80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

一日一善

2010-12-29 12:24:37 | 政治
 タイトルにしようと”いちにちいちぜん”と打ち込んだら ”一日一膳”

と出て来てしまった。 ”一日一善”という言葉は今は死語に近い言葉なの

だろうか?

私の小学生の頃は、朝礼で、校長先生の訓示の中に良く出てきた言葉であった。

 ”一日一善”とは、小さいことでもいいから毎日、何か一ついいことをしよう

という事で、こどもながらに今日は何をしようかと毎日真剣に考えて、ご近所の

出征兵士のお留守宅をお訪ねして、赤ちゃんのお守りをさせてもらったり、

鉄くず拾いをしたりしたものだったが、80歳のこの年になっても、三つ子の魂

何とやらで、今日は何が出来るかと、一応毎日考えながら暮らしてはいるのだが、

何せ80ばあちゃん、たいしたことはでき得ないのだが、それでも、他の人に対

して、誠心誠意向き合っていこうとは思っている。


 では、何が出来るだろうかと思うのだが、今、私に確実にできることは

その日行き逢った人々の笑顔を多少なりともふやすことではないかと思う。


 私は横濱生まれの横浜育ちで、どちらか言うと外人さんと顔を合わすこと

は多い方だと思うが、どうも、総じて日本人は外人さんに比べて笑顔を作る

のが下手だと思う。

全く初めて出会った外人の女性がにこっとしてくれて、その笑顔の美しさ、

優しさにびっくりしたことが何度かあるが、ああいう笑顔を見ず知らずの人

に見せられるようになったら、世の中どんなに明るくなるだろうかと考えた

事もある。


オット、若い美人さんは、殿方にとろけるような笑顔をうっかり見せないで

くださいね。「笑い)

私が、この皺だらけの顔で笑って見せてもという気はするが、こちらが壁を

作らなければ大抵の方とにこやかに(?)お話が出きるようにはなったが、

私が意識して行っていることは ”人を褒める”ということである。

どんな風にだって褒めればいいというものでもない。返って心にもないこと

を言えば失礼ではないかとも思うし、褒めるときには、心を尽くして褒めよう

と思う。

褒められれば大抵の人は気分が明るくなる。

暗いニュースばかり聞かされていては厭でも心が暗くなりやすい此の頃だから、

多少なりとも心を明るくするような事が欲しいのではないかと思うのだ。

 

 ついでだから言うが、近頃増えている離婚騒動も、お互いに上手に相手を

認めて褒めあっていれば、大抵の危機は乗り越えられるのではないかと思っている。

 相手を責める前にちょっと相手のいいところを褒めてあげてください。

 お子さんを叱るのにも、まず褒めてからにしてくださいね。(老婆心より)

より良い年が来ます様に!!!!

  暫く年末年始の休暇をいただきます.

              m(__)m

借金とり

2010-12-28 08:32:52 | 政治
昔は年末になると、落語の借金取りが長屋に借金を取立てに来る噺がよくラジオ

から流れていたものですが、私は国会にも借金取りが大挙して乱入して欲しい

と思っています。

テレビで、よく町の人達の声を放映している時に、老人たちが、消費税をもっと

上げて、少しでも国の大借金を減らして置かないと、お若い方々のためにはならない。

今に大変なことになると仰っていますが、私もそれには大いに賛成です。私たち老人は、

自分たちの目の前の幸せより、子供や孫たちのよりよい明日が来るようにとと願って

いるからです。

少しばかりの子供手当てで、凄く膨らんでしまう日本の借金、勿論、それだけでの

ことではありませんが、防衛費だって、もっと減らしていかなければ外国からやら

れる前に自滅してしまいます。

民主党政権は本当に幼稚な政権ですけれども、さりとて、自民党がよかったとは

おそらく何方も思われないでしょう。長い間の馴れ合いの積み重ねで、ここまで

借金を積み重ねてしまった責任はなんと言っても大きいのではありませんか?

それに野党になったとたんに、民主党を攻撃するばかりで、何の方策もないよう

な気がします。

我々国民が見ていると、今はもうすでにそんな、お互いの党をどうするといった

時ではないように思えます。

今こそ、日本国民が全部超党派で、お互いに手を取り合って、少しでも巨額の

借金を減らして行く方向で考えていかなければならないときに思えるのですが、

国会議員の皆さんはどうお思いなんでしょうかね???????

