1991年のこと
北京へ行った時、必ず一度は北京事務所の中国人の方たちをお招きしようと思ってお土産を用意して行ったのだが、夫が独りで住んでいたマンションには、器も魔法瓶も何もなかったので、まず、魔法瓶が欲しいと思って夫と専門店まで買いに行ったのである。
その晩、念のため一度使っておいた方がいいかと思って熱湯をついだら、なんと魔法瓶の下から、ジャアジャアとお湯がこぼれ出したのである。いくらジャアだって、これではひどすぎる。北京にいると日本では考えられないことが次々起こってくるのだ。パーテイの日だったらパニックになっていたかもしれない。子供の時の戦争の御蔭で、こまごまと注意深く備えをするように育ててくれた両親の教育が今更のようにありがたく思い出された。
”明日換えてくるわ。”と夫に言うと
、”明日はどうしても一緒に行ってやれないけれど、一人で大丈夫か?”と、心配した。
”大丈夫よ。任せて。” と言うと、
”遠いぞ。”と言う。
”バスで行きますよ。覚えているから行かれるわ。”
私はむしろ一人で行くことの方が嬉しかったのだ。せっかく一生懸命勉強してきた(???)中国語をためせるいいチャンスではないか。腕(?)がむずむずする。
翌日魔法瓶一個を大事に抱えてバスに乗った。
お目当ての店に行くと一人の女性客がいた。
”水が漏れるので、換えてください”と言うと女店員は何も言わずに、魔法瓶を分解し始めた。なんと魔法瓶の内側の瓶の上につくべきゴムパッキングが、そのガラス瓶の横についていたのである。先客のご婦人と顔を見合わせて笑い転げてしまった。
勿論真新しい魔法瓶がすぐ出てきた。 女店員はついに一言も発せずに新品と交換してくれたのである。
日本だったら、まずレシートとか何とか言われるのに決まっている。そうそう、そう言えば,レシートなんてもらっていなかったっけ。おおらかと言えばおおらか、気楽といえば気楽な国である。私はますます北京が大好きになった。
北京へ行った時、必ず一度は北京事務所の中国人の方たちをお招きしようと思ってお土産を用意して行ったのだが、夫が独りで住んでいたマンションには、器も魔法瓶も何もなかったので、まず、魔法瓶が欲しいと思って夫と専門店まで買いに行ったのである。
その晩、念のため一度使っておいた方がいいかと思って熱湯をついだら、なんと魔法瓶の下から、ジャアジャアとお湯がこぼれ出したのである。いくらジャアだって、これではひどすぎる。北京にいると日本では考えられないことが次々起こってくるのだ。パーテイの日だったらパニックになっていたかもしれない。子供の時の戦争の御蔭で、こまごまと注意深く備えをするように育ててくれた両親の教育が今更のようにありがたく思い出された。
”明日換えてくるわ。”と夫に言うと
、”明日はどうしても一緒に行ってやれないけれど、一人で大丈夫か?”と、心配した。
”大丈夫よ。任せて。” と言うと、
”遠いぞ。”と言う。
”バスで行きますよ。覚えているから行かれるわ。”
私はむしろ一人で行くことの方が嬉しかったのだ。せっかく一生懸命勉強してきた(???)中国語をためせるいいチャンスではないか。腕(?)がむずむずする。
翌日魔法瓶一個を大事に抱えてバスに乗った。
お目当ての店に行くと一人の女性客がいた。
”水が漏れるので、換えてください”と言うと女店員は何も言わずに、魔法瓶を分解し始めた。なんと魔法瓶の内側の瓶の上につくべきゴムパッキングが、そのガラス瓶の横についていたのである。先客のご婦人と顔を見合わせて笑い転げてしまった。
勿論真新しい魔法瓶がすぐ出てきた。 女店員はついに一言も発せずに新品と交換してくれたのである。
日本だったら、まずレシートとか何とか言われるのに決まっている。そうそう、そう言えば,レシートなんてもらっていなかったっけ。おおらかと言えばおおらか、気楽といえば気楽な国である。私はますます北京が大好きになった。