80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

北海道の雪

2012-11-30 09:10:17 | 最近のできごと
子供の頃は雪国の人が羨ましくて仕方なかった。

大人になってからは、雪国の方々の生活の知恵

に目を見張ることが多くなったが、それにも

まして、大変さが、余計感じられるようになっ

た。

このところの北海道の各地で起こっている停電

騒動、テレビで拝見する度に胸が凍ってしま

う思いに駆られるのは、皆さん同じだと思うが、

このところ各地で起こっている気候の急変を

どのようにお思いでしょうか?



心からお見舞い申し上げます。m(__)m

豪栄道

2012-11-25 18:39:29 | 伝統
横綱白鵬が、14勝1敗で、千秋楽を23回目の優勝で

締めくくった。 

前の場所では、日馬富士が横綱白鵬を破って優勝し、

横綱に昇進した。

このところ、日本の国技とも言われた相撲で、なか

なか日本人の優勝者が出ないのは、ちょっぴり寂し

いが、今場所では、関脇豪栄道と、日馬富士との試合

で、前代見聞の審判の間違いで、途中制止が入り、

取り直した試合があったが、それまで明らかに有利に

見えた豪栄道が、二回目の取り直しの試合では勝て

なかったので、私は本当に気の毒に思ったし、そこま

で全勝で来た豪栄道がそこから負けて11勝4敗で

終わったことについては、本当に、残念で仕方がなか

ったが、それでも、今日、解説の前の海修平さんが

豪栄道は、あの試合の後、嫌な顔一つせず、本当に

立派な態度だった。

きっと親方の指導がいいのでしょうね。

相撲道にかなうものだと褒めちぎっておられたので、

うれしくなった。

ちなみに豪栄道は技能賞を獲得、大関への夢の道を

進むことになったそうだ。

頑張れ。豪栄道
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人間としての責任

2012-11-21 08:05:34 | 戦争体験
このところガザ地区からのイスラエルへの攻撃が

激しくなり、多くの死者やけが人が出ていて、

国連も乗り出しておられるのですが、なかなか

収まりそうもありません。 これは報復に報復

をという愚かなことが原因のようです。



私たちの周りでも尖閣諸島問題や竹島の問題が

あって、きな臭さを感じることも、ままあります

が、戦争に発展したら、どの国民も幸せを感じる

ことはないと言えます。



大体、竹島だろうと、尖閣諸島だろうと、みんな

で仲良く使えばいいではないかと私は思うのです。




この私たちの大事な地球は、今、戦争戦争で、放っ

ておけるような状態ではないようです。

CO2による海水の酸化が、急速に進んでいて、

今まで海水が吸収てくれていた、二酸化炭素を、

吸収できないくらいにまでなってしまって、温暖化

が進んでいるのだそうですが、 同じ地球に住み

ながら、他の動植物は悪いことをしていないのに

何もできません、私たち人間が力をあわせて、どう

にかしないといけない時期にまできているのに、争

いごとで、さらに悪い環境にしてしまうことは、

動植物に対しても、申し訳ないのではないでしょう

か?




大体、この地球は誰のものなんでしょうか?

人間が勝手に自分の所有権を主張しているのでは

ないですか?



私は、もう一度、みんなで考える必要があると思い

ます。

私たちの地球をどのようにしたら、動植物も、

そして、もちろん私たちの誰もが、安心して住める

地球を取り戻すことができるか。


うらみつらみをいくら言っても、世の中はよい方向

には行きません。



世界中が平和を取り戻すには、兵器の力ではできない

と言うことは何方だってお考えでしょうにね。



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学童保育(4)

