80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

円の戦争(7)

2011-08-31 15:47:48 | 戦争体験
NHK テレビ ”円の戦争”よりの抜粋



ところがそのアメリカも気づかなかった資金の動きが発覚した。

昭和15年8月、突如、横浜正金銀行ニューヨーク支店の口座で

1200万ドルもの金が動いていたことが分った。

FRBは三週間にわたってひそかに調査を続けた。

日本にひそかに外貨をためる動きがある。 

それは正金銀行ニューヨーク支店の隠し口座にある。

日本がアメリカに送っていた ”金”、それは売るときの相場に

よって差額がでる。その額は二年半で一億4千万ドル。

戦争に欠かせない石油三年分を賄える額だった。

正金銀行は、アメリカへの報告義務にしたがわず、貯めていたの

だ。

アメリカは日本が一億ドル以上の金をもっていたことを知った。

FRBから、わずか数ブロックの目と鼻の先に隠していたのは、

大きな衝撃だった。

日本が中国との戦争を長期間続けることができるのだから・・・。

アメリカは急遽日本資産の凍結を検討しはじめた。

その矢先、日本がドイツやイタリーと、三国同盟を結び、日米関係

が悪化。

正金銀行はアメリカの資産凍結を逃れるために第三国への資金の

転送を考えている。

将来戦争になったときに資金が凍結されるのではないかと第三国へ

資金を付け替えてそちらにプールしておこうと思っていた。

昭和16年7月日本軍は蒋介石への支援ルートを絶ち、南方進出の

拠点、フランス領のインドシナ南部に進駐。

アメリカは即座に日本資産の凍結に踏み切った。

その背景にあったのは、日本が多額のドルを隠し持っていたことに

対するアメリカの強い不信感があった。中国での戦争を続ける資金

調達への動きが日米開戦へとつながった。

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お願い

2011-08-31 11:06:00 | 戦争体験
皆様にお願いです。

昨日NHKの方から先日のテレビ首都圏ネットワークの再放送はないと

伺いました。

私は、この夏81歳になりまして、今後、そう 何年も生きられるとは

思っておりません。

そんなに後がないのを痛感しております。

そこで、お願いなのですが、戦争体験の話をさせていただける学校が

ありましたら、自費で伺いますので、お声をおかけくださいませんか?

ただし、私は真剣ですので、いい加減なお申し込みは困ります。

以前も子供さんたちの前で話してくれますかと言われて、私なりに

いろいろと資料などを集めたり、原稿を書いてみたりしていたの

でしたが、すっかり忘れられていたのです。

又、あるグループが毎年戦争体験の話をするようにと呼んでくださるの

は大変ありがたいのですが、 最初は7,8分と言うことで、お受け

したのですが、その後、5分にしてくださいと言われ、一生懸命原稿

を書き、何度も読んでみて、ちゃんと5分で話せるように準備して出

かけたのですが、会場で、暑くなったから短くしてくださいと言われ、

その後、3分に変更され、いざ話し始めたら、すぐ、終わりですの

サインが出ました。

毎回、ちゃんと頼まれた時間分話せたことはありません。 いつも、

何のために伺ったのかと言う残念な思いで、戻るのです。

こちらからお願いしているのに、文句を言って申し訳ありませんが、

どうぞよろしくお願いいたします。


                                   
   m(__)m




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ノーサイド

2011-08-30 06:43:28 | 政治
 
昨日、民主代表選で、決選投票の末、野田佳彦財務大臣が代表に

決定した。その後のご挨拶のお言葉が

”ノーサイドにしましょう” 54歳のお若い方らしい発言だった。

何か少し明るい気分になった。

 これまでの国会での ”菅下ろし”は、いじめのためのいじめの

ようでいやだった。

 日本には国民のために政治をしようとする人はいないのかと思って

しまうくらいちゃんとした政治家は見えてこなかった気がする。

 前原さんでは、お若くて、人気も、実行力もおありのようだったが、

また、国会が外人の献金問題で終始することだと思っていた。

 海江田さんでは、なんだか黒い影が付きまとっていそうで、と、

思ったのですが、まあ、一番いい感じで終わったような気がして

いる。
 
 野田佳彦氏に期待しましょう。m(__)m


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(RICE 処置(1)

