80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

アルツハイマー病を予防する方法(5)

2014-01-31 12:57:58 | 健康
NHK テレビ NHK スペェシャルよりの抜粋

発症する25年も前から病気が始まることがわかってきた

アルツハイマー病、まだ、紹介していないアミロイドβ、気

になりますよね。最初に変化が起こることから、アルツハイ

マー病を引き起こす大元だと考えられています。そんなに

早い段階から叩けば、タウの増加を抑え、海馬の萎縮を抑える

夢のようなことが、可能になるかもしれません。いったい

どんな方法があるか見ていきましょう。

ワシントン大学教授デイビット・ホルツマン教授はアミロイドβ

の蓄積とある意外なものの関係を調べています。

研究には健康な人たち145人が協力しました。体に、センサー

をつけて寝始めました。 そう、意外なものとは睡眠です。

ベッドに横になっているとき、熟睡している時間を調べました。

ベッドの横になっているときにあまり動かなければ、睡眠の質

がよい。頻繁に体を動かしていると睡眠の質が悪いと、判断

されます。目覚めた後、脳を包む、髄液を採取して、アミ

ロイドβの量を調べます。アミロイドβは,起きている間、

脳の神経細胞が活発に活動するときに作られます。そして、

寝ている間、その多くが髄液と一緒に脳の外へ排出されることが

わかってきました。睡眠の質が高い人ほど、アミロイドβが

きちんと排出されていました。

日々の睡眠を少し改善することで、長い年月で見れば、アミロイドβ

の増加をくいとめる大きな効果が期待できるのです。

ホルツマン教授

 ”研究結果は、適切で十分な睡眠をとることは、単に、健康のため

  だけではなくアルツハイマー病の予防につながるかもしれないと

  いうことを示しています。今後、研究が進めば、どれぐらいの

  睡眠をとれば、アミロイドβの排出が効果的になるのか、具体的に

  わかってくると思います。”

  よく眠れといわれても、難しいという人に対するアミロイドβを

  取り除く薬ができないかと思いますね。実はその薬はあるんです。

  アミロイドβを大きな副作用なく、取り除くことに成功した薬が

  あります。

  その一つがスイスの製薬会社が開発した薬ガンテネルマグです。

  大手製薬会社ルーカス・アンタレリさん

 ”患者の脳画像でアミロイドβをためている場所を示しています。

 投与後6ヶ月、脳内のアミロイドβが減少したことがはっきりし

 ました。

 投与された薬は、脳に、到達すると、アミロイドβと結合します。

 すると、脳の中の免疫細胞が、薬と結合したアミロイドβを食べる

 ようになります。こうしてアミロイドβを取り除くことは成功した

 のですが、なぜだか、いまだに世に出ていません。うまくいかなか

 ったわけをDIAN研究があきらかにしました。

 アミロイドβは発症まで25年も掛けて増加していくものの、発症

 後は逆に減少していく事を突き止めたのです。このときアミロイドβ

 はすでに、病気を進行させていく役目をすでに終えている可能性が

 あります。これまで薬の試験の対象は発症後の人たちでした。

 発症後の人たちに効果を期待してもなかなか効果が出ないわけです

 けれども、ならば、もっと早い段階で、投与すれば、いいのでは

 ないかDIAN研究のチームは製薬会社と組んで、昨年新たな研究を

 始めました。臨床試験で、家族性アルツハイマー病の人たちに協力

 を頼みました。

 後10年ほどで発症の恐れのあるブライアンホイットニーさんも

 協力を申し出ました。研究には、まだ発症していない210人が

 参加する予定です。彼らの発症を防ぐことができれば、一般の人々

 のアルツハイマー病の発症を予防することも可能になります。

 究極の早期治療のこの取り組みが実現するのです。最初の結果が

 出るのは2年後です。

 ワシントン大学DIAN 研究チーム

 ランダル・ベイトマン教授

 ”家族性アルツハイマー病のひとたちの協力のおかげで、一般の

  アルツハイマー病の患者にも治療法をもたらそうとしています。

  適切な薬をよいタイミングで投与できれば、アルツハイマー病

  を確実に治療できる可能性は高いと思います。”



国立長寿医療研究センターで、頭を働かせながら、予防プログラム

に参加した鈴木正美さんの結果はどうだったのでしょうか?

開始してから1年、その結果を確かめるときがやってきました。

果たして、海馬の萎縮を食い止めることができたのか、記憶力を向上

させられることができたのでしょうか?