家具と私(40)

2010-12-26 10:32:48 | 家具
話しはさかのぼるが、1979年の3月16日に新宿のkデパートで家事机が

はじめて売り出された時にも約束の工場出し価格の3%というマージンは直ぐ

には払われなかったことがあったが、今回もであった。日本の家具会社の人々

の意識の低さにはあきれてしまったが、こんな前近代的な考えの会社がこれから

の世の中、ちゃんと世界に伍していけるのだろうかとさえ思った。

そんな訳で最初の会社は駄目だと思って次の会社を探そうとする時に K デパ

ートにたまたま家具を売り込みに来た山形の工場の人達に課長さんが話しを

したらと言ってくれた。家具では比較的大きい工場の営業部長と、営業課長、

それに東京の営業所の所長という話であった。

 その後、東京営業所へご挨拶に行き、山形の工場へも行くことになって、飛行機

を夫が予約してくれたが、その日の朝は天候が大荒れであった。ともかく羽田へ

行って見ようと、悪天候の中で出掛けていったが、羽田へついたときには、多少雲が

切れ始めて、飛行機がどうやら出せるらしいという事になっていた。

山形の空港へ着いたときには、会社のデザイナーのkさんが車で迎えに来てくれて

いた。朝の天候はどこへ行ったのかと思うほど気持ちよく晴れ上がっていて、新緑の

道は美しかったが、仕事を控えているので、新庄迄の間、結構長いように思えたが、

途中で、最上川を御覧になりたいでしょうと言って、最上川の橋を渡ったところで、

少し休んで、景色を見せてくれたが、あちらも大雨だったらしく、川には濁流が流れ、

 ”五月雨を集めて早し最上川”とうたった俳人芭蕉の句が浮かんできた。

途中通った尾花沢では、冬はこのあたりは雪が1メートル以上も積もりますが、

会社のある新庄では殆ど雪は積もりませんと言う話であった。

デザイナーの方は北海道出身の28歳、独身と言う中背で、少し痩せぎすという

くらいの方で、中々まじめそうな人であった。

会社に着くと、大柄な貫禄のある営業部長さんが、出てこられて、”今日は荒武

さんはお見えにならないだろうとお噂してました。”と仰ったので、私は、

”来られないかと思っていました。”と言って笑った。

仕事の話が済んだ後、工場を見学させてくださったが、思ったよりずっと大きな

工場で、まず、たくさんの木材を買い込んで、それを特別な設備で材木の湿気を

一度、全部取り除き、それから常湿に戻してから家具としての材料に使う、それ

でないと、できた家具に狂いが生じるのだと言うお話だった。

それからいろいろとデザイナーの方と何回電話でも打ちあわせして、ヤット、

試作品が出来上がり、宣伝のお嬢さんも決まって写真撮りが行われ立派なA3の

パンフレットが出来上がって家事机の試作品と共に大量に送られてきた。

何とか売り上げなければと言う責任を大きく感じた物である。

(つづく)

クリスマス

2010-12-25 07:53:21 | 御願い





メリークリスマス !

 みなさますてきなクリスマスをお過ごしでしょうか?


いつもの素敵な方からいただいたクリスマスカードです。いつも私がとても疲れて

どうしようもない時に、不思議とこの方からのプレゼントが届くのです。本当に

ありがたいことです。 お蔭で私は書き続ける力をいただきました。

 

 こんな素敵なカードでなくっても、ちょっとしたお心使いがあれば世界の気の毒な

お子さんたちを救う事が出来るのをご存知でしょうか?




”寄付をする”という気負った考えをしなくても、今、皆さんが書こうとしておられる

年賀状の書き損じをお贈りしてもいいのです。

使用された切手を押されたスタンプの周り4ミリくらいを残して切り取った物や、様ざまな

絵入りのカード、「使用済みで可))テレホンカード、パスモ、JRや市営バスや電車の

カードを受け付けてくれるところもあります。「絵いりのものだけです)

こういったものがアフリカの子供さんたちの予防注射代になったりするのだそうです。

勿論みなさまからからの浄財「おいくらでも)いいのです。



どうぞ下記のところどこでもいいので、お電話して、お贈りくださいませんか?


