80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

日本の原発とチェルノブイリ(2)

2011-04-30 13:33:29 | 政治
ネットで検索したところによると、チェルノブイリの原発事故

と、今回の日本の原発問題と比べて見たら、どのくらいの差が

あるのかと言うご質問に対してのお答えがのっていましたので、

ベストアンサーに選ばれたhoory1960さんの御解答をのせさせて

いただきます。



 チェルノブイリの時はレントゲン表記(ガンマ線量)なので

多少違いますが、シーベルトに換算すると1,750シーベルト

です。


今回の最大放出は1,200マイクロシーベルトなので、今回の

最大放出の1,500,000倍(150万倍)です。



 つまりは日本の方が150万分の1の少なさだということの

ようです。

日本の再建(3)ボツリオコッカス

2011-04-29 14:22:31 | 政治
 今日の国会で、国民新党田中康夫議員からの提案には、私としては

すばらしいと思えるものがあったので、書かせていただきたいと、

思いました。

田中議員のお話は今回津波に襲われて大きな被害にあった土地に

そのまま、また家を建てるのではなく、津波の被害のなかった

奥の方に家を建てたらどうかというお話と、塩害のあった場所に

289億円と3年間の時間をかけて、元通りの土地に直すよりも

石油が作れる藻を作ることはどうかというすばらしいご提案だった

のです。

 
多分、今までの生活に戻りたいと思っておられる被災者の方々には

なかなか受け入れがたいものではあろうかと思いますが、何方にも

今までのご生活は楽しく思い出深く大事なものであろうかという

ことは重々承知しておりますが、また同じ災害にご子孫をあわせたい

ですかとお聞きしたいと思います。?



田中議員のお言葉にはこれからの新しい社会を作り上げていく上で、

考えていかなければいけない大事な根本的な考えがあると思います。

その一つは津波の問題ですが、つなみ災害にあった同じところに

津波を避けるための高い津波よけのための防護壁を作るよりも

津波災害を受けなかったもっと奥地に新しい場所を切り開いて

生活をするということでした。 そのやり方はいろいろあるとは思

いましたが、私も、もし今後津波を避けるために高い防護壁を作っ

たら、多分日本の美しい海岸は見られなくなり観光事業がある程度

できなくなるのではないかと思っておりましたし、今回の津波の高

さは想定外だったと言われておりますが、果たしてこれからその

高さよりもっと高い津波が来ないとは言えないのではないかと思い

ます。



 それともう一つ、議員が仰っておられたのは、今回津波で塩害を

受けた土地を改良するのに三年間の時間と689億円のお金をかけ

るということでなく、その土地に石油がとれる藻を作っていったら

どうかというお話でしたが、その藻の名前は聞き取れなかったので

すが、多分”ボツリオコッカス・ブラウニー”という名の藻の話で

はないかと思います。

この藻はwikipedia調べによりますと、この藻と特性は


 ・生活排水などの汚れた水の中での棲息を比較的好む。

 ・他のバイオエタノール(とうもろこしなど)と違い食用とはされ

  ないので、食糧問題を避けることができる。

  現在、ボツリオコッカスが作り出す油は1ヘクタールあたり年間

  118トンと見積もられており、とうもろこしの0.2トン、

  あぶら菜の1.2トン、油ヤシの6トンに比べ格段に多い。

 ・藻類であるため陸地で場所をとらず森林破壊などの影響も少ない

  と考えられえる。

以上のようでした。

  田中議員のお話ですと、2万ヘクタールもあれば、わが国の一年分

の石油ができるそうであった。



原発問題とチェルノブイリ(1)

2011-04-28 03:44:55 | 政治
 原発の問題で、チェルノブイリのことを調べて見ると、実に多くの

点で、日本の政府の対応の仕方の方がよりよいやりかただと思えるの

だが、それでも、非難ごうごう。

何せはじめての大事故だし、大地震、大津波と、やらなければなら

ないことが山積している中であり、なかなか難しいくて、わかりにくい

ことで、それを一般の人々がよくわかるように説明するのは至難の業

のように思えるのだが、ちゃんと発表しないとか、いろいろ言われて

いるけれど、私は発表の仕方が悪いといわれれば、そうかもしれない

と思うけれど、発表されていても、よくわからないというのが私も含

めて一般の人ではないかという気がするのである。



 今中哲二教授のチェルノブイリ原発事故の記事によると保守点検の

ため前日より原子炉が停止作業中であった4号炉で、4月26日午前

1時23分(モスクワ時間)急激な出力上昇をもたらす暴走事故が

発生し、爆発に至った。

目撃者によると、夜空に花火があがったようであった。原子炉とその

建屋は一瞬のうちに破壊され、爆発とそれに引き続いた火災にともない、

大量の放射性物質が継続した。

最初の放射能雲は西から北西方向に流され、ベラルーシ南部を通過し、

バルト海へ向かった。4月27日には海を越えたスエーデンで放射能が

検出され、これをきっかけに28日ソ連政府は事故発生の公表を余儀

なくされたとある。

  (つづく)