15の単語のうち、何個覚えられるか検査します。記憶力のほかに、

認知機能検査、脳の萎縮を調べる映像検査など1時間以上掛けて行

われました。



鈴木さんの海馬の萎縮はまったく認められませんでした。そして、

落ちていた記憶力も(年相応の目安が5点。一年前は1点)運動

の予防プログラム参加後は6点にまで回復していました。

参加者全体の結果です。まず記憶力。運動に参加しなかった人

たちはほぼ横ばい、運動プログラムに参加した人たちは記憶力の

向上に成功していました。次に海馬の変化です。本来は萎縮して

いくはずの海馬が、運動プログラムに参加した人のグループでは

何と改善していたのです。アルツハイマー病予備軍の海馬の萎縮

を改善し、記憶力をアップさせ、世界に先駆けて日本の研究が

行われていたのです。

島田裕教授

 ”自信を持って言えますが、今回運動によってMCIの方々、

  少し脳の機能が落ちかけていても記憶を中心とした認知機能

  を改善することはできます。やった方がいいですよ。”


脳を萎縮させ、人生の記憶まで失う難敵アルツハイマー病、長い

年月を掛けて進行など、病の全貌があきらかになったことで、今、

漸く、克服への希望が見え始めました、研究者たちのたゆまぬ

挑戦でアルツハイマー病を食い止めることのできる時代を切り開

こうとしています。

(完)

アルツハイマー病を予防する方法(4)

2014-01-30 20:03:17 | 健康
NHK テレビ NHK スペェシヤル よりの抜粋

日本ではこのところアルツハイマー病の人が増え続けています。

なぜ増えるのか、その謎に迫る研究を続けているのが、九州大学

の環境医学の清原裕さんの研究グループです。

九州大学では、福岡市の隣町の久山町と協力して、1961年

から50年にわたって、住民の健康状態を追跡調査してきました。

参加するのは町民およそ4000人、その規模の大きさと調査の

正確さが、世界でも有数の疫学調査として知られています。

最新の調査結果が、日本のアルツハイマー病患者の増加の不気味

な兆候をとらえました。 これは久山町の65歳以上の人で、

アルツハイマー病の人の割合です。

1992年には1,8% 65歳以上の100人に2人でした。

2012年には、12,3% 100人に12人と6倍以上に

増加しています。寿命が延び、長生きする人が増えただけでは

説明がつきません。

清原教授

 ”医療技術の進歩があって、いろいろな病気の減少傾向にある

  中で、このように、アルツハイマーのように増えているのは

  特異的だと思います。”

背景にはライフスタイルの変化があるのではないかと、清原さん

は考えています。中でも食生活の変化が影響している可能性がある

といいます。

久山町の住民で1960年台以降、増加しているのは食後の血糖値

が高くなる代謝異常です。40年間で7倍に増加しています。

清原さんたちは糖代謝とアルツハイマー病の異常を調べました。

その結果血糖値が高い人ほど、アルツハイマー病の危険度が高い

ことがわかりました。

清原教授

 ”一言で言えば、日本人の生活習慣が欧米化してきたことが上げ

  られます。 食生活が欧米化して、特に動物性脂肪の摂取が

  増えてきた、これが一番大きな要因だと考えられます。”

 これまでアルツハイマー病の増加の原因は高齢化だけだと考えられ

 ていました。しかし、生活習慣の変化にも、その原因が潜んで

 いたのです。

  

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柚子寿司

2014-01-29 09:44:15 | 最近のできごと
先日NHK テレビ”夕どきネットワーク”だったかと

思いますが、京都の柚子農家の方の奥様が作っておられた

柚子の果汁を使われたおすしがあまりにも彩りよくおいし

そうだったので、ちょっと私なりに少々アレンジして作ら

せてもらいました。

材料 米 2カップ、紅鮭(甘塩) 2切れ 絹さや 少々 

   柚子の皮刻んだもの 少々。お好みで海苔 少々

   米酢 柚子果汁 昆布茶 茶さじ1

   お米に昆布茶をいれて、水気は少々少なめにして炊き、
 
   炊き上がったご飯に、米酢 1に対して、柚子果汁 

   2くらいの割合で、少しすっぱすぎるぐらいの味付

   けで、酢飯を作る。 焼いた紅鮭の身をほぐして、骨を

   取りながら入れていき、彩りよくゆでた絹莢を刻んで

   混ぜ入れ、ご飯を盛り付けたら、柚子の皮を千切りにして

   飾る。色がとてもきれいなので、海苔は別皿に持っておき、

   めいめい手巻きにしていただきましたが、海苔はなくても

   とてもおいしかったですよ。お試しください。

人生最高の日

2014-01-25 19:28:00 | 最近のできごと
そろそろ冬期オリンピックが近づいている。 夏冬通しての

オリンピックでの金メダリストのコメントで、今まで一番印象が

深かったのは、多分当時14歳だった岩崎京子ちゃんが水泳で

金でダルをとった直後にインタービュをうけて発した言葉

”今まで、生きていて一番幸せな日でした。”ではないだろうか?



