当時、私の周りには、ご家族揃って、共産党の党員に
なられている方も多かったが、そういう方々の中には、
中々ご立派な方々も多かった。
或るお医者さんのご一家と親しくなったが、本当に
心から尊敬できる方々であった。
ご主人さまは診療所と開いておられたのだが、生活に
困った方々の面倒を奥様ともども良く見ておられた。
奥様は何時もニコニコとしておられ、私の長男などは、
そこのお宅が大好きで、その近くまで行くと、まだ、
舌も良く回らない頃であったが、
"バットポン バットポン”と言いながら診療所へ
入ってしまう。あわてて追いかけるのだが、そういう
時の子供の早いこと、とても間に合わなくて、遂に親子
して先生とご対面と相成るのである。
先生は
”お医者が好きだなんて嬉しいなあ。”と、喜んで
息子を抱いて、奥様のおられる奥の方へ連れて行かれ
”おい。けんちゃんが来てくれたぞ!”と言うことに
なって、暫く、奥様とおしゃべりをさせていただいて
帰るのであった。
息子の”バットポン”の由来は、当時は入江町の住宅公社
の団地の4階に住んでいて、その日は階段のお掃除当番に
当たっていたので、私は大急ぎで洗濯物をベランダに干し
てから、一才3ヶ月になったばかりのヨチヨチ歩きの息子
を連れて、一階の階段下のポストの前のお掃除をはじめた
が、彼がチョコチョコと裏庭の方へ行ってしまうので、
仕方なく、箒を手にしたまま、後を追って行くと、遠
くで、小さい子供たちが野球をしていた。
”夕べは良く降りましたね!”
私たちの姿を見て、洗濯物を干しておられた奥さん方が声を
かけてくれた。
多分、野球をしている子供たちまでは3,40メートル
は離れているなあと思いながら、声の方を向いて話している
うちにすぐ近くにいたはずの息子が、その野球の子供たちの
方へよちよちとまっしぐらに歩いて行ってしまったのである。
”危ない!”と奥さん方の一人が叫んでくれたので、私は
慌てて振り向いて、彼の後を追いかけたのだが、中々追い
つけず、小学校に入学したばかりのぴかぴかの一年生が、
バットを構えようとしたところへ近寄って行ってしまったの
である。
私が大急ぎで抱えようとしたので、私の白いブラウスの胸に
息子の額からほとばしった血がぱっと飛んできた。
3階の奥さんが、上から、
”はい、これを持ってお医者さんに行って”と、お財布を
上から投げてくれたので、お礼もそこそこに、お医者さんに
飛んで行ったという訳で、まあ、バットを振るタイミングで
あったらと思うとぞっとしたが、額は血が出やすいところだ
そうで、大丈夫だったのだが、額の疵は一度は綺麗に治った
けれど、その後、彼が、良く転んだり、壁にぶつかったりす
るので、おでこにすっと一本縦に血の線ができてしまい、
その血の線にメスをいてれていただいたので、小さな疵が
残ったのである。先生に何回かお目にかかるうちに子供でも
先生のお人柄がわかったに違いない。それから長男は、
先生が大好きになったのである。
それ以来、先生とは昵懇の間柄(?)になった。
なられている方も多かったが、そういう方々の中には、
中々ご立派な方々も多かった。
或るお医者さんのご一家と親しくなったが、本当に
心から尊敬できる方々であった。
ご主人さまは診療所と開いておられたのだが、生活に
困った方々の面倒を奥様ともども良く見ておられた。
奥様は何時もニコニコとしておられ、私の長男などは、
そこのお宅が大好きで、その近くまで行くと、まだ、
舌も良く回らない頃であったが、
"バットポン バットポン”と言いながら診療所へ
入ってしまう。あわてて追いかけるのだが、そういう
時の子供の早いこと、とても間に合わなくて、遂に親子
して先生とご対面と相成るのである。
先生は
”お医者が好きだなんて嬉しいなあ。”と、喜んで
息子を抱いて、奥様のおられる奥の方へ連れて行かれ
”おい。けんちゃんが来てくれたぞ!”と言うことに
なって、暫く、奥様とおしゃべりをさせていただいて
帰るのであった。
息子の”バットポン”の由来は、当時は入江町の住宅公社
の団地の4階に住んでいて、その日は階段のお掃除当番に
当たっていたので、私は大急ぎで洗濯物をベランダに干し
てから、一才3ヶ月になったばかりのヨチヨチ歩きの息子
を連れて、一階の階段下のポストの前のお掃除をはじめた
が、彼がチョコチョコと裏庭の方へ行ってしまうので、
仕方なく、箒を手にしたまま、後を追って行くと、遠
くで、小さい子供たちが野球をしていた。
”夕べは良く降りましたね!”
私たちの姿を見て、洗濯物を干しておられた奥さん方が声を
かけてくれた。
多分、野球をしている子供たちまでは3,40メートル
は離れているなあと思いながら、声の方を向いて話している
うちにすぐ近くにいたはずの息子が、その野球の子供たちの
方へよちよちとまっしぐらに歩いて行ってしまったのである。
”危ない!”と奥さん方の一人が叫んでくれたので、私は
慌てて振り向いて、彼の後を追いかけたのだが、中々追い
つけず、小学校に入学したばかりのぴかぴかの一年生が、
バットを構えようとしたところへ近寄って行ってしまったの
である。
私が大急ぎで抱えようとしたので、私の白いブラウスの胸に
息子の額からほとばしった血がぱっと飛んできた。
3階の奥さんが、上から、
”はい、これを持ってお医者さんに行って”と、お財布を
上から投げてくれたので、お礼もそこそこに、お医者さんに
飛んで行ったという訳で、まあ、バットを振るタイミングで
あったらと思うとぞっとしたが、額は血が出やすいところだ
そうで、大丈夫だったのだが、額の疵は一度は綺麗に治った
けれど、その後、彼が、良く転んだり、壁にぶつかったりす
るので、おでこにすっと一本縦に血の線ができてしまい、
その血の線にメスをいてれていただいたので、小さな疵が
残ったのである。先生に何回かお目にかかるうちに子供でも
先生のお人柄がわかったに違いない。それから長男は、
先生が大好きになったのである。
それ以来、先生とは昵懇の間柄(?)になった。
小生もばあちゃんにしょっちゅう怪我ではご迷惑を掛けましたね?
首から上の縫った数は8割がたが小学校に上がる前のものです。あはは。
コメントありがとう。お元気でしたか?
多分あなたの記憶違いです。それは5歳児の時だと思います。私のクラスの時には誰も怪我はしていませんでしたよ。
良くわたしたち先生方が子供さんたちをお迎えに行っているときに、あなたは野村君と一緒に先に来ていて、お机を重ねている上にのっかって先生と手を振っていましたね。私の留守に怪我をされたらと気が気ではありませんでしたが、小さくて真ん丸いお目目で可愛いこうちゃんでした。よっぱらいの真似をしていたこともありました。楽しい思い出です。
楽しくて、本当に憎めないお子さんでした。