日本の再建(2)

2011-04-26 14:48:20 | 政治
 この間菅総理が福島を訪れられたときに、

 ”総理もうお帰りですか?”と、声を掛けて詰問されていた方々が

あった。

 本当に、長い間の避難所暮らしはどんなに大変だろうかと思ったし、

菅総理の方もご苦労が多くて、さぞ、お疲れだろうと思った。

 毎日、未曾有の災害と言いながら、菅総理は何でもご自分一人でやろ

うとして、いろいろと組織ばかりをつくり、結局何もしていないと

非難ばかりして、与党も野党も菅総理を総理の座から下ろす算段に明け

暮れている。

 確かに菅総理が全面的にいいということはいえないけれども、今までに

ない大きな地震とつなみの災害だけとっても大変な国難なのに、その上

原発問題が解決困難な様相を呈している今日、これまでの大震災とは全く

困難さが違い、国民が総力を上げて、この国難を乗り切らなくてはいけないと

思う。

 そんなときに野党の自民党の谷垣氏は菅総理の


”入閣して助けてくれ”というたってのお願いを断って、協力をしなかった

のである。

 
 この事実は私たち国民は忘れてはいけないことである。

大体、今まで自民党が長い間政権をとってきて、いい加減な政治をとって

きたからこういう問題が生じたともいえるのではないかといいたくなる。

しかも同じ民主党員の中の小沢派の議員たちの言動は実に見ていられない

ほどおかしい。菅総理の足を引っ張ると言うよりも、後ろから弓矢を射掛

けているとしか思えない。 小沢氏は限りなく黒に近いといわれる問題を

起こしている人である。それなのに、今頃大きな顔をして出てきて、同じ

民主党を恥ずかしげもなく、批判しているし、鳩山氏は何の反省もなく

自民党に近づいたりしているようで、あきれてしまう。

この間の選挙に民主党が負けたというので、それにも菅総理に責任をとれ

と詰め寄っているようだが、菅総理や民主党の主な議員さんたちは東日本

の大震災の復興のために毎日選挙どころではなかったはずである。

それを民主党にいる小沢派の議員連中は選挙で大敗した責任を取れと言っ

ているようで、本当に嘆かわしい。

 其れでも菅総理の粘り強いこと、今までの二世総理だったら、多分何度

も辞職しているに違いないと思う。

今は何はともあれ、菅総理に協力して行かなければいい方向には行かない

と思っているのだが・・・・。

日本の再建(1)

2011-04-24 11:05:57 | 政治
 東日本大震災が起きる前に、私は東北地方のみならず、日本の農業

や漁業に従事している方々の高年齢化が急速に進んで、後数年も

すれば、労働力不足で、日本人の食生活は危機的状況に陥るのでは

ないかと心配していたのである。

 今回の東日本の大震災で東日本が壊滅状態になってしまったことは

いまさら何を言っても仕方のないことではあるが、これをチャンスに

切り替えて、今までのすべてのことをしっかりと見直して、新しい日本

を作り直して行かなければならないと思うが、それにしても、東日本で

働ける若い力のみなぎった労働者がどんどん増えていかないことには

今のお年より中心の働き手がいくら頑張って復興すると言われても、

非常に残念なことではあるが、多くの方が亡くなったことでもあるし、

到底、今、現在、東日本の災害地におられる方々だけの力では復興は

覚束ないと、私は思う。

 どんなに考えてもお年より中心の社会では先がないのは当然のことで、

この際、お若い方々が故郷再建のために帰って欲しいし、また、他の

地方の心ある方々にも出かけて行って力を尽くす気概が欲しいと思って

いる。



 それには、新しい仕事がなければならない。

そのための構想を日本人全体が真剣に考えて発表していくことではない

だろうか?