2012-11-17 16:53:02 | 教育
NHKテレビ”あさいち”よりの抜粋

では今、子供たちが放課後どうなっているのかという

事情ですが、東京都のどの区内でも、園内で野球、

サッカーはやめましょうと言う看板がたっているので

子供たちはすべての区でフェンスなどに囲まれている

特定の区以外は危ないとかうるさいとかの理由で遊ぶ

ことができない。

では学校の校庭はどうかと言うと犯罪の心配とかで

約8割の学校が集団下校になっているので、遊べない。

子供たちに聞いて見ると、自分の家か友達の家で遊ぶ

しかないと言うので、実際に家で遊んだらどうなった

かと言うと、アンケートに答えてくださった方々の中

からのご紹介ですが、Aさんのお宅はAさんと、その

母親の77歳の方と4年生の息子さんで、学校から帰って

くると、テレビゲームばかりしているので、たまには

公園でお友達と遊んできなさいといって出すと、公園

には禁止の看板、それではお友達を家に連れてきたら

と言うと、8人もやってきた。この子供たち、マンショ

ンのリビングで、興奮して飛んだり跳ねたり、しまいに

はおやつをねだる子も出てきました。

Aさんは子供たちの家で持ち回りでと言うことを頼んだ

のですが、家が汚れるとか部屋のものが壊されるとかで、

断られました。

子供たちの世話をしていた77才の母親がついに倒れて

しまいました。

Aさんも子供たちを断ることになりましたが、子供たちは

どうなったかと言うと、公園で、みんなで携帯型のゲーム

をしていたんです。






これは余談ですが、その昔、次男が小学校4年生のときに団

地へ越しましたが、団地の芝生で野球をしていたら、うるさ

いと言われたので、母親たちで学校へ放課後校庭を子供たちに

使わせてくださいとお願いに行きましたら、いかにもご立派に

見える校長先生が、私たちを校長室に丁寧に迎え入れてくだ

さったのですが、その話を聞かれてから、おもむろに。

”ガラスが割れたりしますでしょう。小使いさんが大変なん

です。 今は小使いさんがね・・・・。と”

私たちはあきれてものも言えませんでした。校長先生は子供

たちの心身の発育をどう考えておられるのでしょうか、小使

いさんの方が校長先生よりお偉いのですか?と問いかけてみ

たかったのですが、何分にも子供を人質にしているよう

に思えて、残念ながら何も言えなかったのです。

(続く)


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落合務シェフ(3)

2012-11-16 18:42:52 | お料理
NHK テレビ”仕事学の勧め”よりの抜粋

その頃生まれたのが、魚を使ったカルパッチョ。

本来ならば、イタリヤではカルパッチョと言えば、

牛の生肉を使うものでしたが、メニューに載せて

あっても、なかなかご注文がない。たまに

ご注文があっても、生肉を焼いてくれと言われて

悩んでいた。お隣の和食のお店から鯛の下ろした

のをわけていただいて、酢漬けにして、ウッツー

さんに食べてもらったら、いいと思うが、俺の友

達に食べさせてみろと、言われて、毎回一皿出し

てみたら、おいしいからいいんじゃないと言われ

て、イタリヤ人にお墨付きをもらったということ

で、オーナーからもよかろうというお許しが出て、

本格的にメニューに載るようになった。30年前に

落合さんが考えた、魚のカルパッチョだが、今では

カルパッチョ用の魚と書かれて、スーパーでも売

られるような時代になった。

今ではすっかり定番となった落合さんの魚のカル

パッチョには、こんな誕生の物語があったのです。

仕事のツキは誰でも持っているが、そのツキが

来たときにそれに応じられる技術や知識を持つ

ことが大事途落合さんは言う。

落合さんはオーナーとか、ウッツーさんで出会え

たのはつきがあったといって感謝されている。

また、たくさんにつけたノートが支えになって

くれ、開店二年後には押しも押されぬ人気店に

なった。

落合さんが、日本でのイタリヤ料理の概念を

すっかり変えていったといえるとか。


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落合務シェフ(2)

