80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

一足早いお花見

2010-03-29 15:22:30 | 最近のできごと
一昨日、この前素敵なお雛様のカードをいただいた方から

又、すばらしいお花見のカードが送られてきた。

桜色の封筒に入って、シールも桜の花が一輪、切手にも

吉野山の桜の花が印刷されていると言うなかなか凝った

ものでお蔭様で、このところ、多少ブルーになりかけて

いた私の心が急に華やいだ気持ちになったので、皆様に

もご披露させていただきたくなった。

私の写真術が余りよくないので、とても残念ではあるが、

カードは三つ折になっていて、上から三分の一は額縁の

中に左右から出ている枝に満開の桜が切り絵で表現され

ていて、なんと其の小さい花びらは直径3,4ミリしか

ないのに、其の真ん中には十数個のめしべおしべに見え

る穴があけられているのだ。本当に細かい仕事である。

細い枝のひとつもいい加減に切れたりしていないのだ。

額縁には反対に桜の形が切り抜かれている。

其の下の内側の文章を書き入れるところには濃淡の桜色

の花が印刷されているが程よい加減に散らばっている。

その下の三分の一を上に折ると桜色したバックに白でた

くさんの桜の花が乱れ咲いていて、右下には薄黄緑色の

芝生があり、赤い毛氈を敷いた縁台に赤い和傘が差しか

けられて、今にも野点が始まりそうな雰囲気である。

三つ折にすると、其の上に白い切り絵の桜が重なって

又、美しい。

こんな美しいカードを選んでくださった方も素敵である

けれど、これを作られた方々にも拍手を送りたいとつく

づく思った。

保育科(11)

2010-03-27 07:30:19 | 学校
ちょっと前の話に戻るが、入学する前に夫と

二人で、其の年に入学する次男が学校から帰って

きたときに、友達とおやつを食べたり、本を読ん

だり、遊べるようにと思って、物置を改造した。

小窓がひとつしかないので、そこに電気をつけ、

本棚と玩具箱、小さいテーブルを運び込んで、

入り口に鍵を取り付けた。

外に水道を取り付けて手洗いができるようにし、

すぐ近くに次男が仲良くしている友達がいて、

お母さんがお勤めだったので、そこへお願いに

行って、其のお子さんが、学校から次男と一緒

に帰ってきて、お母さんが帰られるまで、私の家

で過ごしてもらうことにしていただいた。

私は毎朝次男と其のお子さんの二人分のおやつと

飲み物を用意して置手紙をして出かけることに

なったので、隣組には菓子折を持って1軒づつ

ご挨拶をして、夕方までは子供たちだけになる

ので、何かあったときにはよろしくとお願いして

回ったのだ。

長男はもう5年生だから帰りも遅いし、彼が帰る

頃には大抵戻れると思ったが、それでも、小学校

5年生と一年生になる子供たちを置いて、約2時

間近くかかる離れたところへ行くのは、万が一の

地震などのことを考えると、とても不安だった。

だから駅までバスもあったのだが、時間が確実で

早い自転車で行くことにして駅近くの自転車やさ

んと月決めの契約を結んだ。

 其れからの毎日はいつも駆け足のような状態が

続いたのである。

 まづ食事の用意をして夫を送り出し、洗濯機を

まわし、子供たちを送り出し、時計とにらめっこ

をしながら、お掃除して、洗濯物を干して、それ

から出かけるのだが、小学校の子供たちが出かけ

てしまってあまり人通りのない道を自転車で駅迄

突っ走ると(真冬でも)汗だくになった。

周りの人たちが不審げに見ているところで、

茅ヶ崎、大船間を汗が止まらぬまま、冷や汗もか

きながら(?)混んだ電車の中で教科書を開く。

 横浜駅では一番最初に飛び降りて、東横線の

ホームまで駆ける。東横線には遅刻すれすれなの

で、あまりお仲間が乗っていないので、白楽で降

りたら、丘の上の学校 目指して駆け上がる。

 大抵学校に着く頃には一つ前の電車の人たちと

 一緒になった。

 帰りは一週間に一度は叔母を訪ねることになって

 いたのだが、とても不便なところでバスを降りて

 から25分はどんなに急いでも掛かった。

 二人の子供のPTAの会合にも出なければならず、

 其の生活が慣れるまでの最初の二ヶ月くらいは

 本当に疲れていたが、その後は生活のリズムが

 できたのか楽になったのである。

保育科(10)