私にとっては、今日がそんな日になった。

もう50年近くも前の話になるが、当時4歳児だった幼稚園児たちが、

クラス会を開いて、当時担任だった私を呼んでくれたのである。

こんな幸せってあるだろうか?  遠く埼玉からお二人も来てくれた。

前回は四国から駆けつけてくれた方もあった。

当時34名だったが、一人はお父さんの転勤で、北海道へ行かれ、

男性と女性一人づつ、大変残念ながら夭逝されてしまった。

お二人とも、しっかりとした、お子さんだったので、あまりの

早すぎる死に、私はショックを受けていたが、そのほかにも、

お引越しで、だんだんわからなくなり、それでも、最初のうちは

何とか一生懸命探して全員の名簿が保たれていたが、だんだん

わからなくなって、親御さんをお訪ねして聞いてもうちの娘は

変わってますから、もうほっといてくださいといわれた

方もあったりで、今回幹事役を買って出てくれたお二人が出された

はがきは25名分だったそうである。その中で、10名が顔を

出してくれたのである。

それこそ、大人数であれば、どんな会場も、大いばりで

借りることができただろうが、少人数では、幹事さん方のご苦労が

大変だったろうことはよくわかる。

安くておいしいイタリアンのお店を見つけて交渉してくれたとの事、

心からありがとうと感謝、感謝、感謝の気持ちでいっぱいになった。

みんな,とっても優しくて、楽しくて本当に幸せな一日になった。

私の年齢を思ってか、秋には、また今回の幹事さんがクラス会を開いて

くれると言ってくれ、先生、足を気をつけてね。来られなくなるから、

と一人が言えば、いや、車で迎えにいくと・・・。何たる幸せ!!!!


さあ、また、明日から、足の特訓をするぞ!!!!!


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アルツハイマー病を予防する方法(3)

2014-01-23 21:10:57 | 健康
NHK テレビ NHK スペシヤル よりの抜粋

番組を見ていて、自分の物忘れはアルツハイマー病の前兆

ではないかと心配になったあなた。朗報があります。

原因物質を叩いて治療を目指す、これが多くの研究者の

意図した戦略です。しかし、それとは、全く逆に、攻撃される

側の海馬を鍛えて萎縮するのを防ごうという戦略があります。

これが今ある対策の中で、今一番進んでいる方法なのです。

効果が特に期待できるのは、発症する直前の団塊の人たちです。

発症直前の人たちはMCI(軽度認知障害)といわれています。

いわば、アルツハイマー病などの認知症予備軍の段階です。

現在日本にいるMCIの人は、

推定400万人、(推計2012年時点)

65歳以上では実に8人に一人になります。MCIの人が必ず

アルツハイマー病になるわけではありません、しかし、5年

以内に発症する確率はおよそ50%と、いわれています。

国立長寿医療研究センター自立支援システム開発室長

島田裕之さんの研究チームではMCIの人対象に海馬の萎縮を

食い止める予防プログラムを開発しました。

そのプログラムとは、以外に身近なもの、そう、運動です。

何だなんて思わないでください。

島田裕之さん

”特別な運動で、もしかしたら、最新の薬でも、薬を飲む治療

よりも大きな効果が得られるかもしれません。認知機能を改善

保持することは、運動によって確実です。"



研究チームの最初の課題はMCIの疑いのある人をどうやって

みつけるかでした。脳の画像を検査すれば簡単です。

でも、時間と費用がかかり、多くの人を調べられません。

そこで、タブレット端末を使い、正確で、簡単に調べる方法を

開発しました。

Q,桜、猫、電車。覚えてください。

Q,次に 100から7を引いていってください。

Q,先ほど言った三つのものの名前をもう一度思い出して

  言ってください。


さまざまな検査を行い認知機能を点数化、年代別の平均点より

低い人はMCIの疑いがあるとする。

この検査でMCIの疑いがあるといわれた鈴木正美さん67歳です。

特に記憶力が年相応より落ちているとわかりました。

言葉の記憶が思い出せなくて、よくなかったのです。

そこで鈴木さんは予防プログラムに、参加することにしました。

プログラムで行うのは、ただの運動ではありません。

ウオーキングをしながら計算をします。 運動と同時に頭を働かせ

すことがポイントなのです。

・・・ちょっと記憶していただこうと思います。

 二人前の人が言った単語まで記憶しながら、ステップ台をして

 いただきます。

 シラス  スイカ  カボチャ    


  スイカ カボチャ  チャドコロ


これらを週一回90分行います。


Q,二つを同時にするのは大変?

