80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

定年退職(6)

2009-10-05 18:29:08 | 定年退職
 夫は独身時代、弟の面倒を見ながら、間借りで自炊して

いたのだが、一度鯖の味噌煮をご馳走になったことがあっ

たが、とてもいいお味だった。

 何でも夫の両親が満州に住んでいて、日本の中学が近く

になかったので、夫は中学から、一人で大連に下宿してい

たのだそうだ。

 その下宿のご主人が魚市場で働いておられたので、毎日、

トロ箱いっぱいのお魚が届き、下宿人の中で一番年少だっ

た夫が、いつも夕飯の支度の手伝いをさせられていたそう

で、はじめはお魚を食べるのも料理するのも厭で厭でたま

らなかったが、そのうちにお魚が好きになり、料理も覚え

たとか。

 結婚後は、たまにはお料理してもらいたいと水をむけたが、

すっかりだんな様に納まってしまった夫は知らんふりであった。

 それが定年後のある日、急に言いだしたのである。

 "今日の昼飯は俺が作る。”

 ”え、何をごちそうしてくれるの?”

 ”まかしとけ。”

 てな具合で、本当にびっくりしたが、まあ、どうぞお好き

なように思って、引っ込んでいたら、

 "おい、皿。” "おい、フォークとスプーン。”"おい、

  チーズ” "テーブルの用意。”"それがすんだら、

  そこに座っていろ。”

 である。

 まだちょっと間がありそうだと思ってやりかけの仕事をし

 ておこうと立ったら、

 "おい、そこに座っていろ”という。

 私が料理するときには、もうそろそろ出来上がるから

 座っていてくださいといってもおいそれとは座らないことも

 あった夫がである。

 ともかく超熱々のスパゲテイナポリタンができあがった。

 夫のスパゲテイは本当にやけどするかと思うくらい熱くて

 おいしかった。

 どういうわけか後片付けは私の仕事になったが・・・。?


定年退職(5)

2009-08-28 10:59:16 | 定年退職
子供の頃、父が何か作り出すと、母が大変でした。

”おい、お母さん、あれ持ってきて。”とか、作業の

途中でいろいろ用事を頼むのです。

 始めから持っていって周りに置いておけばいいのに

なあと私は子供心に思っていました。

 ところが、定年後、夫が何か始めると全く同じこと

になるのです。”血は争えない。” いやいや、血の繋がって

いるのは私でした。 それはともかく、男の方は甘えん坊なの

でしょうか? 

 夫が何を作ってくれたかなあと思い出そうとするのですが、

中々思い出せません。しいて言えば、次男夫婦と昔作った

犬小屋でしょうかね。

 65歳で定年退職をして、其の頃はまだ元気だったのでしょう、

私の畑仕事も手伝ってやると称して、鍬で耕すのだけはやっ

てくれました。

 庭木の枝の剪定とか、鋸を使うのは好きだったようで、俺の

出番だとばかりに張り切っていました。鋸を使うと、必ず

てんぷら油を持って来いと言って、使い古したてんぷら油を

テイッシュペーパーに少しつけて,それで鋸を拭きながら、こう

すると、切れ味がよくなると言っていましたっけ。

でも、其の後の片付けは勿論私の仕事になりました。

 (つづく)


定年退職(4)日本語教師

2009-08-11 17:09:41 | 定年退職
夫は語学の才能に恵まれていたのだと思う。

 その昔、建設事務所で働らいていた頃、実務はできるが事務は

からっきしできないボスの外人の代わりに英語で手紙を書き、書類

は一手にに引き受けていた。アルバイトで翻訳もこなしていたが、

口の中で、小さく、もごもご言いながら、ものすごいスピードで翻

訳していった。夫が亡くなった後、彼の辞書を見たら、こんな言葉

まで勉強していたのかと思うほど、普段余り使わない言葉ばかりに

アンダーラインが引いてあった。

 中国語も子供時代何年かは中国人と遊んだといっていたが、日本

に帰ってきて、しばらくして、中国へ田中首相が行かれた頃だった

か中国語の学校へも行った。それで5年中国人の中でで仕事をして

きたので、日本に増えてきた外人さんたちに日本語を教えたいと思

ったらしい。

 日本語教育能力検定試験を受けようかと思ったようで、これこそ

自分の道を見つけたと思ったのだろう。なんだか嬉しそうな顔をし

て、参考書を取り寄せようと思っていると私に話していた。

ところがである。ある日のこと、夫と私の目の前にダンボールの大

きい重たい箱がどさっと届けられたのだ。夫はそんなにたくさんの

本が送くられてくるとは思っていなかったらしい。

音声学だとか表題は今では忘れてしまったが、小難しいタイトルの

付いた本ばかりが30冊ぐらいもあっただろうか、夫をがっかりさ

せるには十分すぎる量だった。

 夫は二度とその箱を開かなかったのである。私はなんだか本を売

らんかなの行為ではないかと思った。あれだけの本の中身をちゃん

とマスターした人がどれだけいるのだろうか? 


