろいろな、事情がありますから。”



 私はそれが、特攻隊員として、いや、南や北の国で骨を

 埋められた人々のご遺族の方々の気持ちではないかと・・・。


 
 実際に番組では、ご遺族のインタビューをしております。

・・・終戦になってから16年たちましたが、息子さん

   へのお気持ちは如何ですか?
 
・・・まあ、あきらめ切れることはできませんけれども・・・。

・・・何か悲しみというものは薄紙をはがすように薄れると言い

   ますが、何か傷跡のようなものは一層深くなりますね。

   印象とか、そういうものをなかなか忘れられものがあります。



 番組はご遺族と向き合った高田さんの言葉で結ばれています。

 ”死んだ人は、もうものを言わない。生残った我々は、年とともに、

 戦争の苦しかった記憶から遠ざかろうとしている。しかし、戦争の

 傷跡は一人一人の胸に深く刻み込まれている。この物語は、その

 ほんの一例に過ぎない。 今、私たちはこう考えている。 

 私たちは二度と戦争を繰り返さないための努力を続けることだけが

 この傷跡を直せる方法なのではないだろうかと・・・。


(続く)



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