 1)特定非営利活動法人 エファジャパン

   郵便 102-0081  東京都千代田区四番町4 日本染色会館3階

   電話 03-3263-0337  FAX03-3263-0338

   e-mail:info@efa-japan.org URL:http://www.efa-japan.org


2)ジョイセフ

  郵便 162-0843 東京都新宿区市谷田町1-10 保健会館新館
   
  電話  03-3268-5875  ファックス 03-3235-9774

 みなさまのお力で来年はより良い世界に少しでも近づけますようにお互いに頑張り

 ましょうね。

家具と私(39)

2010-12-24 17:15:10 | 家具
ある会社の副社長さんとお目にかかれることになって、東京のデパートの家具

売り場で、お待ちしていたら、中肉中背の風格のある方がやってこられた。

頭の、切れが良くて、話しはぽんぽんと進んで、その会社で、これからいろいろ

と積極的に家事机の方をやっていただけることになって、ほっとしていたが、

それから、どうも、なんとなく様子がおかしいと思えることがあって、それとなく

探りを入れてみると、なんと驚いたことに、その会社のお家騒動というべきことが

あって、その副社長さんは更迭されてしまったそうであった。

社長さんには娘さんしかおられなくて、娘婿の副社長さんが、後を継ぐ事になって

いたそうだが、親戚中からの反対にあっておろされてしまったという事であった。

何がなんだかわからないまま、とにかくがっかりしていたのだが、そのうちいろ

いろとその会社の機構がかわって、それまでの東京営業所は所長がトップに居ら

れたのだが、その上にお偉いさんが来られて、所長さんは、そのお偉いさんの前では

それまで私に言われていた事と1分もたたない間に、全く反対の事を平気で言われる

ようになられてびっくりもし、あきれもしたが、すべてがおかしくなっていった。

そんな時に主婦の友社の編集者がデパートに逢いに来てくださって、今どことどこの

デパートに家事机を出していますかと言われたのである。

よくお話を伺ってみると、私が家事机を入れているデパートの名前を家事机の記事と

一緒に出してあげると言う事だった。ただし主婦の友に書くと売れるから三年は必ず

そのデパートに出し続けてくれるようにと言われたのである。

そのご本が出版されるまで、約2ヶ月あると言う事で、私は、今ここで頑張らなけれ

ばならないと思って、いろいろ計画を練った。

主婦の友だけでは売れてから1ケ月間ぐらいで読まれる方もあるかもしれないし、

直ぐ読まれるとは限らないから、新聞の記事が欲しいと思った。それまでは、読売、

日経、毎日、神奈川、The key、ファミリー 、サンケイ、全国婦人新聞など、また、

雑誌もいろいろと取り上げていただいていたが、朝日新聞だけが如何しても取り上げて

くれていなかったので、如何しても主婦の友と同時に朝日新聞の記事が欲しいと考えて、

大阪へ行くことを決意した。

夫が車で連れて行ってくれたので、大阪の朝日新聞社へ行ったら、先ず、学芸部部長

さんに

 ”東京の朝日は行ったか?”と聞かれた。

 ”はい、行きましたが、取り上げてくれませんでした。”と、私は正直に答えた。

 ”それでは、大阪と京都のデパートには出ているか”?と聞かれたので、

 ”はい、大阪の阪神、阪急、京都の大丸、高島屋に出ています。”と申し上げたら、

 それでは、関西版に出してあげようと言ってくださった。

 帰りに、その足で、阪神、阪急、京都大丸、高島屋の家具売り場へご挨拶に行き、

 名古屋松坂屋、浜松松菱、静岡のデパートを回り、翌日には千葉のそごうへ挨拶に

 行った。東京横濱方面はすでに有名デパートにはすべて出ていたので、回る必要

 はなかったが、その話しをしておいたのである。

家事机の記事が関西の朝日新聞に掲載された日、記事を書いてくださった方はご出張