2011-08-28 02:21:45 | スポーツ・趣味
先日、私が転んで怪我をした話をしたのですが、その時、私の応急処置

が間違っていたので、ふれあいの丘駅前のコンビニの4階にある

”ふれあいの丘鍼灸院”の先生に冷やし方の方法を丁寧に教えていただ

いてきたのですが、そのお蔭か傷が忽ち良くなってしまったのです。

皆様はご存知かもしれませんが、もしかしてお役に立てる事があるかも

しれないと思って、今日もう一回伺ったときに先生に質問させていただ

いて,より確実なものにしてきました。


アイシングで患部を冷やす方法です。

 (患部やその周りを氷で冷やすと、痛みが軽くなり、内出血や炎症を

 抑えることができる)

 (1)できれば氷を使って冷やす。氷をビニール袋に入れて患部に

    当てるという方法。

    患部に氷を当てているとぴりぴりした痛みが出てきて、やがて

    無感覚になる〔15~20分)そうなったらいったん氷をはずし

    再び痛みがでてきたら、、氷を当てる。

    これを24~48時間続ける。(あまり冷たいときにはガーゼなど

    間に入れるのが良い)


 (2)保冷剤などを使う際には、保冷剤は冷凍庫でなく冷蔵庫に入れ

    て冷やしておいたものが良い。(あまり冷えすぎると霜焼け

    などを起こす危険性がある。

 (3)保冷剤などの場合は20分冷やして30分休むのが良い。

 (4)ひどいときはできるだけ回数を多くした方がいいのだそうだが、

    一日三回ぐらいでもよく、良くなれば一日一回でも良い。

    体温が上がるようなこと(運動、食事、お風呂などの後にやる)


  インターネットで ”RICE”と、入れて検索すると詳しいことが

  分ると教えていただいた、くれぐれもLICE(虱)とは入れない

  ようにとのご注意(笑い)  

 帰りがけに重い荷物を怪我の手で持たないようにと、ご注意を受けた。

  上腕二頭筋や、上腕三頭筋を怪我が完全に治るまで使わない、つまり

  REST させることかと思って帰ってきた。

  
で、ネットで調べたものが以下の処置法である。



  Battlewin*com スポーツテーピング・メディカル情報

  の総合サイトより

  

  ”RICE”とは、

  ”R”は Rest (安静)   ”I” はIce(冷却)

  ”C”は Compression (圧迫)  ”E”は ”Elevation"

  (挙上)の頭文字を とったものだそうで、応急処置の基本である。

  打撲や捻挫など、スポーツでよく起こる怪我の多くに対応できる

  応急処置で、処置が早ければ早いほど怪我の回復は早くなるので、

  このRICE処置を正しく理解し、いざというときに実践できる

  ようにしておきましょう。


 RICE処置は、内出血や腫れ、痛みを抑えるのに効果的。 

 打った、ぶつけた、ひねった、引っ張られた、といったスポーツで

 起こりやすい怪我の多くに対応できます。

 RICE処置をすると、痛みや晴れがひどくなるのを防ぐばかりで

 なく、治りも早くなります。

 ただしRICE処置はあくまで 〔応急処置〕であり、〔治療〕

 ではありません。

 RICE処置の後は必ず整形外科医かスポーツ医を受診しましょう。

 RICE 処置のやり方

 REST(安静) 怪我をしたところを動かさず、安静に保つ。

 怪我をしたとき、無理に体を動かしたり、足首や膝だと、体重を

 かけるようなことをすると、痛みが増したり、怪我が悪化すること

 があります。怪我をしたら、先ず、患部を動かさないように、体重

 が、かからないようにすることが大切です。

 手近にテープや厚紙、板切れなどがあれば、積極的に固定すること

 も良いでしょう。また、上肢では三角巾の代わりにタオルなどで

 固定しても良いでしょう。


 ICE(冷却)  患部を氷で冷やして痛みを緩和、
 
          血管を収縮させて内出血や炎症を抑える


 次にアイシングで患部を冷却します。

 患部やその周りを氷で冷やすと、痛みが軽くなり、内出血や炎症を

 抑えることができるからです。 もっとも一般的なのは、ビニール袋

 の中に氷をいれて患部に当てると言う方法です。

 患部に氷をあてていると、ぴりぴりとした痛みが出てきて、やがて

 無感覚になります。(15分~20分)。そうなったら、いったん、

 患部から氷をはずし、再び痛みが出てきたら、氷を当ててください。

 これを24時間から48時間続けます。 

 なるべく患部に直接氷を当てずにアンダーラップを巻いたり、アイス

 パックをタオルで巻いてからあてるようにする。冷やしすぎると凍傷

 になる恐れがあるので、氷を直接あてずに、幹部をアンダーラップなど

 で巻いたり、アイスパックにタオルを巻いてから当てるようにしましょう。
 
 ゲル状のアイスパックや冷却スプレーなどを使うと便利ですが、ものに

 よっては冷えすぎることがあるので注意が必要です。



  COMPRESSION(圧迫)

