1993年頃の話
中国へ行くと言うと、よく北京ダックを食べていらっしゃいと言われたものである。
でも、私は北京ダックには余り魅力を感じていなかったのだ。何故って、日本に居ても北京ダックは食べられるではないか、もっと日本では食べられないものが食べたいと何時も思っていた。勿論夫の会社関係のパーテイでは、何回も北京ダックにお目にかかる光栄には浴していたけれども、申し訳ないけれど、私、個人としては余り歓迎していなかったのである。 其れよりも大道で売っている羊肉串とか鳥肉串の方に、より強い魅力を感じていたのだ。
時々見かける屋台のものや王府井の店のものを横目で見てはいたのだが、何時も夫の反対にあって、あきらめていた。勿論理由は不衛生と言う事である。
確かに汚い店もあるとは思ったが、油で揚げているのだから大丈夫じゃないかと、心ひそかにチャンスを狙っていた。
ところがである、ある日曜日夫とともに散歩していると、ちょっとした広場に、
ピカピカ輝いているかと思うほどの真新しい真っ白いキッチンカーが止まっていた。
片側に大きな窓が開いていて、その上に張り出している日避けの白さが目に痛い。その頃の北京であんなに綺麗な車は見たことがなかった。羊肉串と鶏肉串を揚げているいい匂いが鼻をくすぐる。
周りで立ち食いしている人々の幸せそうな顔。私の足はぴたっと止まった。夫はニヤニヤしながら足を止めて、
”俺は食わん。お前一人で食べて来い。此処で待っててやる。”とのたまわった。
とにかくお許しが出たのに食べない手はない。私は飛んでいって、列の後ろに並んだ。
羊の肉や鶏肉に下味をつけてから、串にさして揚げているのだが、一串20元で,
食べた後、串を返すと一本につき5元が戻される仕組みになっていた。串の長さは40センチくらいはあったかと思う。 かなり長い串に一口大の大きさに切った肉が刺してあるのだ。勿論両端には肉はついていない。 そこを手で持てる様になっているのだが、揚げたてだから、本当に熱い。
羊肉串と鶏肉串を一本づつ買った。ちょっとした隙間を見つけて、すみませんといいながら間に入って行き、一口ほおばる。
”おいひい!。” 熱くて美味しいと言えないのだ。満足。満足。
隣で両手に串を持ちながら食べていた多分30歳代の女の人が、
"アンタ、どこから来たの?” と声を掛けてきた。
”私は日本人で、横浜から来たの。”と、答えると、一目でモンゴルの草原から来たかと思わせる衣類を身につけた彼女が
”モンゴリアンかと思った。”と、言ったのである。
"もしかしたら、遠い昔にモンゴルから日本にやってきた人の子孫かなあ。”
と、私は言い、二人で顔を見合わせて笑い、がっちりと、握手した。