中だったそうで、その方のお机の上は、問い合わせの手紙でいっぱいになったとかで、

それから全国版に出していただける事になった。

それから、電話帳で、デパートを調べ、北は北海道から鹿児島までデパート関係には

全部電話をして話しをつけて、それから、メーカーに、挨拶に行ってくれるように

頼んでおいたのである。

東京の朝日新聞が、”ちょっと値がはりますが”と言うタイトルをつけて記事に

してくれた日には電話が鳴りっぱなしだった。

前に新聞に載ると話しておいたデパートに行ってみたが、忘れていて、家事机は

裏の方に後ろ向きに置かれたままであったので、課長代理の方に言ったら、それは

大変だと人通りのある處に移していただけた。

翌日、あるメーカーに行ったら、電話が物凄かったですね。全部売り切れましたよ

と言う事であった。

ところがである。私が直接自分で売り上げた物の考案料すら振り込まれなかったの

だ。

担当者にそのことで文句を言ったら、なんと”契約書はあって無きがごとき物である。”

と言うお返事が返ってきた。


(つづく)

天皇誕生日

2010-12-23 07:08:47 | 皇室
今日は天皇誕生日です。おめでとうございます。

世界にも誇れるご立派な美智子皇后様を皇后さまとして、お選び

になられた今上陛下のお生まれになった日です。

私は何でこんなまわりくどい表現をしたかといいますと、

お二方が日常、本当に私たち日本国民の代表者として、世界

の国々の方々から思慮深い、お優しいご立派な方々として

ご信望を集めておいでになるのは、お二方お揃いで美しい

ご夫婦のあり様をお示し下さっていることで、外交上でも、

どんな外交官でもとても出来ないお仕事をしてくださって

おられると思います。

美智子様あっての天皇様であり、天皇様あっての美智子様だ

と思えるからです。お二人を切り離す事はとても出来ないと

思っているのです。

 


 その今上陛下のお生まれになった頃の日本中の騒ぎを、

皆様はご存じないと思いますので、ちょっと国会図書館で調べて

きました。

それまで皇室にはお三方の内親王様がお生まれになっておられま

したが、その頃は如何しても皇太子がお生まれにならないとという

雰囲気がありまして、皇后様がご懐妊遊ばされたという時には、

今度こそはという猛烈な期待が日本中にあったようです。


 
 実は私の卓球のお仲間が、あるとき、卓球のあとで、

”今日は女房が留守だから家へ来ないか”

と、誘ってくださったので、みんなで、ビールを買ったり、

お結びやおつまみを買って、その方の素敵なお宅へお邪魔した時

の話なのですが、ライオンズマンションの最上階のお宅で、ガラス

戸の向こうには素敵な屋上庭園がつながっていて、超豪華なお部屋

にすばらしい調度品や、美術品がセンスよく飾られていた、その

すてきな雰囲気の中で、すっかりいい気分になられた卓球の先輩が、

実はねと話し出されたのが、陛下と同じ日に生まれたので、朝日新聞

から銀メダルをいただいたということでした。

“其れ、ブログに載せさせてくださいね。”と、お願いして、


調べに行ったという訳です。

前日何か持っていかなければならない物があるかと思い、

国会図書館に電話しておいたのですが、身分証明書になる物が

あればというお話しでしたが、その時に、ちょっと見たい記事

の話しをしておいたのですが、係りの方が“ア、銀メダルの方ですね。”

と言って、直ぐ、コンピュターで、その記事を出してくださいました。

びっくりしたのはどのページも関連の記事でいっぱいだっただけでなく、

その関連の記事が何日も何日もいろいろな形で続いていたのです。

どんなに国民が待ち望んでいたかという事がわかりますよね。

 勿論記事でなくいろいろな宣伝もお祝いの事ばかりでしたっけ。



ただ、本当に残念なことに、その方のメダルと賞状は戦災で消失して

しまったということでした。

家具と私(38)

