私は子供の頃に感じた戦争の悲惨さについて、語ることによって、
その悲劇を繰り返していってもらいたくないという一途な思いで、
このブログを始めたわけですが、近頃では毎日親御さんが顔を付
き合わせれば、喧嘩ばかりしているご家庭とか、ご夫婦の不仲の
ために子供さんにとばっちりが行って、そんなに叱られなくても
いい事にもがんがん叱られたり、そのおかげで、お子さん方が
生活の面倒も教育的なことも考えてもらえず、粗末な食事にされ
子供さんのことを少しも考える余裕のない親たちであったり
すれば、戦争もさることながら、子供さんたちにとって、両親の不和、
離婚や別居、あるいは家庭内別居の影響は一生続くわけですので、
もしかしたら、それは、あるいは戦争以上の悲惨さがあると感じていて、
いろいろと苦難の道を乗り越えてきた年長者として何とかしなくてはと
日夜考えるようになりました。
昔は、お見合いだったり、写真だけで、一度もあった事もないお二人
が結婚するということも、よくあったようですが、それでも、今の
ように、其処此処で家庭生活の崩壊がひそかに進行しているという状態
ではなかったように思います。今の時代、一応お二人で合意して結婚
されると思うのですが、結婚を決めるということは、良いことも悪い
ことにもすべて、ご自分が決断したその結果ついてくることで、ご自分で
決断したことについての責任を取ることを考えていないのでしょうか?
(離婚するということが責任を取るというのではないのです。)
私たちの時代に比べれば、人々の生活も教育程度も上がってきています
ので、お若い方々が持つ夢の程度も、ぐっとあがってきているような
気がします。
夢を持つというのはある意味でいいことではあるのですが、
あまりにも現実離れをして夢が大きすぎるので、破綻がくるのではない
かと私は思っております。
ご夫婦二人で協力し合って生活を立ち上げることは大事なことで、お互
いのことを愛情深い目で見ながら、助け合っていくことが望ましいので、
それぞれのお宅の事情やら、お仕事関係の事情も考えてみる必要があり
ますし、決して、相手の悪いところをあげつらうことに専念しようと
思って結婚されるわけではないのでしょうから、初心に立ち戻って、
もう一度考えなおしていただくわけにはいきませんか?
生活していく上での土台になる経済とか、家族の諸々の事情を考えも
せず、ただ、こうあるべきという一般的な夢を実現しようとするのは
どうかと思います。
今とは時代が違うからと一言で片付けられそうな気がするのですが、
結婚とか離婚とかいうことについて、近頃ではあまりにも軽々しく
考えているように思えてなりません。子供さんがあれば、当時者
たちだけの問題ではないのです。
昔は、嫁に行くことは、そのうちの人間になると言うことなので、自分
の親のことよりも、婚家のために尽くせと教えられていたのですが、
戦後入ってきた、アメリカの自由な思想を履き違えて相手のことを
あまり深く考えず、何でも自分のやりたいことを主張することがいい
と思うようになってしまった所為なのでしょうか、あまりにも、
自分勝手な人が多くなってしまった気がしています。
私の子供時代には、あそこの家は上の娘が出戻りでねなどと噂を立て
られると、その下に続く兄弟達の結婚話に悪い影響があったので、離婚
したら家に戻れないということもあったようですが、今では、一人っ子
だったり、子供さんの数が減っているので、あまりそういうことが離婚
の歯止めにならないばかりか、自分達の老後の世話をしてもらうのに
都合が良いから帰ってきてもらいたいなどという親御さんたちもあったり
するようで、自分勝手な人々が増えていように思えてなりません。
近頃、離婚歴何回とか平気で人前に言う方が増えてきました。それだけ
離婚が珍しいことではなくなったと言えるのかもしれませんし、それに、
別居婚というのも本当に多いとか。それが、仕方のないことであると
いえるとは思いたくありません。
ご夫婦お二人だけの問題なら、それはそれで仕方がないと放ってもおける
のですが、子供さんがおられるとなれば、日本の、いや、世界の将来を
担う大事な子供さんたちのことを思うとこれは放っておけない由々しき
問題だと常日頃頭を痛めているのですが、どうも良く考えてみると、
教育の高さと比例しているように思えてなりません。
教育の高い人ほど、理想を追いかけ過ぎではないでしょうか?
趣味が合わないとか、生き方が違うだとか、お金の使い方だとか、
すべてに違っているのが当たり前です。 性格が合わないから離婚する
という方もおられます、笑ってしまいたくなりませんか?
もともと、違う環境で育ったお二人が、性格も何も全く同じ考え方である
わけはないのです。
以前数学の面白さで桜井先生が取り上げられた出会いの確率の問題で、
条件を8個上げた城島茂さんの出会いの確率は四万三百ニ十分の一で、
17個上げた”れな”さんの確立は地球上を探しても一人もいないという
ことでした。
ところが、条件を(価値感、収入、優しさ)の三つに絞ると、確率は
3分の2 まで上がったのですが、実際の問題でも同じことが言えるの
ではないかと私は思います。実際には、お二人の関係だけでなく、
その周りのご家族とか、お友達とか、ご近所さんとか、さまざまな複雑
な問題が絡んできます。その上、お二人の生活の仕方から、能力、言葉
の問題やその方々の住んでおられた地方の生活習慣や考え方などなど
さまざまな問題が関係してくるのです。
ビッタリあうなんてほとんど不可能といえるのです。
教育が高い人ほど、ご自分の力を過信し何とか自分で子供を育てられる
と思って離婚に踏み切られるのでしょうが、ご自分が怪我をしたり、
不幸にして早く亡くなることさえ全く"ない”とは言えないのです。
それに離婚というのは、即ち、父、あるいは母親をなくすということを
考えて欲しいと思うのです。
父親、母親の二役をするというのは、どんな人でも不可能といえると
私ははっきり言いたいと思います。
父親がきつく叱る、傍にいた母親が、後で、そっと慰めたり、父親の考え
方の補足をするというのも大事なことだと私は考えるのです。
勿論その反対もありうると思います。
何十年もの昔の話で恐縮ですが、私が、幼稚園の教諭だった頃、感じて
いたのは、中学しか出ていないお母さんの方が、高等教育を受けていた
お母さん方よりもしっかりと地に足がついて人間として立派な生き方を
しておられるような気がしたのです。 もしかしたら、私の受け持って
いたクラスのお母さん方だけの話かも知れませんが、ご自分やご自分の
家族、そして、周りの方々とうまく協調でき、子供さんをちゃんと
見つめ、ちゃんと地に足をつけた生活をしておられたように感じていました。
今のお若い方々は、ご自分がいろいろとできることがありすぎて、他人の
非ばかりが目に付くような気がしてならないのです。お互いに人間なの
ですから、当然良くできることも、できないこともあるわけで、人を許し
たり、少しづつ成長できるように褒めたり見守るということが大事なのです。
元から完全な人はいないと思っていただきたいし、相手ばかりを攻め
ないで、ご自分の対応がいいのかどうかも、考えていただきたいと思います。
相手の立場に立って考えていただ

(つづく)