 
・・・難しい。だから、時々、間違えるね。引き算を。



こうした運動が細胞レベルで脳を再生させる可能性がすでに明らか

になっています。 運動で、筋肉が刺激されると、血液中の成長

ホルモンが増加します。すると、脳の海馬ではBDNFという物質

がより多く分泌されます。 すると、BDNFは新たに神経細胞を

生み出すように働き掛けます。このとき運動と同時に計算や知り

とりで、海馬に負荷を掛けると、うれしいことが・・・、新しく

できた神経細胞どうしのつながりが増し、活性化されるのです。

こうして海馬の神経細胞が再生されると推定されています。

たとえ、タウの増加によって神経細胞が死滅しても、この運動で

神経細胞を増やすことができれば、海馬の萎縮を防ぐことができる

かもしれないのです。MCIの人たちの海馬を守り、アルツハイマー

病の発症をくいとめようという世界でも過去に例のない研究、

一年間のプログラムで、どんな結果が出るのでしょうか、結果は

番組の最後にお知らせします。


(つづく)

アルツハイマー病を予防する方法(2)

2014-01-21 18:46:44 | 健康
NHK テレビ NHK スペシヤル よりの抜粋

さあ、敵の正体はわかってきました。ここからは具体的な

攻略法を紹介していきましょう。その1は、イギリスの大学

が開発したLMTXという薬です。アルツハイマー病の患者

ローズ・ジョンソンさん(79歳)はその薬の臨床試験に参加

しています。LMTXのターゲットは神経細胞の止めを刺す

にっくきタウ、そのタウを薬で叩こうとしているのです。

ローズさんが発症と診断されたのは、68歳の時、その5年後

から開発中の薬を飲みはじめました。現在発症から11年、

寝たきりになってもおかしくないときです。



ケイト・ ロウ 医師(ローズさんの主治医) 

 ”最初にローズさんの診察をしたとき、今後、食事、洗面、

  着替えも一人ではできなくなり、10年も立てば、完全な

  介護が必要になるだろうと思いました。ところが、今

  ローズさんは介護サービスを利用せず、身の回りのことを自分

  で、こなしています。”



  ローズさんの趣味はクロスワードパズルです。

  Q。難しいと思いますか?

  ローズさん 

  ”最初はそう思いますが、でも、あきらめませんよ。

   見ての通り、私はこれを全部やりましたからね。”


  これはローズさんを含め321人が参加した臨床試験の結果です。

  横軸は時間、縦軸は上に行くほど、認知機能の高さを表してい

  ます。薬を飲んだグループは飲まなかったグループに比べると、

  認知機能の低下が抑えられています。アルツハイマー病の進行

  にともなって、神経細胞の中に集まるタウ。薬はタウを分解

  する働きを持っています。こうして神経細胞が死滅するのを防ぎ

  アルツハイマー病の進行止められると考えられています。

  LMTXの臨床試験は最終段階に入っています。321人だった

  被験者の数は1300人にまで増加。

  
  軽度から中程度のアルツハイマー病の患者を対象とした、より

  多くの人で、効果と安全性を調べています。この試験で成果が

  上がれば、より多くの人の治療に使うことができるようになり

  ます。これで一挙解決とお思いになるかもしれませんが、そう

  簡単にはいきません。薬の開発は、そう一筋縄ではいかないの

  です。これはアメリカの製薬業界のまとめたものです。アメリカ

  では、これまでの過去20年間に101もの薬が失敗したことを

  明らかにしました。最終段階に進んで大勢の人たちで試験をし

  効果が出なかったり、副作用が出たりすると開発は中止されます。

  果たして、LMTXが、アルツハイマー病を食い止める最初

  のくすりになるのか、その結果は早ければ、2年後に出ます。

  ドイツ人医師アルツハイマー博士がこの病気を最初に報告した

  のが、100年前。いまや、人類最大の敵と言われています。

  昨年12月イギリスにG8各国が集い,史上はじめてG8認知症

  サミットが開かれました。

イギリス キャメロン首相

  ”課題は非常に大きく、道のりは長い。しかし希望はある。この

   背景には世界的認知症患者の急増があります。”

  現在4400万人、2050年には3倍近くに増加すると考えら

  れています。

  これは病気の社会的な費用を示したグラフです。£billion

  癌 3 心臓病  5  脳卒中 6  認知症  17

イギリスでは、医療費だけでなく、家族の介護する時間の負担もお金

に換算したものです。アルツハイマー病などの認知症の社会的費用は

他の病気に比べて格段に高額です。今後、患者が増加すれば、経済も

破綻しかねないという危機感からG8各国が協力研究費を増額し、

薬の開発をともに進めていくことが決まりました。

先進国の中で最も早くアルツハイマー病の患者が急増するのは日本

です。現在、認知症の患者は推定462万人。そのおよそ7割が

アルツハイマー病だといわれています。団塊の世代がアルツハイマー

病を発症する年齢に突入する30年後には,認知症患者が1000万

人を突破すると推定されています。だからこそ、今アルツハイマー病

の対策が緊急の課題となっているのです。


(続く)



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アルツハイマー病を予防する方法..(1)