2010-03-26 16:00:17 | 学校
生物の先生はお若くて背が高いので、若い生徒

たちには大分もてておられたらしい。私はそんな

こととは露知らずだったが、後で聞いてびっくり

した。

ともかく私が覚えているのは蜜蜂のダンスによる

コミュニケーションのとり方だった。

蜜のありかが、近いときには円形ダンス、遠い時

には8の字に回って仲間たちに蜜のあるところを

教えるのだとか、花のめしべやおしべ,がくのこと、

虫たちや小動物のこと、其れを飼う時の心使いなども

教わった。

二年になってからは実際に子供たちに教える時の

工作やお話、朗読のどのような科目が増えた。

倫理は、もう70歳になられたかなと思われる

謹厳実直を絵に描いたような先生だったが、

ある日、職員室に呼ばれた。

 ”あなたは何でもよくおできになるそう

 そうですが、この道一筋でないところが
 
 いけない。

 今後はずっと一筋におやりなさい。”

 私の何を知ってそういわれたのかはわから

 ないが、傍から見ると、そういうことにな

 るのかなあとは思ったが、私は、どんなこ

 とでも自分が飽きたりしたからやめたこと

 なんて一度もなかった。家の経済事情や 

 もうこれ以上ここに働いていても、何も自分

 の将来プラスにならないと考えてやめたり、

 子供ができたからやめたのであって、やめる

 しかなかったと思っていたのだが・・・・・?

特技(?)

2010-03-25 16:09:24 | 最近のできごと
 バス旅行に行って以来どうもあまり体調が芳しく

なかったのだが、とうとう捻挫して毎日整骨院へ

通う羽目になった。

今日も寒い中、雨に濡れた歩道で滑らないようにと

注意しながら、出かけていった。

すでにアラサーのご婦人と60代くらいの殿方が

来ておられたが、私はアラサーのご婦人のお隣の治療台

に寝かされた。靴下を片方脱がされたが、先生がお

薬を取りに行かれたときに、その靴下が気になって

そのまま置いておくと、下の方へ落ちて、後でとるのに

大変になると考えていたら、其の台の足元の先の方に

私のバッグがあった。思わず其れをめがけて靴下を投げたら、

お隣さんから声がかかった。

 “♪見いちゃった。♪”

 ”アラ、見られちゃった?” 私たちは顔を見合わせて

笑ってしまった。

  靴下は見事にバッグの上に載っていた。



 以前母が寝たきりだった時に、私は、時間短縮のつもりで

紙くずを屑篭に投げ入れたり、洗濯物を洗濯機に放り入れる

事をやっていた。習うより慣れろで、いつも目標を見据えて

しっかり投げることを心がけていれば、なかなかうまく入る

ものである。半分はお遊び感覚でうまく入ると

”ヤッター!”何て楽しくなった。


普段やっていると思わぬところで出るものである。

お行儀の悪いところを見られてしまった。(わらい)


皇室

2010-03-24 07:37:56 | 皇室
 世界中の国は歴史上にもいくつも、ありました

し、いろいろな王様の話が残っています。
 
 中には名君の話も残されてはおりますが、暴君

ネロの話だとか西太后だとか則天武后などの超

恐ろしい話を読んだりすると、今の日本の皇室の

ご立派さがとてもありがたく思えてきます。

戦時中には皇室の方々はとても質素なご生活を

送られていて、陛下は国民の食べ物について

ご心配になり、御下問もあったと伺っていますが、

当時一番贅沢をしていたのは軍隊のお偉方と、闇

屋(戦時中は食料や生活物資を国の統制機関を通さ

ないで、闇のルートを作って売り買いして莫大な

儲けをしていた人たちで、お金さえあれば何でも

あると豪語していたのです。)だったでしょう。

終戦の時にも陛下はご自分に全責任があると言わ

れました。 お命を懸けて言われた言葉の重さ、

其れに比べて今の政治家や社長さんたちの情けな

い言動つくづく、人間の違いを感じています。

戦後、昭和天皇は皇后様と地方をお回りになり

国民を元気付けてこられました。

そのお考えが今の今上陛下にも受け継がれて、

美智子皇后様とご一緒にいろいろわが国だけでな

く世界の国々を回られ、心を込めて外交をされて

世界中の人たちの尊敬と敬愛の念を受けてこら

れました。外交上の利益は計り知れないくらい

大きいものだと言うことのようです。

学問その他すべての面ですぐれたご一家だとも思

います。

この間の愛子さまの事件でも、両陛下はご自分の

お孫さんだけでなく、どんなお子さんにも厭な思

いが残らないようにと最新の注意を払ったお言葉

を下されたではありませんか。

こんなお言葉はいつもそのようにお心を配って

おられるからこそ出てくるお言葉です。



 でも、ふと考えますと、四六時中いろいろな

人たちの中におられて気を使われておられ、

どんなにお疲れでしょう?