 包帯などで圧迫して、出欠や腫れを防ぐ


 患部を圧迫すると、出血や腫れを防ぐことができます。足首の捻挫

 などで腫れがひどくなると、痛みが強くなり、それだけ治るのにも

 時間がかかります。弾性包帯(伸縮包帯)やテーピングなどで患部

 を適度に圧迫しながら巻くといいでしょう。足首の捻挫などでは、

 パッドを圧迫したい部分の形に切って、患部に当て、その上から、

 弾性包帯やテーピングで巻く方法も用いられます。

 これはstep2の アイシングの前に行うことや氷を患部に固定する時

 に、患部に同時に行うこともあります。

 患部にパッドなどを当てて弾性包帯やテープで強く巻く。時々指先

 などをつまんで感覚や皮膚・爪の色をチェックする。

 圧迫が強すぎると、血流を悪くしたり、神経を圧迫することがある

 ので、巻く強さを加減しましょう。 患部の先が青くなったり痺れ

 が出てきたら、いったん緩めて青みや痺れがとれてから、再び圧迫

 します。圧迫している間は常に圧迫している部位から先の手、足の指

 の色や感覚をチェックしましょう。

 

 ELEVATION(挙上)

 患部を心臓より高い位置に保ち、内出血を防ぐ。

 できるだけ患部を自分の心臓より高いところに持ち上げます。  

 こうすることで、内出血を防ぎ、痛みを緩和することができます。

 イスや台、クッションや、枕など、手ごろのものを探して、患部を

 のせておくといいでしょう。 

  (つづく)
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円の戦争(6)

2011-08-27 02:55:11 | 戦争体験
NHK テレビ ”円の戦争”よりの抜粋 


”円”の実態を示す資料が見つかった。

段ボール700箱に及ぶ膨大だものだった。

世界20カ国に支店を持ち、日本の国際金融を一手に扱っていた

あの横浜正金銀行、中でも重要な資料が ”頭取席要録”世界中に

散らばっていた金融のエリート達が国際情勢をつぶさに分析し、

報告していた。

日本の公債や株式が日本の軍事行動によって下落しているという

ロンドンからの情報、アメリカの支援を求める中国の財政使節の動き

を詳細に調べたニューヨークからの情報、その中に大蔵省や日銀が、

アメリカに”金”を大量に送ったという情報が頻繁に登場、なぜ大量

の金を送っていたのか、日中戦争が始まってから増大の一途を辿って

いた。

軍中央では、日中戦争勃発時指揮をとっていた板垣中将が陸軍大臣に、

東條中将が、陸軍次官に就任していた。

最大で百万を越す兵力を送っていた陸軍、軍事費はついに国家予算の

7割を超えた。

日本は戦争に必要な石油や鉄などの戦略物資を海外に依存していた。

その獲得に借り出されていたのが横浜正金銀行の金融エリート達、

この時使われたのが、 ”金”だった。

昭和14年横浜銀行に入行した寺井弘治氏(89歳。

大阪支店で為替業務に携わっていた寺井氏は或る日、何十もの木箱を

アメリカに送るように言われた。

 ”何かなあ?”とききますと、

 ”大事な金塊をニューヨーク二送るので、シークレットマターだと、

  極秘中の極秘で。”

 ”何で送るんですか?”って聞いたら、決済資金がないため金で決済

 するんやって・・・。 ”