2014-01-20 20:15:49 | 健康
NHK テレビ NHK スペェシヤルよりの抜粋



アルツハイマー病を予防する方法が明らかになってきました。

体育館で二人づつ組んで、歩きながら、インストラクターの

指示どおりに、計算をしながら歩きます。


 ”132から7を引いていってください。”

二人で一緒にあるきながら、片方の人は、その計算の答えを

口でいい、相手はそれを聞きながら歩いていき、交代する。

いろいろな運動をしながら脳を使うというような、運動を

しながらある課題をこなすというプログラムが、今、大きな

成果を挙げて、いるそうです。

運動は脳の中で驚くべきメカニズムで神経細胞を蘇らせる

ことがわかってきました。薬では不可能だった効果が運動に

秘められていたのです。運動プログラムに参加した人は、

一年で記憶力を向上させることに成功しました。



研究者の話

 ”認知機能を改善することは運動によって確実にできる。

  絶対やった方がいいです。”



その背景には世界中から150人以上が参加して行われた

DIAN研究があります。

アルツハイマーによる脳の変化がなんと発症の25年前から

始まることを明らかにしました。

病気の原因となる物質が,何時から、どのように増えるのか

その結果、脳の萎縮がどのように進むのか、詳しいメカニズム

が浮かび上がってきました。

この成果をいかして、アルツハイマー秒をたたく方法が次々

見えはじめています。運動だけでなく、薬の開発も、加速、

病気が進むのをストップさせるだけでなく、そもそも発症

を予防する薬の臨床試験が始まっています。

予防薬の研究者

 ”アルツハイマーは克服できます。病気の進行を断ち切る

  チャンスが到来したのです。”



認知症の7割を占め、急増するアルツハイマーは脳が萎縮し

記憶力がなくなり、やがて運動能力がうばわれていきます。

これまでは、進行を食い止めることはできないと、いわれて

きました。

世界でどんな方法がどこまで進んでいるのかをご紹介します。



アメリカ、セントルイス,ここで6年前から画期的な方法が進められています。

ワシントン大学の研究者を中心とした、DTAN研究のチームです。

アメリカ、イギリス、ドイツなどの150人を越える研究者が集結

しました。

研究リーダーのジョン・モリス教授です。アルツハイマー病の克服

を目指して30年。 長年効果的な治療法を見つけられませんでした。

モリス教授は今まで誰も思いつかなかった方法に挑戦することにし

ました。

ある人たちに注目したのです。家族性アルツハイマー病の人たちです。

1950年代に撮影された家族写真に14人が写っていますが、この後、

11人がアルツハイマー病を発症しました。 家族性の人は遺伝によって

きわめて高い確率である年齢になると発症します。

その一族のブライアン・ホイトニーさんは後10年ほどでアルツハイマー

病を発症する可能性があります。

ブライアン・ホイットニーさん

 ”私がもっとも恐れているのはアルツハイマー病を発祥して、自立

  できなくなる日が来ることです。”

