80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

塵が消えた?

2010-01-30 09:55:25 | 家族
  このところ塵が消えている。先週も今週もだ。

と言っても別にスリラーという訳ではない。

私は家の横に大きなポリペールを置き、その中に

いろいろな塵をポリ袋に入れて、次の収集の日迄

入れて置くのだ。

それを嫁さんが持って行ってくれるという話で

ある。

 何年も前に、彼女が

 ”お母さん。塵は私が持っていきますよ。”

と言ってくれたことがあった。夫が亡くなった

後の話だったような気がするが、人に甘えて

ばかりいては体力が衰えると思っていたし、

彼女も毎日ではないが、仕事に出かけるので、

私はできるだけ迷惑をかけたくない気持ちもあ

って、感謝しながら断ったが、それでも庭木の

枝や雑草塵など、よく気がつくと持っていって

くれていたのだが、今年は、わたしも、満年齢

で80才になるのだから大変だろうと思ってく

れているのだと思うのだが、有難い事である。

 彼女のコンセプトというのが、

 ”人知れず親切にするのが、本当の親切だ。”

というようであるが、私にはなかなかできる

芸当ではない。



 

緑道清掃

2010-01-29 07:29:04 | 教育
 昨日は地域の小学校の催しに参加した。

 天気予報は昼ごろから雨だったので、お掃除が

終わる頃は雨に降られるのではと心配したが、幸

い真っ黒い雲が出始めてはいたが、雨にはならず

子供さんたちの可愛い様子を思い出に帰宅するこ

とができた。

その時のエピソードを一つだけ皆さんにお話した

くなりました。

昨日お掃除した場所は、車が通らない通学路だっ

たので、殆ど塵がなく、たまにタバコの吸殻や、

キャンデイの紙の切れ端が落ちているくらいのもの

でしたが、大きな木が両側に生い茂っているところ

ですので、たくさんの落ち葉が風に舞っていたの

です。それを堆肥にすることを子供さんたちに教え

ることを目的として、小さな塵も分別して、木の葉

を子供さんの持っているビニール袋に入れてあげる

ことになったのですが、私ともう一人の友達の傍に

来たこどもさんは、1年生の中でも一番小さいくら

いに思えた可愛い坊ちゃんでしたが、私が、木の葉

を袋へ入れようとすると、

”僕、要らない。重たくなるから。”と、断られた

のです。

私たちはびっくりしましたが、無理強いはしません

でした。

でも、その坊ちゃんは他の子供さんたちの生き生き

として楽しそうに木の葉をたくさん入れた袋を持って

あちこち飛び回っているのを見たからか、途中から、

本当に楽しそうに木の葉を集めるようになっていた

のです。

私たちはほっとしました。

”みんながんばっているね”と声をかけ、又次回も

参加したいと思いながら、子供さんたちとのひと時

を楽しんでいたのです。

大型トラック

2010-01-27 10:03:59 | 思い出
 今思ってもぞっとするのが、もう十何年も前

の話です。

 その日は翌日次男の嫁さんと孫たちが福井の

実家にお邪魔するというので、夫と二人、車で

新横浜駅近くのシュウマイの工場直売の出店へ

お土産を買いに出かけたのですが、そこには車を

止めておけるスペースがありませんでしたので、

夫は

 ”今から車を回してくるから、その間に、買い物

 を済ませておいてくれ。”と言って走り去りまし

たが、私が買い物を終わってもなかなか帰ってこな

いので、私が、どこで待っていれば、一番いいのか

しらと思って、気の短い夫のことを考えながら、

そこいらをきょろきょろしながら歩いていたのです

が、ちっとも、車の姿が見えてこなかったので、

その工場外の味も素っ気もない道を行ったりきたり

していたのですが、突然思ってもいなかった方向

から夫の怒鳴り声が聞こえました。

私は慌てて急にその声の方に一歩踏み出したので

すが、驚いたことに左斜め前方約2,5メートル

ぐらいのところに超大型の真っ黒いトラックが

ものすごい砂煙をあげながら爆進してきていました。

ああ、もう駄目かなと思って見上げると、運転手

と目が合いました。彼はもう駄目だと観念したよ

うな顔をしたのです。

 このまま、まっすぐ行ってしまったなら、

完全に轢かれてしまう距離だと思いました。

とっさに私は左足を軸にして回転をかけました。

次の瞬間、車は私の洋服すれすれに走り抜けて

行ったのです。


水死?