(つづく)  


定年退職(3)

2009-08-07 06:16:18 | 定年退職
ある朝,我が家(二世帯住宅)の二階に住んでいる息子の嫁が外

から駆け込んで入ってきて、
 
 ”お母さん。大変ですよ”と、言った。

 ”どうしたの?”というと、

 ”お父さんがご門の外を掃いています。!”と、息を弾ませ

ている。

 私は思わず笑ってしまった。夫がどんな顔をして外を掃いてい

るのだろうかと思ったからだ。

 ”まあ、いいではないの。やりたいなら、やらせてあげれば。”

と、わたしは言った。

家の前はわりと広い舗装道路で、塵を落として行く不心得物は通ら

ないし、上の方の緑道から風で吹き落とされてくる葉は、上のお宅

のご主人様がとてもまめで、朝早くから私の家の門前まで掃いて下

さることもあって綺麗なものである。

 それに、家の玄関前から門に掛けての木は、殆ど常緑樹だから、

あまり葉が落ちてこない。

 でも、家にばかりいて何もしないのはよくないと夫が思ったのだろう。

 さあて、これからはどんなことになるのかなと、私は一人ほくそえんだ。

                        



定年退職(2)

2009-07-25 21:30:41 | 定年退職
夫は毎日張り切っていた。わたしの次の予定を聞き、初めてのところだと、地図を

引っ張り出して検討し、前の日に下見に行くのである。

 ”お父さん、大変だから、その日は少し早めに出て行けばいいのでは?”と、言っ

てみたが、夫は

 ”いや、それでは先様にご迷惑を掛けることになりかねない。”といって、埼玉

や、東京のはずれ、はたまた、千葉など、遠方でも出かけていく。

 ”二日続けていくのだから疲れるでしょう。”と言っても、張り切って出かけて

行き、やっぱり行ってみてよかったのとご報告がある。

わたしは商売だから、ガソリン代が倍掛かるわけだが、夫の趣味と思うしかないと

思って放っておいた。

わたしの方の話は大体時間が掛かるので、その間どうしたらいいかまで計画を立て

て、終わりそうな頃来て待っていてくれたのである。

実はわたしは、その頃特注家具の仕事をしていたのである。だから時には、新築や

改築のお宅に出来上がった家具を持っていって取り付けるのだ。もちろん、それは

職人さんたちがやってくれるけれど、わたしが少しでもできることを手伝った方

が、仕事も速く終わり、士気も上がり、そのお宅へご迷惑を掛けることが少ないと

思って何時もむくつけき男どもの間に挟まって重たい特注家具を運び入れたり、拭

いたりするのを手伝うことにしていた。

夫はそれまで手伝ってくれた。

ただ出来上がると、夫は入っていって家具の状態を見に来るのである。それは、わ

たしとしては、関係者でないのに入ってくるのは困ると思ったが、ご主人や奥様が

次々と出てこられて、嬉しそうに

 ”奥さんにお願いして本当によかったわ。”などと入れ替わり立ち代り言って

くださるのが嬉しいらしくて、どこへ行っても一番先に見に入るのであった。

 夫は一度行ったところは絶対に忘れないと言うのがご自慢だったが、数年たって

から、他のところも改築したくなったなどとお電話いただいたりした時にとても助

かったのである。そんな時、わたしが思い出すのはお客さんのことと、家具のこと

だけであったが、夫は道順まで覚えていてくれたのである。

定年退職

2009-07-24 11:25:46 | 定年退職
1995年
 
 夫は定年退職をした。65歳であった。
  
 翌朝から、

 ”おい、今日はどこどこへいくぞ!”と言う掛声に悩まされることになった。

 その頃私はまだ現役で仕事をしていたので、

 ”はい。そうですか。”と簡単に言う訳にはいかなかった。

 ”ちょっと待ってよ。今日はお客さんのところへ行かなければならないの。私だ
  
  って仕事をしているのだから勝手にスケジュールを決められても困るわ。”

 ”そうか。俺は今まで、長期計画、一年の計画、今月の計画、今日の仕事、時間

  割まで考えていたからなあ。”

  ”ご苦労様。でも、私だって計画があるのよ。”

  夫が定年退職をしたら、家で家事を何もすることがないだろうと思っていた。

  それまで午前様のことも多く、頼む気もあまりしなかったが、あまり器用でな

  い夫、もちろん私も不器用の部類に入ると思うが、それでも、長年私なりに何

  でもこなしてきてキャリアがある。だから家事のことを一切頼む気はなかった

  のである。

  夫が枯れ落ち葉とか、濡れ落ち葉とか言われて、家の中で坐り場所さえなくな

  くなるのは嫌だった。

  この日のために私なりに計画していたことがある。

  夫が好きなことと言えば、車を運転することだった。

  だから、私の仕事上、車の運転免許は是非とも欲しいものであったが、取って

  はいけないものだと固く自分に言い聞かせていたのである。

 よく○○さんみたいにアクテイブな方がどうして車の運転免許をお取りになら

 ないのですかと、聞かれたものだったが、私は、夫が運転してくれる日まで、ひ

 たすら待っていたのである。

 (つづく)