 今は政府や、お役人だけに任せておける状況ではなくなってきている。

 今の政治家たちの有り様は本当におかしいとどなた様も毎日考えて

おられるのだろうが、菅総理があれだけ一人で、災害復興のために兼務

をしているのはおかしいと批判しながら、協力するという人も政党も

ない。

 政治家全体が党や自分の利害だけ走ってしまっているようにさえ見え

る。



今の末期的な症状の日本の政治を立て直すには党の思惑ばかりに走る

ような人よりは、国全体のことを考えて、しっかりとして党派を超えて

協力できる人が必要であるし、国民全体が自分のこととして考えを新た

にする事が必要不可欠である。

筍ご飯

2011-04-21 20:56:52 | 最近のできごと


今日は夫の命日である。

亡くなって丸八年たってしまったのだが、何をお供えしてあげようか

と思いながら、昨日スーパーマーケットで、筍入荷と書いてあったの

で、夫の好きだった筍ご飯でもお供えしようかと思って、買ってきて、

早速糠を入れて茹でてみたのだが、よく見て買ってきたつもりだった

のに、少しばかり土佐煮にしてみたが、なんとも硬くて筍独特の香り

がなかった。

あまり新鮮ではなかったのかと思いながら、なんとなく気落ちがし

てしまって残りを水につけて冷蔵庫にしまっておいたのだが、どう

したものかと思い悩んでいたら、老人会の中心役員さんとして、

いつも私たちをリードしてこられたすてきな方がこの写真の筍ご飯

を届けてくださった。

早速お供えしてから、お下がりをいただいてみたが、筍のほんのり

としたなんともいえないいい香りがして、お味も調味料の加減が本当

によくておいしかった。

飾りのお海苔と錦糸卵が丁寧にきれいに切られていて、これこそ

本当の金糸卵だなあと思いながらいただいたが、その下の炊き

込みご飯にはきれいに切った筍と人参が入っていたが、お料理を作

られた方のお気持ちが反映していて優しいお気持ちがじかに伝わっ

てきたように思った。

 この筍は京都からでもお取寄せになったものかもしれないと思い

ながら私が夫の病院へ持って行った最後のお料理が筍ご飯だったので、

なんだか嬉しく感謝していただいたのである。

東日本大震災と戦争(4)

2011-04-20 04:28:15 | 天変地異
 今回の大地震で日本の人々の精神の有り様とか、日本のすばらしい

技術が、いかに世界のお役に立っていたのかとか、食料や多方面で、

世界に貢献していたことが評価されておりますのは本当にうれしい

ことでありますし、本当にしっかりとした若者たちが出てきておら

れますのは頼もしい限りです。



 ただ一方で昨日も申しましたように外国からやられたらやり返す

という考えをお持ちの人々もあることは事実ですが、お若い方々が

実際生きて、見聞きしたことだけでも、世界中で紛争、戦争テロ等

が絶え間なく世界のあちこちで起こっていることはよくよくご存知

だと思いますし、何百年も前から隣国との争いは、多分代々口伝え

に、親から子に、うらみつらみまでしっかりと体にしみこませて

来たために、絶え間ない争いが続いていると思えますし、中には人

を救うべき宗教にからむ戦いまであるというのはどうもおかしな話

です。

広島長崎が原爆の被害にあったときから比べれば、世界中の原水爆

の保有量はとてつもなく増加していますし、その威力も増しています。

新たに開発されているところもあるわけで、開発すれば試したくなる

のは人情ですが、そのために年々地球の環境は悪くなっているので

すよね。

また原子力発電所はどんどん増えてきたわけで、今回のような事故が

また世界のどこかであったら、それも環境破壊につながります。

どこかの国で戦争でなくても、原子爆弾の取り扱いを間違って事故が

起こることが絶対にないといえるのかという心配もあります。

もちろん戦争がおきれば、戦争で人は狂気になるのですから、何が

起こるか想像がつきますよね。原爆だけでなくてもこれからも戦争兵器

はどんどん開発がエスカレートするのは必定です。

大事な命を無意味になくしてしまう人々が増えていきます。

 われわれは今こそ、本気で世界平和に向かって話し合いを進めていか

なければいけないときに来ているのではないでしょうか?

 今回の地震は私たち人類がこれからの生き様を真剣に考えていか

なければいけないよという神様の思し召しではないのでしょうか?

あの国がどうのこうのだからではなく世界が一つになる時期が来ている

のではないかと思えるのです。

 今回も世界中から多くに皆さんの善意が届けられましたが、そう

いう方々としっかりと手をつないで、知恵を出し合っていきませんか?