 ”ふうん・・・。”て。

 日本からアメリカにひそかに送られていた ”金”。  日本はこの

 時期、輸入品を決済する外貨”ドル”さえ不足していた。

 アメリカは石油などの戦略物資の最大の輸入国だった。

 その戦略物資を輸入するため政府や日銀から保管している金を切り

 崩す異常事態に陥っていたのである。

 一方、アメリカでは、日中戦争ガ始まって以降、日本への不信感が

 強まっていった。

 日本の資金力をひそかに分析していたことが明らかになった。

 近年公開が始まったアメリカ財務省とFRBニューヨーク連邦準備

 銀行の内部資料。日中戦争が勃発した半年後の財務省の極秘資料で

 ある。

 五月半ばに、金塊が送られている、日本の銀行の残高は殆どない。

 金に手をつけざるを得ない日本の厳しい状況をつかんでいたアメリカ

 戦争を継続させることは難しいと見ていた。

 大手企業の財務部門を歴任しアメリカ海軍大学で戦史を教えていた

 エドワード・ミラー氏、経済という新たな視点から日米開戦の要因

 を探っていた。日本は後数年で財産を使い果たすだろうと金融の

 専門家達は確信していた。

 日本は支払不能になって中国との戦争をやめるはずだと、アメリカは

 それを待っていた。


 (続く)
 


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円の戦争(5)

2011-08-26 03:29:23 | 戦争体験
NHK テレビ ”円”の戦争よりの抜粋



当時日本の傀儡銀行には多くの日本人達が出向させられていた。

横浜正金銀行の小原氏は昭和14年中国聯合準備銀行に出向した。

小原氏が目の当たりにしたものは日本の”円”のもろさだった。

”日本軍政府のバックにあるお札が出回って日が暮れると法幣

(中国の通貨)の世界だと言われましたが、武力で押し切っている

うちは値打ちは表面的には保たれるでしょうが、それが弱ったら、

値打ちががた減りでしょうね。”と小原氏の弁。

日本の占領地で出回っていたのは中国の”元”だった。

中国国民政府を率いていた蒋介石は日中戦争の始まる前にある政策

を打ち出していた。

国民党本部の保管院に蒋介石の公務を記した日記。

昭和10年(1935年)11月4日全国で新貨幣制度を実施。

(法幣と呼ばれる元を発行。)

国民政府のほか共産党などの軍閥が割拠しそれぞれの通貨を発行して

いた、通貨の種類は千を超えていた。

そこに登場したのは通貨”元”。 

蒋介石にとって、通貨”元”は中国を束ねる日本と対峙していく

有力な手段だった。

 ”元”(yuan)は”円”と同じ発音である。

”元”が武器よりも強い殺傷力があったかもしれない。経済的基盤が

なければ勝てないからですと、台湾国史館の研究員卓遵宏氏は言われた。

”元”の背後に中国に権益を持つ英米の存在があった。

日本軍の侵攻をとめるためにイギリスやアメリかは多くのドルやポンド

を提供して”元”を支えていた。

欧米の支援を受けた”元”は、瞬く間に中国全土に浸透した。

蒋介石は、

”もし、日本との戦いが”元”誕生前に発生したならば、中国は早く

敗れ、あるいは、すでに恥を忍んで和平を求めていたかもしれない。

現在は幸いに”元”が存在し、これによって極めて厳しい戦いの基礎を

固めることができる。”と、言っていた。

日本中国の戦争は泥沼化していった。

”円”の戦争はその舞台を更に拡げていった。


  (つづく)

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寝たきり?