研究には家族性アルツハイマー病の人たち300人が協力することに

なりました。 たとえば、ブライアンさんの脳を調べれば、発症10

年前の脳がわかり、さまざまな年齢の人を調べれば、どのように脳が

変化し発症にいたるのかもわかるかもしれない。モリス教授たちは

家族性アルツハイマーの家族に対し、脳の画像から、血液、遺伝

まで徹底的な研究が始めました。程なく、驚きの発見がありました。

これはまだ発症までに時間があるはずの30台の脳です。緑色の部分

が見えています。早くも脳に異変が起こっていたのです。

それはアミロイドβという蛋白質の脳に蓄積です。脳の組織を顕微鏡

で見ると黒いしみ状の斑点として現れます。アミロイドβは神経細胞

が活動するとでてくる、いわば、老廃物です。アミロイドβが脳に

溜まると、神経細胞のシナプスという場所を傷つけます。やがて、

神経細胞を刺激させ、アルツハイマー病をひき起こすと考えられて

います。DIAN研究によってこのアミロイドβが溜まっていく様子

が明らかになりました。

青く見えるのが、脳に最初に溜まったアミロイドβです。なんと発症

の25年も前です。年を追うごとにアミロイドβは増えていきます。

緑色から黄色、赤、白となるにつれて、多く溜まっていることを示し

ています。発症の時には、すでに脳全体に広がっていました。

発症までに25年もかけて溜まり続けるアミロイドβ。アルツ

ハイマー病の発症は70歳を超えると増えていきます。70歳の25

年前というと、つまり、40台半ばということ、知らないうちから

そんな変化が進んでいるなんて、こわいですよね。更に、DIAN

研究の発見は続きました。発症の15年前から別の物質が増加し

始めるのが見つかりました。この物質はアミロイドβの後を追い

かけるように増加していきました。タウという物質です。患者の

脳の中に黒ずんで見えるのがタウです。実は神経細胞に止めを

刺すのはアミロイドβではなく、このタウでした。タウは

アミロイドβが傷をつけた後に神経細胞の中に集まり始めます。

タウが集まると神経細胞は死滅します。タウが最初に溜まるのは、

脳の奥深くにある海馬です。海馬は記憶の中枢といわれています。

神経細胞が破壊された結果海馬全体が萎縮していくのです。その

ため記憶力が低下し、アルツハイマー病を発症するのです。

DIAN研究によって、30年以上に及ぶアルツハイマー病の進行

の全体像が浮かび上がりました。発症の25年前から蓄積していく

アミロイドβ。このころ自覚症状は全くありません。アミロイドβ

が溜まり始めて10年たった頃タウが増加しはじめ、神経細胞を

破壊します。ここでもまだ、自覚症状はありません。その後も海馬の

萎縮が進行し症状が現れてきます。最初は軽い物忘れなどの軽い自覚

症状、そして、発症、日常生活に支障ができて、記憶力の低下が始ま

ります。


ジョン・モリス教授

 ”脳の仕組み単純なものではありません。非常に複雑です。アルツ

  ハイマー病による脳の変化に、私たちは漸く気づくことが

  できたのです。

  見えてきた治療のターゲット、アルツハイマー病に対する長期的な

  戦略を私たちは、手に入れたのです。アルツハイマー病を治療する

  だけでなく、予防を可能にする新しい時代の幕開けになるはずです。”



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戦争体験談(講演料)

2014-01-16 12:22:53 | 戦争体験
先日、あるところで、あなたは戦争体験談で講演料をたくさん

いただいておられるのだから、寄付していただいてもいいの

ではと言われてびっくりしました。

私が儲け仕事で、講演をしていると思っておられる方も

いらっしゃったということがわかりました。

なんだか、急に情けなくなりました。

そんな風に思われていたのでしょうか?

はっきり申しますが、わたしは、今まで講演のお礼として

いただいたのは、中川小学校だけです。

この場合も最初はお断りをいたしましたが、それでも、

もう手続き上、お払いしたことにしてしまったので、是非

お受け取りくださいということでしたので、それではと、

ありがたくいただきました。

他のところでは、いくらか包んでくださるところもありましたが、

お断りして、お返しいたしました。あるところでは、それも

ありませんでしたが、私は、私の気持ちが子供さんにちゃんと

伝われば、それで満足でした。



でも、今の自分の体調を考えると、そんなことはいっていられない

と思い出しました。 今まででも、学校その他でお話する朝は

タクシーでいったり、息子や嫁さんに頼んで、乗せていって

もらったりしていたのですが、だんだん遠いところになりますと、

タクシー代が嵩むことになります。年金暮らしの身分ですから、

大変です。


タクシー代だといいますと、ばあちゃん贅沢だと思われるかもしれ

ませんが、私は、アメリカ軍の落とした焼夷弾の模型を作っったり

当時のお弁当を再現したりしてもっていきますし、先生方にもらって

いただく原稿も枚数が多いので、重くなるのと、込んだ電車やバス

には乗れないのと、元気いっぱいに子供さんたちに話がしたいので、

体力を温存させておきたいために車を朝だけ使うのです。

本当は帰りも使いたいほどとても疲れてはいるのですが、

今のところは朝だけです。でも、だんだん足腰の痛みが、今より悪い

状態になれば、そういうことには、もっと費用がかかるってわけです。

それにかかる費用はPCの買い替え代、修理代、印刷のインク代、

紙代、電気代がいります。印刷機がおかしくなって、部数が途中で、

変わってしまって、無駄になることもあります。毎日毎日、原稿を

見直して印刷をやり直したりで、結構費用はかかっているのです。

私は、できるだけ自分の原稿をお若い方々にもらっていただきたい

と思って、先生になられるという方々とか、もらっていただくことが

あるのです。どうしても原稿の枚数が多いので、馬鹿にになりません。

たいしたことはできませんが、それでも、お一人でも多くの子供さん

方に、少しでも長く話をさせていただくためには、多少はいただくこ

とにしたいと思うようになりました。



ということになりますと、ますますお願いがしにくいのですが、

できるだけ多くの学校(小、中、高・大.専)どちらでもいいので、

お話させていただけませんでしょうか?