2010-12-22 10:30:41 | 家具
 とにかく家具を売るということは本当に大変な事であった。

他のものなら、いいと思ったら、大抵直ぐ手が出るものであると思うが、

家具は大きい物であり、置き場の問題もあるし、お値段から言っても、なか

なかそうはできない物であったのだ。

実際、御覧になって本当にすばらしいと言っていただけても、それでは、今度

家を建てるときに考慮に入れておきますとか、お引越しとか、転勤するとか

の時だとか、何かの時にという話しになってしまう事も多かったのである。

中には、私のパンフレットを何枚も貯めていてくださるというお話しをされる

方も何人もおられたが、それでは、売り上げの実績にはつながらないのであった。

婦人雑誌や新聞なども、何回も取り上げて下さっていたが、いつもそのときの記事

の中で一番お問い合わせが多かったと言っていただけたが、ほんの一部しか売り上

げにはつながらなかったので、私の懐がうるおうことはなかったのである。

それでも、方々の一流のデパートへだんだん進出できるようにはなっていった。

赤字ばかりではと思いいろいろな会社の社内販売にも一人で奔走して、入れて

いただいたが、確りした会社ほど忙しい。従業員の方々は休憩時間もあまりない

ようで、ゆっくり歩いている人がいなかった。皆さん駆け足で通りすがりに

”ア、ちょっとパンフレットを頂戴”といわれる方があるくらいで、実際売れる

ことがなかった。

 そこで、新宿のあるドレスメーカーの学校にアタックして、ヤットの事で入れて

いただいた。

4月の新入生の時期だったが、ここでも学生たちも先生方も大忙しで、駆けて歩い

ておられたのである。

或る日、札束を握った男子学生が、ひょこっと私の家具の前に立ち、

 ”ア、これ。これください。”とあまりにもあっけなく買ってくださった時

にはちょっとびっくりしたが、地方の大きな洋服を扱っておられるところの御曹司

だったようであった。

その後、先生に買っていただいたが、生徒さんは他にもいろいろそろえなければ

ならないので、仕事に就いたらキット買うと言ってくださったり、大事にパンフ

レットを取って置いて、いつかお金が出来たらと名残惜しそうに帰られた方々も

多かったのである。

家具と私(37)

2010-12-21 16:06:25 | 家具
その頃のデパートの家具売り場はそのデパートによって違う方式をとっていた。

あるデパートでは、そのデパートの店員さんたちだけが売場を担当していたが、別

のデパートでは店員さんもいたが、多くは外からの今で言えば派遣店員だったとこ

ろもあった。

また、處によっては、工場から土日に売場に出かけてくるその家具工場の専門の

セールスさんがいたところもあったのである。

並んでいる品物はどうしても専門のセールスのいるところの品物がお客さんが多く

通るところに置かれるし、何かのマスコミに取り上げられるという事であれば、

また、それなりに、課長さんの判断でいい場所に置き換えられるのであった。

会社によっては時々デパートに見回りに来て、いいところにおいてもらえるよう

にとか、ご自分の会社の家具がどのように扱われているのかと見回りに来られて

いるたが、ある時ある素敵な家具を買いに来られたお客さんがおられたのだが、

私が見るともなく見ていると、現金をためて、本当に嬉しそうに憧れの家具を

買いに来られたお客さんであった。

だが、売り場の派遣店員の男たちがよってたかって、そのお客さんを追い返して

しまったのである。

私は不審に思って、その中の一人にそっとその訳を聞いてみたのだが、

“今日は課長も誰もいないし、あのメーカーは大体自分のところはいいものを

売っているとうぬぼれていて、俺たち販売員に一円も払わないんだよ。だから

いくら売っても俺たちはただ働きで、日ごろから恨んでいたら、今日、長い間

あそこの家具を買いたくてお金を貯めて現金で買いに来たお客がいたので、みんな

で、引き出しをひっくり返してみせたり、あそこの家具の悪口を言って、追い返し

ちゃったのさ”

という話しであった。

本当にびっくりしたが、いろいろ考えさせられる話しであった。

私は、常々いい問屋さんを通さなければと思っていたのだが、

家具が売れるということは、家具の良さ意外にもいろいろとなことがあるのだという

ことを思い知らされた事件であった。

家具と私(36)