若者の英知と行動力を期待しております。

東日本大震災と戦争(3)

2011-04-19 18:26:13 | 戦争体験
 昔から日本には”受けて忘れず、与えて思わず”という言葉があります。


 これは、いまさらご説明をする必要もない言葉だとは思いますが、あえて

書きますと、他人様から受けたご恩は一生忘れてはならない。また、他人様

に与えた恩義は何時までも考えているべきではないということですが、

今回の地震に際しても、以前に地震災害で他の地方の方々から災害を受けた

際お世話になって本当にありがたかったからと、阪神や、新潟など、あちこ

ちの方々が被災地に駆けつけて一生懸命に援助をされています。

誰しも考えはしても、実際に行動するということはなかなか難しい事だと

思いますが、それをすぐに実行に移された方々には本当に頭が下がる思い

です。



 今回の地震災害では、単に国内のみならず、世界中の国々の方々からの

有形、無形のたくさんのご支援が届いておりますようで、本当に心からあり

がたいことだと思って感謝しておりますが、お若い方々には、このことを忘

れないでいただきたいと心から願っております。




 わが国は専守防衛ということで、外国から直接侵略されるとか、または

間接的に侵略を受けてからでないと防衛力を行使することはできませんが、

憲法上、軍隊はつくれないことになっているにもかかわらず、憲法を改悪

して、自衛隊を軍隊に昇格させようとたくらんでおられる方々がおられる

というのも悲しい事実ですが、その方々の言い分はもし敵がどこからか日本

を攻撃してきたら、やられっぱなしではいけない、そのときにお返しする

武力を蓄えておかなければいけないから、軍備を整えたいということのよう

ですが、私は、これからの日本のやるべきことは、やられたらやり返すと

いうような狭い考え方でなく、今回、多くの日本人が大震災で考えたように、

受けたご恩を返す、あるいは、災害を受けた方々のお力になりたいという純粋

なお気持ちで行動されているのと同じように、これからは世界の人々から受け

たお気持ちを心から感謝し、ご恩を仇で返すようなことはゆめゆめ行わず、

世界中の若い力を結集して核戦争が二度と起こらない平和な世界に話し合いで

もっていくことが大事なご恩返しの方向であるのではないかと思っているのです。

わが国は広島、長崎の原爆体験を持つ唯一の国であるのみならず、以前、佐藤

栄作総理が核を持たない、作らない、持ち込ませないという非核三原則を掲げて、

ノーベル平和賞をいただいた国でもありますし、今回は核エネルギーの平和利用

であった原発が汚染した空気や水をばら撒いている状態でもありますので、真摯

な態度で、今後の世界平和のために尽力をしてくださる若者の力を結集していた

だきたく思っているのです。

 

明治維新をやり遂げたのも22,3歳の若者たちが中心だったと聞いております。

お若い方々の奮起をお願いいたします。

東日本大震災と戦争(2)

2011-04-18 17:31:34 | 戦争体験
 ”百聞は一見に如かず”という諺がありますが、この度の地震は

地震というよりも津波の恐ろしい映像がいろいろの場所で撮られて

それが毎日のようにテレビで放映を繰り返されていたわけですから、

本当に見ているだけの私たちでさえ大変な思いをしているわけですが、

実際に現場へ行かれた方は、現場はさらに深刻であるとどなたも仰い

ます。 多分 現場でなければ感じられない空気とか、臭いがあるの

でしょうね。

あれだけの大きな津波が襲ってきて、その波にいったんは飲まれかけても

お逃げになられた方々もあったようですが、人間って、すごいものですね。

空襲のときでも、火災が起きてあたりが火の海で、その中を坂の上の方に

人々が逃げていくと、熱風が下の方から、上に向かって一なめしていく。

その辺りの人々が、いっせいに倒れてお亡くなりになる。

 また次の風が来ると、風の通った後には屍骸の山ができるといった風だっ

たようですが、其れでも、その中に生き残られている方々もあったそうで、

人間って本当に強いものだと感じられた方もあったようでした。

 戦争中、私たちは、そんな空襲の被害に毎度あっていたわけですが、

隣近所の方々も焼出されていたり、何もない中で助け合って生きてきた

のですが、町や国の支援はなく、明日の計画も立てられたもの

ではなかったのです。

 今のように情報がわりと早く伝えられていない時代ですし、場合に

よっては軍の緘口令が敷かれて何も伝えられなかったことさえあったの

です。

 ご家族やお友達が焼出されて離れ離れになっていても、探しようも

なかった時代でした。

 