2010-01-26 18:19:03 | 思い出
 今、思い出したのですが、以前プールなどで

水死した人を解剖してみたら、ほんの少ししか

水が入っていなかったので、水死ではなかった

と書いてあった記事を見たような気がしますが、

あれは思い違いではないかと思います。

人が水死するというときには多分一滴の水で

十分だろうと思うのです。

 なぜ私がそういうかといいますと、私には経験

があるのです。

もう20年以上も前の話ですが、私はプールで

泳いでいました。その時、急に息ができなくなり、

苦しくて苦しくて水を飲んだんだなと思いましたが、

自分ではどうしようもなくただも息ができなかった

のです。その時見ず知らずの方でしたが、傍にお

られた女性に手まねで背中を叩いてくれるように頼

みました。

はじめはびっくりされたようでしたが、幸いなこと

に意味をわかってくれて、背中を叩いてくれました。

その時1,5メートルくらい先に一滴の水がぽんと

飛び出したのです。本当に、ほんの一滴でした。

確かに一滴であんなに苦しかったのかとびっくりし

ましたが、自分の目で見ていたのですから一滴だと

いうことがよくわかりました。

その方がおられなかったら、きっと死んでいたと思

います。

器官に水が入るというのは一滴でも苦しいものだと

いう体験をしていたのです。だから、解剖したら

ほんの少ししか水が入っていなかったから水死では

ないというのは違うと思うのですが・・・?

器用不器用

2010-01-25 08:23:21 | 性格
 暮れからやらなければと思って支度していながら、なかなかでき

なかったのが、キッチンのシンクの防水シールの取替えであった。

私の年になると、時間があるだけではなかなか取り掛かれないのだ。

その日の体力的なことも重要なファクターになる。

それでやっと昨日取り掛かれたという訳だ。

私はいろいろなことを自分でやってみたいタイプの人間であるが、

今まで防水シールの付け替えは自分で何回もやっているのになか

なかうまくならない。

どうもひとつには性格の面があると思った。

どういう手仕事であっても、私が知っている物では、大抵、仕事

に取り掛かる前の準備がよくできれば、仕上がりが良くできる

というものだと聞いているのだが、どうもそこまで知っていながら、

私はそれができないのだ。せっかちなのか、面倒くさがりやなのか

どうしても、もうひとつあれを持ってきて使えばいいのにと思いな

がらそれができなかったのが、今回は鋏である。

マスキングテープを張るのに、テープを手でちぎってしまったのだ。

ご覧のとおり、いろいろおかしなところができてしまった。

そうそう、何とかは死ななきゃ直らないって言いますよね(笑い)






電子辞書

2010-01-23 10:05:58 | 教育
 世の中いろいろと便利なものができて本当に

嬉しい。

もう50年近くも前のことになるのだろうか

共働きのお若いご夫婦が泣いて喜んだと話題に

なった電気炊飯器や、洗濯機は、私など今でも

時々、それ以前の暮らしを振り返ってみては

ありがたいことだなと、開発者に感謝したく

なる。そういう風に便利になったのはいいが、

あまり喜べないものも中にはあるような気が

している。

その1つが電子辞書である。確かにいい事は

いいと言えるのではあるが、何だか、私は、

そのお蔭で、子供たちの言葉の語彙に影響が

あるように思えてならないのだ。

電子辞書は、確かにすばらしいものではある

のだが、急いでいるときに使うものではない

のだろうか?