2011-08-25 14:33:08 | 最近のできごと
 このところ体力の衰えを年々感じるようになった。

まあ、81才であることを考えれば、致し方ないといってしまえば、

それまでだが、それでも、同じ年でも、私より元気な方々もいらっ

しゃるという事を考えれば、今は怠けているときではない。もう

ちょっと頑張ってみたらもう少し元気になれるかもしれないと思い、

それには歩くのが一番手軽だし、効果のありそうなこと考えて、

今ここで、もう少し頑張っておかなければ、いづれはブログも続け

る気力も減退すると思って、一念発起して20日から携帯電話で時間

を確かめながら、毎日できる限り歩くことにしたのである。

三日坊主という言葉があるが、どうやら三日間は無事に1~2時間づつ

歩いた。

 四日目の23日、昼食後、センター南の薬局まで買い物に出かけようと

したのだが、午前中に町のごみを拾いに歩いたので、あまり疲れすぎて

もと思って、バスを選び、一停留所手前で降りて、多少余計に歩こうと

思ったのである。

 悪い癖で、考えごとをしながら歩いていたら、消防署の前の石だたみに

引っかかって転んでしまった。 一歩その石だたみの上に足を乗せたとき、

これは歩きにくいところだから転ぶかもしれないと思って、方向転換

しようとした矢先であった。

 とっさに頭を打ったら大変だと言うことと、こんな硬そうな石のごつ

ごつしたところで転んだらどうなるのか最悪は寝たきりかと言うことが

頭をよぎった。

膝を着き、両手をしっかりとついて体を支えたのは良かったのだが、

差していた日傘が二、三メートル先に飛んでしまった。

右手前方の交差点をこちらに向かって渡ってこられたきれいな奥様が、

駆け寄ってきてくださったのが見えた。

 私は、何とか、大丈夫というところを見せたいと思って、必死で

起き上がり、日傘を取りに行った。


その方に

”大丈夫ですか”と優しく声をかけていただいたが、

 ”ありがとうございます。大丈夫です。”と言うのがやっとだった。

 左手と足がものすごく痛んでいたが、幸いなことに着ているものは

 少しも切れていなかったので、ほっとして、膝までスラックスを

 めくりあげてみたら、膝小僧の上に三箇所、皮膚が薄く一皮はがれ

 ていた。

 血はそのときは出ていなかったがその後じわじわ出てきた。

 腕の方は自分では見えにくいところに石畳の突起に合わせるように

 点々と数箇所、傷になっていた。

 首をどうにかしたら大変だと思ったが、なんとなく一箇所気になる

 ところはあった。

 どうしようかと考えたのだが、いつも行く整骨院の先生のところは

 まだお昼休み中で、午後始まるまでには1時間半もあったので、

 とにかく薬局へ行って、 相談し、薬と絆創膏を買って、トイレで

 傷を洗い、何とか薬と絆創膏をつけたのだが、この暑いときに

 絆創膏はつけない方がいいのかなあと思いながら、家に帰ってきた。

 消防署の前で転んだというと、嫁さんが、

 ”あら、消防署の前だったら、すぐ救急車が来てくれる所ですよね。”

 と言った。 なんだか急におかしくなった。

 私も、その時なぜか消防署の方を見た記憶があったが、救急車は

 出払っていたのだ。

 まあ、とにかく明日の様子で、お医者さんに行こうかしらと言って

 おいたのだが、夜になると傷の痛みでなかなか寝つかれず、起き上

 がって冷凍庫から保冷パックをいくつも持ち出して首と、左膝と

 左腕に包帯やら三角巾で取り付けてやっと明け方眠りについた。

 翌日、整骨院の先生に診ていただいたが、いろいろ聞かれた挙句

 ”お丈夫ですね。手の傷は多分夕方までには治るでしょうし、

 足の方も2,3日すれば大丈夫でしょう。 傷が治ったところで

 もう一回きてください。”と仰った。

 首も見ていただいて、朝昼晩、首と、左手足を、一日三回20分づつ

 保冷剤で冷やしてください。 冷凍庫に入れておいたのではいけ

 ません。冷蔵庫の方がいいのですと教えていただいた。



 打ち所が悪ければ寝たきりも有り得たのかもしれなかった。 こわっ!


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円の戦争(4)

2011-08-24 18:06:46 | 戦争体験

NHKテレビ”円の戦争”よりの抜粋

多田井喜男氏は極秘資料の中に聞きなれない言葉を見つけた。

中国聯合準備銀行との預け合契約で調達する。

預け合いという仕組みに鍵があった。それまで華北では、朝鮮銀行

ガ現地軍に自ら発行する貨幣を戦費として渡していた。

その戦費は国の臨時費として賄われていた。

しかし急激にその額は増えていった。

政府が戦時国債の購入を呼びかけるニュース映画、戦費の大部分を

国民からの借金で賄っていたガ、そのことが、国の経済を脅かしていく。

朝鮮銀行が編み出していた預け合い、傀儡銀行に無制限に発行させる方法

だった。

通貨は何の裏打ちもなく発行することはできない。

朝鮮銀行は傀儡銀行との間に預け合い契約を結んで、日本からの送金され

た円を裏打ちとして傀儡銀行が発行された通貨を現地軍に渡す。

そして日本の軍事費に借金として計上される。しかし裏打ちであるこの円

は国庫に戻される。傀儡銀行は引き出すことができず、日本の懐を痛める

ことなく無尽蔵に生み出される戦費。それは戦争のつけを将来に先送りし

ているに過ぎなかった。

多田井喜男氏は、国力のない日本としては良く考えられた知恵

だろう。極端に言えば中国での戦争は全く日本の円は使わないですんでいる。

そういう仕組みができていたと言われている。

 預け合いによって膨大な聯銀券が町に溢れ、占領地の経済は混乱して

いた。

日本に占領された人々はその金の使用が強制され、中国のお金は使え

なかった。

華北における聯銀券、そして、蒙彊地域には蒙彊銀行券が作られ、円の

戦争を拡大する日本軍、しかし水面下では中国が対抗する動きを見せえ

ていた。

(続く)