2010-12-20 15:30:45 | 家具
これは扶桑社の婦人雑誌エッセの1987年1月号に取り上げていただいた

物である。

従来の洋服ダンスはとても無駄に空間を使っていると思って、何とか改良

したいと思って考えたのだが、ハンガーの肩の上に出来る空間がもったいない

ので、それを何とかしたいと思ったり、和服もあまり持っていないので、

こういうものを作ったのである。

まづ夫の物は外出着から下着、出勤時に必要な小物まで忘れ物がないように

一目で確認できるようにと考えてみた。

まづ運送するには、上下二段に分けることにし、季節の物、季節外のものと分けて

収納すること、洋服ダンスの前に立って下着を着、ワイシャツを着て、ネクタイ

を締め、ズボンをはいて、上着を着、その日必要な小物をポケットに入れたか

どうか確認する。コートを取り出す。と、まあ、

一連のサラリーマンの朝の仕事を全部この場所で出来るようにと考えたので

ある。

上下二段の分けて一番考えたのはコートの長さをどうするかであったが、


上下を貫通させる空間があればよいと思い、また、人によってコーとの丈が

違うので、コート掛けを棚板の下に取り付けて、その方のちょうどいい位置に

コートが掛けられるように工夫した。その上の棚にはワイシャツやセーター

などがたたんだままで入る幅にしたのである。

その右側にはパイプを二段つけてスーツ掛けにし、季節のスーツは下段に掛け、

季節外のものは上段に掛けることとした。(ただし背のとてもお高い方は上段に

季節の物を掛ける方がとりやすいかもしれないと思っていたが・・・。)

奥行きまでいっぱいのトレーをその下において、手前にちょっと引き出して

使うようにし、中には取り外し可能な仕切りをつけた。

その中の手前側には、会社から帰った時にポケットの物を全部取り出しておく

ところを設けて、翌日洋服を取り替えた時に忘れ物がないように、そこだけを

キチンと見ればよいようにと考えた。この手前には上のスーツを取り外すため

の道具をいつも入れておくことにした。

右の扉裏にはネクタイ用の鏡を取り付け、その下段の右側扉裏にはネクタイが

たくさん掛けられ、ネクタイ用のハンガーは、ネクタイをとるときに、どの

ネクタイがどこにあるかが直ぐわかり、下側のものをとっても上のがずり落ち

ないという物を取り付けた。タイピンはネクタイ掛けの上に載せられた。

下段のスーツの下にも上弾のと同じトレーをつけたが、ここには夫の

下着が全部入ってしまった。スーツの掛けてあるところの後ろに幅の狭い棚板

をつけたが、ここにも結構たくさん物が入った。

上段の左扉裏には季節外のスラックスが三枚は入るハンガーがつけられた。

下段の扉裏にはマフラー掛けやけ小物入れをつけた。

扉の正面は取っ手がつくと狭い団地では引っかかりやすいので、とってが飛び

出さないようにしたのである。


これは、後に、あるお客様がこれ一本で今迄三本分の洋服ダンスに入っていた物

が全部入ったと喜んでくださったので、”三倍入る洋服ダンス”と命名した。




 婦人用として作ったのは、和服を入れるお盆を取り付けた上置きと、

下に高さ180センチの本体を考えた。

左の扉裏には上に鏡を取り付け、その下には三段の高さに別れている小物入れ

と、スカーフ掛けを取り付け、反対側の右扉裏には4段にタオル掛け用

のハンガーのたくさん掛けられるようになっているものを取り付けたので、

一段にスカートや、スラックス三枚は掛けられるようになった。

こちらも衣類のハンガー用のパイプの奥に浅い棚を設けて、そこには

ネックレスや指輪などの箱物を入れるようにした。

コートやワンピースなどを掛ける下にもトレーをつけて、小物などを

入れ、下の厚い引き出しにはセーターや、ショールなどをいれた。

これらは家事机と同じに奥行き60センチにして並べたが、隣にあるのは夫

の机として家事机を使ったが、机の一番下には夫のかばんも入れられて

便利になった。


家具と私(35)

2010-12-19 12:23:59 | 家具


これは婦人倶楽部1985年9月号にとりあげていただいたもので、

洗面台と居間の僅かなスペースに置かれたのが、この戸棚、間口85

センチ上段の奥行き32センチ、高さ110センチ、下段の奥行き

45センチ、高さ115センチ

浴室の前にあるので、下着や着替えもなども入れられるようになって

いる。

体重計も使うときだけにおろし、普段は棚に収めている。

衛生用品、洗剤類をたっぷり飲み込む戸棚と紹介されているが、テイッ

シュペーパー、トイレットペーパー、洗剤、石鹸、歯ブラシなどの

買い置き、タオル、体重計、テーグルクロスや暖簾類、古新聞、下着

など、浴室、洗面所で必要な物はすべてここにまとめられている。

上段の扉裏には水枕が掛けてある。

下段にはお風呂に入るときに脱いだものを掛けられるパイプがついている。

(つづく)