もう33年も前の話になるが、12月の末の本当に気持ち
よく晴れ上がった日に、お正月の買い物をしに横浜の高島屋
へ出かけていった。
夕方4時頃の東海道線で茅ヶ崎まで帰る途中、列車の中で
何となく胸騒ぎがするので、列車を降りてすぐ家に電話を入
れたら、息子が出て
”お母さん。大変だよ。お菓子の先生が亡くなられたって、
さっきご主人からお電話があった。早く帰ってきてよ。”
と、いった。
数日前にはあんなにお元気でいらっしゃったのにと半信半疑
だったが、兎も角急いでタクシーで家に帰り、服を着替えて
飛んでいった。
先生は持病がおありだったとか、私達には仰っていなかった
ので、誰も知らなかった。そう言えば、お菓子を焼いている時
途中で一回だけ、ちょっと坐らせてねと言われて坐られたこと
はあったが、まだお若い先生のこと、お顔は苦しそうではなか
ったので、私達は気にも留めなかったのである。
ご主人さまのお話では、苦しくなったといって病院へ連れて行
ってくれといわれて、車で出かけたが、途中で亡くなられたと
とうことだった。 まだ42歳のお若さだった。
先生は何でもきちんとされるご性格だったので、暮れの大掃
除も手を抜かないで、大働きされたらしかった。
それがよくなかったのだろうとご主人が残念がっておられたが、
私達もいい先生を失ってがっかりだった。
プロに習ったと仰っておられた先生のやり方を少しでも皆さん
に聞いていただければ、先生のお菓子が残せるかと思って書かせ
ていただくことにしたのである。
先ず準備段階で、使う器具をたとえ洗ってきちんとしまっておいた
物でも、必ず中性洗剤で洗って水きり台の乗せておいて、布巾は
使ってはいけないということであった。
始める前に手洗いはいわずもがなのことであったが・・・。
次回はカステラ(先生はカステラはお菓子の部類には入らない
くらいの簡単なものよとおっしゃっていたが)を日本でしっと
りと作るコツを書かせていただきます。
(つづく)