お願いいたします。     m(__)m

発見幻のドラマ”遺族”(2)

2014-01-15 08:49:17 | 戦争体験
そこで映画は終わっています。

山田洋二監督は

 ”びっくりしましたね。今見ると、映像的にも音声的にも

  とっても貧弱だけれども、しかし、真剣にやっているなあ。

  俳優も、演出家もスタッフも・・・・・。

  俳優さんたちの殆んどが、戦争を知っている人たちなので、

  そんなことも反映しているから、なんだか、そんな臭いが

  ちゃんとするのよね。”

・・・当時の皆さんの戦争の受け取り方も幅といいますか、

   やっぱり、遺族の方々は、ずっと尾を引いているけれども、

   一方、インタービューで、出てくるすごくクールで、突き

   離してみている若者がいたり、山田監督が、その時代に、

   持っていた、何か危惧みたいなものが現れているかなって

   言う風に・・・・。

山田監督

  ”そうね。 この国がもう一回戦前に戻っていこうとする

   空気が立ち込められだした頃でもあるんですね。 あの

   朝鮮戦争なんかもあってね、だから、この日本にも、

   再び、軍隊みたいなものができて、だんだん、それが

   膨らんでいく、それでいいのかという危機感があったん

   じゃないだろうか?”

・・・当時、脚本を書きながら、山田さんは、戦争について深く

   考えたといいます。

山田監督

 ”特攻隊というものがあって、たくさんの人たちが死んだ。

  どの人達の気持ちはどうだったんだろう。本当はにっこり

  笑って死んでいったんだろうか?  そうじゃないんじゃ

  ないのか。苦しんでいたんじゃないのか?

  出撃の前の晩なんか・・・。  誰だって納得の行くことじゃ

  ないんだからね。 僕は、お国のためにいつでも命を投げ

  出しますと、言ったものの、また、言わなけりゃ、いけ

  なかったんだからね。


  お国ってなんだったんだろう。 何の意味があるんだろう。

  その死についてね。一人の生命を失っていう事だからね。

  世の中で生命を失ってもいい事ってそんなにあるわけじゃ

  ないじゃないの?”

戦後69年今の若者達の反応は


 ・・・特攻隊って知りません?
   
   
 17歳の少女達

 ”何も知りません。”

・・・何も聞いたことない?

 ”はい、知りません。”


 20歳の男の子達

 ”自分がそうやって、誰かのためになるなら、考えるかも
 
  しれない。”

 ”でも、自分の意思がしっかりしていても、多分絶対、上には

  逆らえないので、自分はいやですけれども・・・。”


 32歳男性

・・・当時特攻隊で出撃した兵士についてはどう?

  ”非常に尊敬します。 ただまあ、自分ができるかって言うと、

   また別です。”


 22歳の女性達に

・・・彼氏とかも兵隊にとられるかもしれないと?

 ”絶対にいや。”

 ”現実として、受けいれられない。”

ドラマ遺族から53年、山田監督は戦争と向きあうことの大切さを

強く感じています。

今月公開される新作”小さいおうち”は主人公のタキが戦前戦中の

暮らしを回想しながらはなしがはじまります。



・・・上の4人はみなどこかへ奉公していたから、私もどこかへ

   いくのが当然だとタキは思っていました。

昭和10年代、タキは東京郊外のある豊かな家庭に住み込みではたらき

はじめます。  その家で引き起こされる恋愛事件に巻き込まれていく

タキ。   背景には戦争に向かっていく時代が描かれています。



 ”姉さん、見ましたか? 南京陥落。 南京城と燦たる日章旗。

 みな大騒ぎするぞ。”
 
 ”ときこ、お買い物に行きましょう。きっとデパートが大安売りを

 するわよ。”



 平和だった家庭は徐々に蝕まれていきます。



 ”何かあったの?”

 ”実は 召集令状がきたんです。”

 ”温かいお茶を入れてきます。”



 山田監督

 新作に込めた思いとは・・・・

 ”あの昭和10年代から、あの10年代ををはさんでというか、

  ちょっといい穏やかな暮らしがあったんですよということを

  言いたかったってことですよ。だけど、何か最終的には

  そういうものをまるで、キャタピラーのように破壊して

  いくわけですけれども・・・・。”

・・・戦争の飛行機の映像なんか出てくるのかと思ったら、

   そういうシーンは殆んどなくて家庭の事ばかりでてくる

   んですけれども?

   あそこはどんな拘りがあるんですか?

山田監督
 
   ”その家庭を描くことによって、その家庭の暮らしが出て、

   その時代ってものが反映されるんだから。つまり戦場で

   飛行機が飛んだり、戦車が走ったり、爆弾がぽかぽか

   落ちるような映画を撮りたいって言う気持ちにあまり

   ならないのよね。僕の場合はね、お茶の間でお茶を飲み

   ながら、親子がしみじみ話をしているみたいな世界が

   一番いいなと思っているわけ。しかし、そこにも戦争が

   ある。 戦争が描けるわけだから。お父さんに召集令状が

   くる。戦争に行くことがある、その人たちの悲しみ、心配

   や、気使いや、喜びを描くことが僕にとっては、戦争を描

   くことになるわけだから。

・・・監督ご自身も第二次大戦の時に、少年時代を過されていて、

  あの小さいおうちに描かれているものと、あい通じるものが

  ありますか?