ご自分たちのお好きな時にやりたいことを

やるなんてことはできないのではない

でしょうか?

両陛下のお年で、今の御公務は大変過ぎる

ことではないのかといつも心配になります。

もういい加減にご公務から開放されて、

お好きなことを、お好きな時間にできるよ

うにして差し上げて欲しいのです。

宮内庁は何のためにあるのでしょうか?


保育科(9)

2010-03-22 06:41:45 | お正月
 生活科学の講師はまじめな方で空気の流れ

をよく教えてくださった。だから窓は、1ケ所

だけ開けても空気の流通はよくならないので、

必ず、開けた窓の反対側の窓も開けるように、

お掃除するときにも窓をいっぱいに開けて10

分以上はそのままにしておかないといけないと

か、保育科としても、家庭人としても役立つよ

うなことをいろいろ講義してくださった。

 私が一番今でもありがたいと感謝している

のは二年生のお正月。

 私が精も根尽き果てて、コタツで、へたばっ

て寝ていた時に先生からのお年賀状が届いた。

 ”あなたは、ご両親の介護やご家族のことも

 あって、とても大変なように伺っております

 が、もうすぐ卒業ですので、何とか頑張って

 下さい。”と、几帳面な感じのする字で

 丁寧に書かれてあった。

 私は。ただ、もう、有難くて、涙をぼろぼろ

 出しながら、その年賀状を繰返して読んだ。

 何とかしてもう少し頑張ろうと考えて、やっと

 起き上がることができたのである。


 (つづく)

保育科(8)

2010-03-21 10:18:43 | 学校
 英語の先生は27,8才の溌剌とした美人だった。

最初は確か赤頭巾ちゃんだったような気がするが、

定かではない。二期目のはじめに先生が

 ”どうせあなたたちは英語をあんまり勉強する気

  がないようだから、今期は内容で勝負しようと

  思って、これを選びました。”とおっしゃって

  米ソの冷戦と核開発についてのご本を配られた。

 英語の難解度は急に2段階ぐらいアップしたかと

 思うほどグレードアップしたが、私は、先生は

 さすがにわかっていらっしゃると思って、一人

 ひそかに心の中で拍手した。


教育心理学の先生は学徒動員で南方の島でご苦労

された方で戦闘はあまり経験されていなかったよ

うだったが、食料の補給がなくて、野鼠などは

ご馳走の部類だったとか、ひどい栄養失調にな

られてふらふらになって、戦後引き揚げて

こられたと言うお話だった。

国大ではあなたたちの半分しか時間が取れな

くて、いつも自分としては不完全燃焼をして

いるようで、不満が残っていたが、今回は

あなたたちに全部教えられてとても満足だ

とおっしゃったのが印象に残っている。

卒業を間近に控えたある日、

 ”まだ、あなたたち幼稚園教諭としての

 自信があまりないと思うが、免状を持つ

 と言うことはすごい自信になるので、安心

 して子供達にに接してください。”と言う

餞の言葉を贈ってくださった。

 (つづく)

 


保育科(7)

2010-03-20 07:30:16 | 学校
 入学式の日。先生のご都合でお目にかか

れなかったのが体育の講師で、お名前だけ

は伺っていて、どんな方だろうかと想像

していたのだが、朝の1時間目が体育と言う

日に、私は例によって、時間ぎりぎりに

白楽の急坂を、息せき切って登っていったが、

学校の近くになったときに、白髪が混じって、

少し背中が曲がり始められた地味な服装の

お年寄りが前を歩いておられたのに気づいたが

私は急いでいたので、ちょっと会釈をして通り

過ぎてしまった。

大急ぎで体育の服装に着替えて飛んでいくと、

さっきお見かけした方がニコニコして立って

おられたのである。

 ”では時間ですから、そろそろ始めましょう

 か。体育は本当は1時間目でない方が体が

 よく動いていいのですけれどね。

 私が講師の○○です。 これから皆さんと

 ご一緒にいろいろお勉強してまいりますが、

 これからこんなことをやると言うことを

 お見せしますので、皆さんは見ていてくだ

 さい。”

 それからの先生の演技は、どれをとっても、

 びっくりするほど、 すばらしかった。

 私たちはただ感動して拝見していたのだが、

 先ほどのちょっと背中を丸くして歩いてお

 られた先生とは、どうしてもつながらなか

 った。

 これがプロというものかとつくづく思った

 のである。

   (つづく) 


保育科(6)