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テレビの力と皆様のお蔭

2011-08-23 02:12:22 | 戦争体験
 いやぁ。本当に驚きました。

皆様どうもありがとうございました。

先日10日のNHKテレビ”首都圏ネットワーク” 夕方6時5分

から7時までの番組に取り上げていただいてから、5日間ぐらいは

本当に食事の時間もままならないほど、電話が続きました。

その後も毎日電話を何回も頂き、昨日も2回ほどそのことで電話が

鳴りました。 もちろん友人知人親類縁者からの電話でしたが、

お葉書も大分いただきました。

ブログの方にご訪問くださった”UNKNOWN"さんもびっくりするほど

増えました。

そして分ったことは、皆様が口伝で他の方にもお話くださっていると

いうことです。 ”戦争”の恐ろしさを伝えて行こうとするお若い方々

も出てきたのかもしれません。 本当にブログでご覧になられたことを

他の方々にも話していただいているという事はすばらしいです。

ありがとうございます。


本当にテレビの威力と皆様のお気持ちをいただいて嬉しく感謝いたして

いるところでございます。どうもありがとうございます。今後ともどうぞ

よろしくお願いいたします。m(__)m




 実は先日のテレビごら覧になれなかった方々に申し上げますが、あの時

80ばあちゃんの顔や手の皺が画面一杯にクローズアップされたのです。

一瞬、私はびっくりしました。何で80ばあちゃん(実は81歳)の顔は

アップに耐えないのにと思いましたが、それが多分良かったのでしょうか

80ばあちゃんばかばかばタイプ打ってかっこよかったと仰ってくださった

方々もあり、私はそのギャップが良かったのかと思ってNHKの方の編集の

手腕を買いました。 さすが、うまくまとめていると家族の評判でした。

もちろん取り上げてくださった記者さんのお蔭もあります。



お忙しい中テレビに出てくださった方々、道でお会いした柴田さん、

いろいろ取材にご協力いただいた方々そしてNHKのみなさま、どうも

ありがとうございました。

皆様今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。本当にありがとうござい

ました。


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ワールドグランプリ11女子バレー

2011-08-22 03:13:46 | スポーツ・趣味
 このところブログ、ブログで頭が一杯、甲子園の野球も気になる

やら、高校総体もなどと思いながら、うっかり見過ごしてしまった

女子バレー。テレビのニュースで韓国に勝って5勝3敗、今日の

ロシア戦に勝たなければ自力での決勝ラウンド進出はおぼつかない

という話にびっくりし、あわてて、新聞のテレビ欄で放映時間を

確認し、スポーツ好きのお友達に電話したら、彼女も見ていなかった

ということで、何とかロシア戦に勝ってもらうよう応援しましょうと

いうことに。

 週に一度の二階の住人達との会食で、バレーボールの話をしてみたが、

ロシアとは背丈の差も確か22センチもあるし、世界一の国だからと

あまり期待の持てない話になってしまった。

心の中で、でも、今年は勝てるかもと思いながら、下へ降りてきて、

テレビをつけた。

なんと初めから、得点し続け、ダブルスコア。私は二階へ電話を入れた。

”日本がロシアに勝ってるよ”と。

第一セット、25対23、第2セット  25対19、第3セット

25対19のストレート勝ち、しかも一度もビハインドはなかった。

さすがのガモア選手もあまりいいところはなくて、日本の選手達のブロッ

クもどんどん面白いように決まり、サーブで次々得点は重ねられるし、

リシーブもすばらしかった。もちろん胸のすくようなアタックも、何本も

見られて、最高の感激。

95年大林素子さんたち以来、16年ぶりのストレート勝利だとか。

なんとすばらしいチームプレイ。 本当にありがとう。m(__)m

監督選手の皆様、そしてサポートしておられた方々、どうもご苦労様。

 皆様のお蔭でどんなに勇気をいただいたか、そして楽しかったか。

聞くところによると、真鍋監督のお誕生日だったようで、人生最高の

すばらしいお誕生日になったでしょうね。

本当におめでとうございます!!!!!!!!!!111!!!!!!


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