NHKテレビ”日本は何故戦争に向かったか”よりの抜粋
アメリカと戦えないことを認め、中国から撤兵することになると
これまでに失われた20万の兵の命や毎年の国家予算の7割に達し
た陸海軍費は何のためだったのか、国民は失望し、国家は面子を失
うと考えました。
海軍省兵備課長湊慶譲の証言
”日本はもう世界的に全部威信を失墜すると将来日本人は中国人に
唾を吐きかけられ、朝鮮人には石を投げられてですか、何処に行っ
たってですね、そら、もう、立つ瀬はないですわ。これでは駄目
じゃないかと、、、。”
この頃の大勢は中堅層を中心にリーダーを強硬に突き上げました。
これまでは油が底をついて、アメリカが戦力を増強すれば、日本は
ますます引き離される。この際一日も早く開戦すべきではないかと、
海軍省兵備局長保科善四郎の証言
”何故戦争に反対するんだと、後は脅迫までされましたよ。”
結局リーダー達は軍の部下や国民を説きふせるだけの言葉があり
ませんでした。
企画印総裁鈴木貞一の証言
”東條君の言うたのはあれだけの人間を殺して、そして金も使い
果たしてだね、ただ、その、手ぶらで帰って来いと言うことはだな、
できないと。”
歴史家(日本近代史)ジョン・ダワーさんのお話
”人が死ねば死ぬほど、兵は退けなくなります。リーダーは決し
て死者を見捨てる事を許されないからです。 この死者への
負債はあらゆる時代に起きていることです。 犠牲者に背を向け
我々は間違えたとは言えないのです。”
1941年9月6日 開戦まで後98日
石油が来なくなって一ヶ月、連絡会議はまたしても当面の方針で
凌ごうとします。 交渉での推移を見つつ、一月後の10月上旬
開戦か否かの決意を固め、決断はやはり先送りでした。
ただしそれには、期限を設けていました。
企画院総裁鈴木貞一の証言
”期限を切ると言うことはやらん方がいいと僕は言ったんですが、
近衛さんは、やるけれどもだね、いづれはご聖断仰いでやらなけ
りゃならんから、一応こうやっておきましょうとこういう考えなん
ですよ。”
陸軍省軍務課長佐藤賢了の証言
”これは開戦を決意したんじゃない。開戦決意をするという決議なん
ですから。”
開戦決議をするという期日を10月上旬と明示したのです。
殆ど望みはないけれども何しろまだ交渉をやるんだから、万に一つ
所謂我が目標が貫徹する事があるかもしれないと、こういうところ
にみんなの安易な逃げ場があったのだと私は思うのであります。”
確実に戦争の足音は近づいていました。
近衛首相はひそかに自分の心境を穏健派の海軍次官に明かし、ました。
海軍次官澤本頼雄日記より、近衛首相心境
”どちらの軍からも対米戦に見込みがあると言う話は聞かない。
この際私は人気取りで開戦決意しようと思えば容易なことだが、
それは陛下の御心に反することになる。対米譲歩は国内を乱すと
言うが、国内問題がどうあろうと国を滅ぼすと言うことはない。
だが、対外問題を誤れば一国の安危に関わるんだ。”
本音では戦争を避けたいリーダーたち。 しかし多くの恨みを
買う、その決断を誰が言い出すのか、水面下で擦り合いが始まり
ます。
(つづく)
アメリカと戦えないことを認め、中国から撤兵することになると
これまでに失われた20万の兵の命や毎年の国家予算の7割に達し
た陸海軍費は何のためだったのか、国民は失望し、国家は面子を失
うと考えました。
海軍省兵備課長湊慶譲の証言
”日本はもう世界的に全部威信を失墜すると将来日本人は中国人に
唾を吐きかけられ、朝鮮人には石を投げられてですか、何処に行っ
たってですね、そら、もう、立つ瀬はないですわ。これでは駄目
じゃないかと、、、。”
この頃の大勢は中堅層を中心にリーダーを強硬に突き上げました。
これまでは油が底をついて、アメリカが戦力を増強すれば、日本は
ますます引き離される。この際一日も早く開戦すべきではないかと、
海軍省兵備局長保科善四郎の証言
”何故戦争に反対するんだと、後は脅迫までされましたよ。”
結局リーダー達は軍の部下や国民を説きふせるだけの言葉があり
ませんでした。
企画印総裁鈴木貞一の証言
”東條君の言うたのはあれだけの人間を殺して、そして金も使い
果たしてだね、ただ、その、手ぶらで帰って来いと言うことはだな、
できないと。”
歴史家(日本近代史)ジョン・ダワーさんのお話
”人が死ねば死ぬほど、兵は退けなくなります。リーダーは決し
て死者を見捨てる事を許されないからです。 この死者への
負債はあらゆる時代に起きていることです。 犠牲者に背を向け
我々は間違えたとは言えないのです。”
1941年9月6日 開戦まで後98日
石油が来なくなって一ヶ月、連絡会議はまたしても当面の方針で
凌ごうとします。 交渉での推移を見つつ、一月後の10月上旬
開戦か否かの決意を固め、決断はやはり先送りでした。
ただしそれには、期限を設けていました。
企画院総裁鈴木貞一の証言
”期限を切ると言うことはやらん方がいいと僕は言ったんですが、
近衛さんは、やるけれどもだね、いづれはご聖断仰いでやらなけ
りゃならんから、一応こうやっておきましょうとこういう考えなん
ですよ。”
陸軍省軍務課長佐藤賢了の証言
”これは開戦を決意したんじゃない。開戦決意をするという決議なん
ですから。”
開戦決議をするという期日を10月上旬と明示したのです。
殆ど望みはないけれども何しろまだ交渉をやるんだから、万に一つ
所謂我が目標が貫徹する事があるかもしれないと、こういうところ
にみんなの安易な逃げ場があったのだと私は思うのであります。”
確実に戦争の足音は近づいていました。
近衛首相はひそかに自分の心境を穏健派の海軍次官に明かし、ました。
海軍次官澤本頼雄日記より、近衛首相心境
”どちらの軍からも対米戦に見込みがあると言う話は聞かない。
この際私は人気取りで開戦決意しようと思えば容易なことだが、
それは陛下の御心に反することになる。対米譲歩は国内を乱すと
言うが、国内問題がどうあろうと国を滅ぼすと言うことはない。
だが、対外問題を誤れば一国の安危に関わるんだ。”
本音では戦争を避けたいリーダーたち。 しかし多くの恨みを
買う、その決断を誰が言い出すのか、水面下で擦り合いが始まり
ます。
(つづく)