2012-11-15 18:17:05 | お料理
  

NHK テレビ ”仕事学の勧め”よりの抜粋

落合さんはイタリヤでの修行時代20冊のノート

をつけていた。 手帳に日本語で書いて、それを

家に帰ってノートに転記したのである。

最初は日々厨房でであった新しいレシピを一つ

一つ書き留めていった。




イタリヤから帰国した翌年、35歳のときに、

赤坂にオープンしたイタリヤン レストランの

シェフを命じられました。

席数100の堂々たるレストランでした。

1982年のことで、オーナーは、桂洋二郎と言う

いくつもの有名レストランを経営する事業家

でした。

鳴り物入りで開店したものの、当日、二日目ぐ

らいは大勢の客で賑わいましたが、三日目、

四日目あたりから、客が全然こなくなり,100席

あるのに周りの店は客が溢れているのに、ああ、

ここ、丁度、空いているから入ろうと言うような

店でした。

オーナーがお前がシェフだからお客さんと話せと

言うので、お客さんと話すと、必ず、口に合わな

い、おいしくないと言うので主人に相談します、

”スパゲテイが硬いと言います。ご飯に芯があると

言います。油が多いと言います。オリーブ油の匂い

が嫌いだと言います。どうしましょうか? 

ちょっとご飯を軟らかくしましょうか? 

パスタをもう少し茹でましょうか? 

オリーブ油をサラダ油にしましょうか?”

しかし、オーナーは

”落合、お前さ、イタリヤで勉強した料理は、それ

 だろう?”

”まあ、そうです。”

”日本人の俺たちが、勝手にイタリヤの文化を変え

 たら いかんだろう”とオーナーが言ってくれた。

 すばらしいオーナーでした。

”毎月150万円の赤字。30年前ですよ。それを半年、

 8ヶ月、10ヶ月という風に続けていた。

 当時お客はお前の店はナポリタンも鳥のから揚げ

 もないじゃないかと怒っていた。

日曜日なんてノー ゲストですよ。

そんな時にイタリヤ人の客が呼んでいるというので、

又、叱られるのかと思っていくと、シェフを呼べと

いうので、シェフは僕ですと言うと、オーナーを呼

べ、オーナーはイタリヤ人だろうといったので、

いや日本人ですと言うと

”俺はいつも来ていて、この料理を悪いと思って

 いないけれど、客が来ないのが気になっていた。”

 彼の名は フランチェスコ・ランド・ウッツィーさん

 で イタリヤ観光局の当時の局長さんでした。

 それ以来、落合さんの料理を認めて、イタリヤの

 大使館員、貿易振興会、イタリヤ航空会社、銀行、

 声をかけてくれたのです。

 そして、その方々が、だんだん日本人を連れてくる

 ようになっていった。

 その中に、”お前たち、ちゃんと味見をしているのか、

 味見をしていたら、こんな芯のある飯は出さないだろ

 うと叱られたことのある日本人もこられたが、イタリ

 ヤ人が、イタリヤの本当の味はこういうのだ、ご飯は

 硬い、スパゲテイは芯があっていいのだと説明すると、

 信じて、今度は日本人に向かって、俺が本物のイタリ

 アンの味を教えてやるなどと言ってくれたのだそうだ。

(つづく)