 戦争のお蔭で大事な教育を受けていられる

期間に思うように勉強する時間に恵まれなか

った私たちの世代からみても、今の子供たち

は語彙も少なければ漢字も知らないような気

がして仕方がない。

なぜ辞書に拘るのかというと、辞書をひくと、

そのとき調べようと思っていた言葉以外の文字

が目に入ってくるのである。それで、脱線して

しまうものではないかと思うが、そこで辞書と

遊んで、いろいろな言葉を覚えてきたような気

がするのだが、電子辞書ではもうすぐその言葉

が出てしまうので、遊びようがないのではないか。

勿論電子辞書の開発が悪いなんて言うつもりは

毛頭ない。

使い方の問題であるからだ。


緊急入院(4)

2010-01-21 13:15:56 | 
 それから一ヶ月あまり、私は、毎日せっせと病院へ

通った。

 連休を目の前にしたある日、担当の先生の回診があ

って、

 ”そうですね。もう大分いいようだから、連休明け

 に退院されたらどうですか?” と、仰ったのであ

 る。

 ところが、夫はいそいそと退院の準備を始めた。

 ”あら、まだ一週間もあるのに、まだ早過ぎない?”

 と私が言うと、

 ”どうせ先生は連休中は来やしないから、家へ帰るよ。”

と宣った。

 ”だって、お父さん、ここにいるだけで十万円以上も

保険が多くいただけるのよ。先生もああ、仰っているの

だから、もう一週間我慢してよ。毎日来てあげるわよ。”

と、私は言った。

でも、夫はさっさと退院の手続きをしてきてしまった。

夫の同じ病室で、すぐ退院といわれた方は、連休明け

にしてくれと頼んでおられたのに、まあ、欲のない人。

私の懐具合もしらないでと思わず苦笑してしまった。

 息子の高校時代のお友達のお母さんが保険やさんで、

その頃始まった保険に入れられていたので、一日入院

すれば1万5千円もらえる契約だったのである。

次の日曜日、かの保険やさんが現れて、手続きをして

くれたが、ちょうど家にいた長男と次男が車で駅まで

お送りをした。

二人とも家に帰ってくるなり、お座敷でひっくり返っ

て大笑いをしていた。

あまりにもその笑い声が大きいので

 ”どうしたの?”と、聞くと、おなかを抱えながら

次男が

 ”だって、おかあさん。あの人、私は保険について

 は一切押し売りをしないんですよといったかと思っ

 たら、ところで、今度こんな保険ができましたと

 いったんだよ。”と、二人で顔を見合わせて大笑い

 をしていた。

 彼女は優秀な保険やさんで、当時彼女の支店で

 第一位の成績だったそうだから、そうでなければ
 
 到底一位にはなれないのだろうと、私は思った。

天からの授かりもの(?)

2010-01-19 11:18:03 | 家族
 
実を申せば、昨日ご近所の素敵な方からいただいた

お菓子です。あまりにきれいにできていたので、

すぐいただくのはもったいないと思い、写真にとっ

てブログに載せようと思ったのです。

 勿論とってもおいしかったです。

本当に皆さんにおすそ分けしたかった(いや、本当に!)