2010-03-19 07:47:33 | 学校
 心理学では優秀な子は叱ってもよいができの悪い子は

褒めて育てよと言うことであったが、その叱り方も子供さん

をつき離すような叱り方をしてはいけないということで、

出て行けとか帰ってくるなと言う叱り方は最悪である。

各家庭でどんな叱り方をされているかで、子供さんの受

け取り方がすごく変わるので気をつけなければいけない。

例えば、とてもやさしい声でいつも注意されているような叱り

方をされているお子さんは、普通に叱られても心が傷つくこと

があるが、いつも怒鳴られているお子さんであれば、どんな

に怒鳴られてもへこたれないし、あまり効果がない。

だからいつもご家族と子供さんの関係とか細かいことに注意を

払っておかなければいけない。


 親御さんの知的水準が高いと、子供さんのためによい環境を

作ろうとに配慮されるから、子供さんの知能が高くなる。

また、外国人との結婚であれば親御さんの言語が二ヶ国語に

なることが多いので、こどもの知能指数があがりにくい。

(私は、これは多分ごく小さいうちは同じことが二つの言語で

表されれば迷うことだろうし、小さい時だけだと思う)

親御さんのご病気や離婚などで施設に預けられているお子

さんは言語や知能の発達が遅れることが多い。其れは

”無用の用”と言って、例えば用事ではなくても

”今日の風はさわやかで気持ちがいい”とか、お子さん

と話すことが言語や知能のの発達につながるのだが、

大勢の子供さんがいるところでは、なかなか一人一人

に多くの言葉を話しかけてあげる時間が持てないのだ

と言う。

(このことは母親が働くので子供さんを保育所などに小さ

い頃から預けられている方も、お休みの日にはせいぜい、

心がけて子供さんとお話をされるといいようだ)

(また、これは余計なことだが、保育所では手が足りない

ので、どうしても食事が遅い子供さんは、適当なところで

片付けられてしまうところもあるので、食が細くなりやすい

のだとか)

施設に心理学の先生がおいでになると子供さんたちが

いつもズボンの周りにまつわりついてくる。其れは人恋しい

のだと言われていた。だから、子供さんには小さいときほど、

頭を撫でてあげるとか抱きしめてあげることが大事であると

教わった。

    (つづく)

三の丸尚蔵館と両陛下

2010-03-18 10:07:14 | 皇室
 昨日わが町のバス旅行で三の丸尚蔵館へ行った。

御成婚50年、御即位20年記念で、両陛下想い

出と記念の品々Ⅱを拝見してきた。



民間から御后を選ばれた皇太子様(現在の天皇

陛下)と美智子様のお考えがさまざまな困難を

乗り越えて御成婚まで漕ぎ付けて、さらに50

年もの長い歳月をお二人で乗り切ってこられた

ご苦労は如何ばかりであったろうかと思って、

私は、胸塞がる思いを新たにした。

 もちろん美智子様とその御家族はどんなに

お悩みになったことだろうかと私は思っている。

 当時はお妃様選びについてマスコミ各社は、

選りすぐりの記者をあちこちに送り込んで、

数年間は大騒ぎが続いたのである。


 その間、候補者と目されるお年頃の姫君たちの

周りは大変だったそうで、記者としてのエリート

たちが繰り広げた常識はずれの非礼の数数は大変

なものだったらしい。

私の遠縁の者がやはりその中の一人だったそうだ

が、目に余った行為を目にしてつくづく厭になっ

たと私に漏らしていた。

中には、わが娘を皇太子殿下のお妃にさせたいと

思っておられた方や、ひそかにお妃を夢見ておら

れた方も居られたのではないかと思うが、お成婚

後、学習院大卒業ではなかった妃殿下を○○会の

方々の執拗ないじめがあったと言うことは伝わっ

てきた。

一般家庭だって大変なのに、当時、美智子様の周

りのお付の人の中にも民間からと言うことで反発

を持っていた人たちもあったようで、ご成婚の時

だったかと思うが、美智子様の手袋が長い物でな

ければいけなかったのに、短いものであったので、

それに気づかれた皇太子様が、何で、御付きの者

が、気をつけて差し上げなかったのかとお怒りに

なったと言うことも我々国民の耳にまで入った事

があった。

 針の筵という言葉があるが、美智子様はいつも

そんな中におられたのではないだろうか、それ

をご自身お人柄でだんだん周囲の人たちを

感動させて、現在の世界中の人々にまで尊敬され

愛される皇室を作り上げてこられたのである。

そんな美智子様をお選びになった殿下もすばらし

いと思えるし、お二人の世界の人々との交流で

日本の外交はどんなに助けられているのかと思う

と、お年を召されてこられたお二方のご健康の為

にも、もう少し、ご公務を減らして差し上げて

欲しいと心から願っているのは私だけだろうか?