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落合務シェフ

2012-11-11 22:52:20 | お料理
 NHK テレビ ”仕事学のすすめ”よりの抜粋

今回の出演者は日本で一番予約が取れないお店の

シェフ落合務さん、聞き役は明治大学印教授野田稔さん。

落合さんは東京オリンピックの時に総料理長を務められた

村上信夫さんにあこがれて、1964年、17歳でフレンチの

料理人になられて、1975年、28歳で念願のフランスへ。

一ヶ月滞在、名だたる三ツ星レストランで食べ歩き、味と

技術に感動した。 その帰途、飛行機の都合で、偶然

イタリヤのローマに降り立ち、本物のイタリヤ料理に出会い、

感動。

目の前でさっと作ってくれたフットチーネのおいしさに

びっくり。何もいれていなかったのにと不思議に思った。

野田さんは落合さんのフェットチーネをおいしいと言って

召し上がった。

フェットチーネはパルメザンチーズとバターとゆで汁を少し

だけ入れたお料理、さほど手をかけていないのに、毎日食べ

ても飽きないおいしさ、フレンチの修行を続けてきた落合さ

んには衝撃でした。

当時の日本でのイタリヤ料理は、アメリカ経由で、トマト

ケチャップ、タバスコと振りかけるチーズと言う三種の神器

が使われていたのに、そのどれもなかったのに、おいしいのは

と、日本へ帰ってってきていろいろ調べた。 日本の油は

いろいろな種子からとっているが、オリーブは実のジュース

だと気がついた。魚を焼いてもソースはかけない。オリーブ油

をかける。日本では焼き魚にお醤油をかける。フレンチ料理の

元はイタリヤ料理だったということも知った。

次に野田さんに出されたのが、落合さんがイタリヤ南部の

イスキアでいただいて感動した蛸とセロリのサラダ。食感の違

う二つの食材をレモンたっぷりのドレッシングでいただくもので、

野田さんは、蛸がとても軟らかいと言われたら、落合さんは、

日本では、ぷりぷりしていると言うのが好まれたりするが、

イタリヤでは軟らかいのが好きで、最初目の前で作るのを見た

ときには、大きなお鍋を、ごく小さなガスにかけるので、何で

そんなやり方をするのか、隣の大きな火でやればいいものをと

やわらかくしあげるために、ごく小さい火で沸騰させないで煮る

やり方だと聞いて、1時間半も煮ていて、本当に軟らかくおいしく、

僕は彼らのやることを馬鹿にしていた自分を反省しました。

彼らの先祖代々の継承されている業と知識があると知りました。

間単に作れそうで作れないイタリヤ料理の奥深さがあるんです。




落合さんがイタリヤに行ったのは1978年31歳のときでした。

ほとんど日本人はいなかった時代でした。ローマを振り出しに、

ボローニャ、ナポリ、フィレンツェ、シチリヤ。気に入った

レストランを見つけて交渉します。

”給料いらない。 修行させてくれ。飯だけ食べさせてくれ。”

修行した店は20店を越えている。

次に野田さんに出されたのはニョッキ。ローマのレストランでは

週に一度、トマトとバジルのニョッキを作った。

野田さん

”私が今まで食べたニョッキはもっと硬かった。”


”そうですね。ニョッキは粉が多いと硬くなっちゃうんですね。

ジャガイモが入るとふわっとするんです。”


当時声楽家とか音楽家の方がイタリヤへ留学されていた方も

多かったそうだが、日本人とはつきあわなかった。

落合さんはイタリヤ人と付き合うのが面白くて・・・。 

僕なんか、団塊の世代ですから、小学校でも

中学校でも先生にバシッと叩かれたりした時代だったんですが、

”たて”社会でしたが、イタリヤでも当然”たて”社会では

あるんだけれども、平等で、飯なんか食っても、俺は俺の都合

で遅くなっているんだから、温かいうちに食え、先輩が食わな

いから食わない、仕事が終わったら帰れ、先輩が帰らないから

帰らない、そんなのは止めろと言われたそうだ。

つらいことは何もなかった。ただ”餡こ”が食べられないのが

辛かったとか。

野田さん

 ”いくら(たて)社会でなくても、厨房のような戦場のよう

 なところでは、、、?”

 ”僕は給料は要らないって言っているので、彼らはすごく僕

 には寛大なんですよ。一度寝坊して、タクシーで行ったんで

 すが、

”なんでタクシーで来るんだ、もったいないからタクシーなんか

 で来ないでゆっくり来ればいいんだ、お前には給料を払って

 いないんだから・・・。”

 だんだん半年とか一年とか立って、給料をもらえるようになると、

 責任もでて来るんですがそれでも、一度もいやみを言われたこと

 がなくて、 本当に楽しかった。 いじめられたことが一度も

 なかった。 通じなかったのかな?(笑い)”

野田さん

 ”落合さんめちゃくちゃイタリヤに合ってっていたのでしょうね?”