私の祖父はそういう人でした。いつも仕事上で、外でおい

しい物をいただくことがあると、必ず家族にお土産として

それを包んでもらってきていたそうです。

私の母は次女でしたので、一緒に住んではいませんでした

が、時々夏休みなどにお泊りに行って、祖父が夕方両手に

一杯そう言う買い物をして帰ってくるのを目にしていました。



他人様のお話ですと、戦争中には私に家では早い者勝ちで大きい

子供がたくさん食べてしまい、小さい子にはなかなかわたりませ

んでしたので、大変でしたというようなことを聞くと本当にそう

いうお宅は大変だったろうと思いました。私の父はできるだけ

平等にという考えの持ち主だったので、みんな同じに分け合っ

ていただいていたのですが、私は体格のいい父には悪平等では

ないかと思って申し訳なく思っていたのです。私たちと同じで

あれば当然大きい父には足りないはずですのに、母にしても自分

よりは子供にと思ってくれていたのですが、本当に有難いことで

した。

地震災害と戦争被害

2010-01-18 07:28:32 | 戦争体験
私たち日本の国は憲法によって、戦争放棄をして

いますが、その憲法を変えようという動きもあり

ますし、実際この間,

民主党が躍進して政権をとられてからでも軍事費

という名目ではありませんが、明らかに、そうい

うことに使える予算が増えてきています。

テレビに出ておられた評論家の中にも、もし他国

からやっつけられたら、半分でもやり返したいと

馬鹿なことを言って居られる方がありましたが、

壊滅的にやられたら、お返しはできません。

かといってこの前の真珠湾攻撃のときのように

先制攻撃をしても、結局は最後に悲惨な運命を

辿ったではありませんか?

それなら、インドのガンジーさんの取られた

無抵抗主義に徹するより外ないではないでし

ょうか?

やられたやり返すからこそ、何代にもわたって

戦争の悲劇を繰り返している国々もあるようです。

防衛費といってごまかされるのはやめましょう。

実際に、ミサイルを打ってきたらそれを迎撃

ミサイルで打ち落とすといっても、なかなか難しい

そうではありませんか?

戦争中にもアメリカの飛行機が飛んできたら高射砲

で打ち落とすという話でしたが、ほとんど機能した

とはいえなかったようです。

高射砲から打ち出したのは見てはいるのですが

あったったのはあまり記憶にありませんし、高射砲

陣地があったからこそ、爆弾もたくさん落とされた

のだと思いますし、高射砲陣地をねらってきた敵機

に私は銃撃されたのかもしれないとさえ思っており

ます。

作ったものは試したい、使いたいのが人情です。

軍事費のための予算ををあまりにたくさんもらった

からこそ戦争できないとはいえなかったと、海軍

400時間のテープの中で、元第一軍令部の海軍

大佐がおっしゃっておられました。

次回の選挙では防衛費を削減しようという人を選出

しなければいけませんし、膨大な防衛費がなくなれ

ば私たちの国の借金も減り、健全な福祉社会も建設

されるのではないでしょうか?


地震災害と戦争被害

2010-01-17 08:33:43 | 戦争体験
今日は阪神大震災の記念日です。多くの犠牲者が

出た日です。

皆さんご一緒に黙祷を捧げましょう。

どんなに大変だったことでしょう。 終戦直後に

横浜でも結構大きな地震があって、私は大きな本

が棚の上から落ちて右目を直撃し、その時の事を、

右目の中がぐるぐるといいますかめちゃくちゃに

動き回って,まったく焦点が定まらなくなったのを

何とか自分で直した話を”地震と右目”(戦争体験)

で書きましたが、本当に地震は恐ろしいものです。

その後、地震に対していろいろわかってきたようで

すが、天災ですからなかなか克服することはできま

せん。

それと、地震災害というものは戦争の被害に比べて

長年続いて起こるものではないのです。それから見

ても地震に比べても戦争の被害が如何にすごいかが

お解かりになるでしょう。

それに地震であれば世界各国から応援が駆けつけま

すし隣近所で力をあわせて、助け合いで復興を早く

させたという話もたくさんありましたが、戦争では

隣近所はおろか、町の助けも、もちろん世界の援助

も受けられません。

地震の恐怖に勝るとも劣らないのが、戦争の恐怖です。

頭の上から、爆弾や焼夷弾が降ってくるだけでなく、

銃撃も受けますし、又、国によっては、戦争が終わ

っても、戦争のときに受けられた地雷で亡くなる人

があったり手足をなくす人が長年の間絶えないのです。

又、時には神経を冒す様な悲惨な目にもあうことも

でてきます。

 阪神大震災のときの精神的肉体的後遺症がある方も

たくさんおられますが、戦争のときには、どうだった

でしょうか、想像がつかないでしょうね。

  (つづく)