 今は原発の問題があり、一応6ヶ月とか9ヶ月とか先の見通しが発表

されたとはいえ、立ち退きを余儀なくされておられる方々はもちろん

大変ですし、また、その周りの方々や、また一般の国民も、毎日原発の

ことを考えない日はなく、暗い雲に覆われている感じさえいたしますが、

戦争の時には、何時戦争が終わるのかなどと予定を聞くことなどできな

い相談でしたし、この大変な感じをよくお体に覚えさせてておいていた

だきたいと、切に願っております。


  また、国の補償とか、皆さんの援助や、世界の援助など戦時中では

考えられない話でした。



 以上の文章は地震災害の悲惨なことを皆様がお考えになっておられる

今だからこそ、戦争の被害と地震災害は同じようなものだから、戦争を

起こして欲しくないという私の切なるお願いが言いたくて書いている

わけですので、大震災の被災者に対して十分な保障してあげて欲しい

ということは、私も心から願っている次第です。

ただ、戦争では、もっとひどくて、そういうものはなかったということ

をお伝えしたかっただけですので、どうぞ、ご記憶にとどめておいて、

おろかな戦争へ突入されそうなときには、ぜひ反対意見を出していただ

きたいと思っております。

   m(__)m
  
(つづく)

東日本大震災と戦争体験

2011-04-17 11:54:12 | 戦争体験
私は戦争の体験を何とか忘れないうちにお若い方々にお話したくて、この

ブログを始めたことは最初にお話したとおりですが、其れでも、私の筆力

ではなかなか戦争の悲惨さなどいろいろと伝わっていかないだろうと思っ

ておりましたが、この度の東日本大震災の体験が、災害として結果的には

戦争体験と非常に似ていることを皆様にお話し、いかに戦争が大変なもの

であることかを真剣に考えていただきたいと毎日思っているところです。

体験ほど人間の考えにしっかりと影響を与えるものはないと思いますが、

だからと言って戦争体験を皆様にしていただくわけには参りませんが、

被災者として、また余震を毎日感じておられる地方の方々、また、原発の

行く末をどうなるのかと心配しておられる心理状態は、戦争のときに私た

ちが感じていたことと通ずるものがあると思います。

戦争中空襲は何日、何時に来るのかも判りませんし、空襲は昼間にあると

は限りませんので、枕元には、何時空襲があっても いいように寝るとき

には、寝巻きに着替えることはなく、いつでも飛び出せるように枕元には、

救急用具のかばんや非常用の持ち出しリュックサックを置いていました。


 また、一度焼出されたから、もう二度と焼出されないというのもありま

せんでした。

実際、私は5月29日に横浜の本牧で大空襲にあい、家族は無事に一緒に

逃げられましたが、家やすべての物をなくしました。 

大里町というすぐ近くのおばの家に命からがら逃げて行き、暫くお世話に

なりましたが、近くにそういう頼れるところがない方々は、もちろん殆ど

が野宿でした。学校や公共施設に行かれた方々方もありますし、そのまま

命からがら、当てのない旅を続けて逃げていかれた方々もあったのですが、

当時焼け残ったところに逃げられた方々は炊き出しのお世話になられた方

々もあったようですが、何せ戦争中のことご自分の食べ物もないときです

から、炊き出しをしてあげたくてもできないところもあったと思います。
 
その後、もちろん空襲は毎日のようにありましたが、6月10日に再度

爆撃の的になりました。

叔母の家の後ろの道路に20キロ爆弾が落ちたのです。

道路には大きな穴が開き、裏のお宅の屋根には畳が一枚乗っていたのを思い

出します。

味方の高射砲陣地から打ち出した玉の破片がものすごい熱と、鋭い切れ端に

なって上からばらばらと落ちてくるのです。直撃を受けたら、もちろん

一ころでした。

 その後も日の出町の山の上のバラックに住まわせていただいた時に

機銃掃射を受けました。

空襲警報中でしたから、家族一同防空壕の中に入っていたのですが、まだ小

さかった弟が、空襲が長く続くので、おしっこがしたいと言って泣き出した

のです。母は多分栄養失調もあったと思うのですが、体調が悪いので、私が

その弟を抱いておしっこをさせようと外へ出たのですが、ちょうど運悪く

黄金町駅にいた人々に旋回しながら何度も機銃掃射攻撃して多くの人々を

殺戮した後の敵機P51が、高射砲陣地のあった日の出町の山を目掛けて

上昇してきたところに見つかってしまったようでした。

本当に間近で、相手の飛行士と眼があったような気がして、その恐ろし

かったこと、私は夢中で、弟を抱いたまま、防空壕の13の階段を駆け下り

たのですが、どうやって降りたのかもわかりませんでしたし、弟を抱いたま

ま暫く震えがとまりませんでした。

弟は泣きもせずでしたが、多分恐怖で声も出せなかったのでしょうね。

これは今、皆さんが感じておられる余震がいかに大変かということと同じで

はないかと思います。

 (つづく)