落合さん

”自分で言うのもおかしいけど、僕は前向きなんですよ。過ぎたこと

 を言ってもしょうがない。すんだこと言っても始まらないし、それが

 戻ってくるなら言うけど、・・・・この間、すみまっせん、ぜんぜん違

 うんだけれど、僕の愚痴っぽい話、聞いてね。うちのお皿は高いん

 ですよ。一枚3800円。そのお皿をうちの若い者に 20枚割られて 

 うわあっと思ったけれども、すみませんて言ってっているんだから、

今度から気をつけてねって言うよりしょうがなかった。

(つづく)




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振り込め詐欺(?)

2012-11-08 11:51:10 | 最近のできごと
 今朝、9時ころだったろうか、電話がなった。

”おばあちゃん、今日お昼食べに行ってもいい?

 新横浜で人に会うんだけれど、それから、

 おばあちゃんところでお昼食べさせてもらいた

 いんだけど、ちょっと遅いお昼になるんだ

 けれど。?”

ちょっと孫の声にしては似ているところもあるけ

れど何だか、おかしいと思ったが、

 ”じゃあ、何が食べたいの?”と聞いてみた。

 ”なんでもいいよ。”

 ”Yちゃんの好きなもの作るわ。和風でも、

 洋風でも・・・。”

”いいよ、何でも、ところで、今日のおばあちゃん

 の行動パターンはどうなの?”

”昨日、転んじゃったから、お医者さんへ行ってお薬

 でも、もらってこようかなと・・・。”

”何時ころ帰る?”

”そうね。お昼前頃には帰れるかな。”

”じゃあ、話が終わったら、電話してきてよ。”

”うん。解った。”

”Yちゃんにおばあちゃんのグラタン食べさせた

 ことがないんで、一度ご馳走したかったんだけど、

 グラタンは嫌い?”

”好きだよ。”

”じゃあ、チキンがいい? それともエビ?”

”エビ。”

 電話を切ってから、どうせグラタンを作るなら、

 たくさん作って持たせれば、嫁さんも夕飯の支度

 をしなくてすむかしらと思い、まっすぐ帰らな

 いのであれば、無駄になると思って電話をするこ

 とにした。

すぐ、電話をすると、嫁さんが出てきた。

 ”え、Yですか? 電話なんかしたのかしら?”

 すぐ、本人に代わると、電話していないと言う。

 確かにほんの少し声が違う。

今これこれ、こういうことがあったと言うと、それは

形を変えた振り込め詐欺かも知れませんよと言うこと

になった。

それでは、予定を変えて家にいることにするわ。

二階の人たちもいるしと言うことで、電話を切った。

家で待機(?)していると、11時25分ぐらいに電話が

なった。

”Yだけど、おばあちゃん お医者さんはどうなった?"

 ”あたし、考えたけど、そういう孫はいなかったわ。”

電話はぷつりと消えた。


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学童保育(3)

2012-11-06 19:27:06 | 教育
NHK テレビ”あさいち”よりの抜粋

そうした中で、大きな問題が立ちはだかってくるのが、

小1の壁と言うもので、学童保育が足りないと言う

ことで、実際に仕事をやめられる方がいると言うので、

その神奈川県在住のAさん(35歳)を取材させていた

だいたそうです。

Aさんは夫と3歳の子供と小学校一年生の長男と暮らし

ています。Aさんは大学卒業と同時に大手企業に就職

し、結婚して、子供を横浜市の保育所に預けながら働

き続けましたが、長男が小学校に入学する一年前から、

学童保育所を探し始めましたが、近くにないことから

市内での引越しを考えたのですが、今度は次男の保育

所が見つかりませんでしたので、仕事をやめざるを得

なかったと言うことでした。

保育所の途中転園は不可能に近いと言うので、Aさん

はお隣の鎌倉市に目をつけ、学童保育所を見つけ、

見学に行きましたが、その学童保育は外遊びはせず、

時間も最長夜7時までだったのです。それでAさんの

会社は夜6時半までだったので、Aさんが学童保育所

につけるのは8時になってしまうので、会社に時間

短縮を頼んだのですが、上司が交渉してくれたのです

が、できませんでした。

13年間同じ職種でがんばってきたのに認めてもらえ

なかったのです。

フルタイムからパートタイムに変わった方もあり、

どれくらいの人数がその壁にぶちあたっているか

把握されていないということだとか。

子供一人で留守番させるしかないとか、親御さんたち

に時間まで子供を預ける方もあるそうです。

番組でアンケートをとったら東京都に住む40台のシン

グルマザーの方が、来年、下の子供が進学するが、地域

の学童保育がいっぱいで、入れるかどうか解らない。

シングルマザーなので、子供一人で留守番させるしかな

いとか、また、別の大阪のシングルマザーの方の話では

子供さんが障害児なので、障害があると言う理由で、

待機のリストにも入れてもらえないので、せっかく決ま

った仕事も辞めなければならないと・・・・。

東京都の30台の会社員の話。学校に併設されている学童

保育に、三年生までだと言うので、4年生になると出さ

れてしまう・・・。



 今までは児童福祉法でおおむね10歳くらいまでと書か

れていたが、いかにも現実に合わないということで、

8月から、その言葉がなくなったので、6年生まで学童

保育に入れることにはなったが、倍の人数がいること

になると言うことで、また、それだけお金がかかると

言うことになると言う。

(つづく)

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学童保育(2)

2012-11-05 20:10:52 | 学校
”NHK テレビ”あさいち”よりの抜粋

学童保育の運営主体は公立が40%、父母会などが

31%、社会福祉協議会が11%その他、18%で

利用料は父母会が月1万円から2万円、公立が若干

お安くて、月5千円から1万円くらい、本当に親御さん

たちが頑張ってきたといえると言う人もいるそうで、

全国2万箇所あると言うが、それでも足りなくて、

学童保育そのものがない小学校区も3,800区もあると

言う。何でこんなことになっているのかと言うと、

学童保育は自治体の努力義務になっていると言うことで、

その元になっている法律と言うのが、児童福祉法という

ものである。

児童福祉法 第21条の10

市町村は児童の健全なる育成に資するため(中略)放課

後、児童の健全育成事業の利用の促進につとめなければ

ならない。

”学童保育は保育所みたいに、やらなければならないと

言う状態ではないんですね。

ここからは白梅学園大学学長、文部科学省 家庭教育支援

委員会座長の汐見稔幸さんとお伝えしていきます。”



イノッチ

 ”先生、この努力義務って言うのはなんでなんですか?”

汐見

”まあ、本当は義務の方がいいんですが、ああいう風に書

かれたのはやっとこの15年前からなんです。保育園なんか

は戦後すぐに書かれていますから、学童保育なんかは法的

に定められた歴史が非常に浅いんです。一部の都市部なんか

特に東京なんかはあったんですよ。

イノッチは品川ですよね?”

 
イノッチ

”そうです。”

汐見

”品川はかなり前からあるんですよね。”

イノッチ

”そうです、すごく充実していましたよね。”

汐見

 ”ほんの一部の子供のためにお金を使わなくては

 ならないと言う発想がなかったんですよ。そも

そもどこかで適当に遊んでいるんじゃないかと

近所でみていてくれると思ってっていたが、共働きが

だんだん増えてきて、遊び場もなくなってきたので、

本当に鍵を持って遊んでいる子が増えてきて、親達

が何とかしてくれないかと行政に働きかけたり、

必死になって、つくったり、毎年、全国で何千人も

やってきた。”

”いづれ義務にはならないんですか?”

”それはね。ニダという大きなシンクタンクが

1993年に学童保育に関してして報告書を提出したん

ですね。それでやっと国が動き出して、1997年に

法律に書かれたんです。

しかし一挙に義務にしてしまいますとね、何万箇所も

確保しなければいけないし、人もいる。膨大なお金が

かかるということで、さしあたり、努力義務という

ことで、はじまって・・・・。”

”これは、また、変わってくる可能性がある?”

”それは、是非、義務にしてほしいです。”

”50万人も待機児童がいるんですから”

”いや、もっといるかもしれません。”

”だったら、是非、義務にして・・・。”

”本当は奏すべき。でも皆さんが頑張られたから、

公立が40%もできたんです。

(つづく)


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