山田監督

 ”そうですね。かなり近いような気がしますね。”

・・・山田さんは父親の仕事の関係で旧満州、現在の中国東北部

 で幼少期を過ごします。

 しかし豊かな生活は戦争で一変。家や財産をなくします。

・・・山田監督のご家庭も忍び寄る戦争の影のようなものを感じて

  ましたか?

山田監督

 ”子供だから、暗い影なんてなくて、日本は戦争に勝つって

  思っているし、俺も海軍の将校になって、軍艦に乗るんだ

  なんて思っていた。小学校2年か3年のとき、お袋に僕は

  海軍の学校に入って、将校になるんだっていったら、お袋

  は悲しそうな顔をして、”お前、外交官の方がいいよ”と

  言った。

  お袋は、軍人にだけは、なっちゃいけないよなんて言え

  なかった。 そういう雰囲気があの時代にはあった。

  お袋はそう思っていたに違いないが、だけど、僕が、学校へ

  行って、お袋が軍人になんかなっちゃいけないよって言ったら

  忽ち、みんなに伝わって、山田のうちのお袋は戦争に反対して

  いるんだということになって、それが警察に伝わると逮捕され

  てしまう。

  そういう恐怖感が窓の向こうにあった時代ですよね。



 先日、若者達を集めて山田さんの映画の試写会が開かれました。

 招かれたのは、都内の大学生、中学生凡そ50人。映画をきっかけ

 に戦争につい考えて欲しいという思いからです。


・・・今後もこういうことがあったらいけないと思います。

・・・時代が厳しくなっていく中で、人の気持ちは変化する、そういう

 のをすごく感じました。

 
試写会の後、山田さんは自分の思いを直接彼女らに伝えたいと彼女ら

 の 元を訪れました。

 山田監督

 ”彼女らの若いやわらかい感性であの映画を見たというと、とても

  どきどきするね。緊張する。”

 若い世代と戦争のことで話し合うのは初めてのことです。

 映画のあるシーンについて、学生の一人から意見が出ました。

 ”おばあちゃん嘘いっちゃあいけないよって、過去を美化

 しちゃいけないよ。戦争についての思い出を語るタキの手記

 を見ながら、言うところがあると思うんですけれど、そこが

 印象に残っています。


 
 ”おばあちゃん間違っているよ。昭和11年の日本人はこんな

 にうきうきしているわけがないよ。”

当時の暮らしをめぐって、交わされるタキと親戚の子健史のやり

 とり。


 ”軍国主義の嵐が吹いている頃だろう? 昭和11年と

  いえば・・。”

 ”嵐なんて吹いていやしないよ。毎日いいお天気だったよ。私、

  楽しかったんだもの。”

”おばあちゃんあまりにも主観的過ぎるよ。もっと客観的になら

 なきゃ。”


 本当の意味で戦争を知るためには、何が必要なのか山田さんは

 語り始めます。


 山田監督

 ”おばあちゃんは実感でしゃべっているんですよね。

  特にたのしかったと。 それに対して、健史は教養として、

  あるいは知識として、その時代のイメージを描いている。

  その両方が必要なんです。両方が相俟ってはじめて、

  ひとつの歴史的イメージが浮かぶんじゃないかなあ。”

  

 そして、今を生きる若者達に大切なメッセージを伝えました。


山田監督

 ”本当のことをちゃんと知る術があるし、だったら、どう

  しなきゃいけないかと考えたら、行動したりすることも

  可能だと思うんですよ。戦争のいろんな話を聞くことが大事。

  それをもう一度考える。過去と同じようなことを繰り返さない

  ためにも、あなた方も、僕も賢くあらねばならない。

  映画の中でも、戦争に行くことになった青年が、

  ”じょういち君。しっかり勉強して、賢い人間になれよ。

   お前の時代は市民は賢くならなきゃいけないんだ。”

 山田監督

 ”そういうメッセージを込めたつもりですけどね。”


 賢くあれという山田監督のメッセージ、学生達は戦争で

 家族を亡くした女性を訪問しました。   


学生

 ”あの戦争で、生活はどういう風に変わりましたか?”

女性

 ”戦争で、ある日突然に何か変わったわけじゃないけれども、

  変わったって言えば変わった。家が焼けて焼け死んだ人も

   たくさんいた。”
 
学生

 賢くあれというメッセージをを聞いて、いろんな事を考える

  機会になったと思います。 学生達は今後も聞き取りの活動を

 続けていきます。 

山田洋次監督82歳 今後も戦争を語り継ぐ

  ” 今の遺族もそうだけれども、戦争を生々しく体験した人たち

  兵隊だったり軍人だったりした人たち、もうこういう人達「は

  いなくなったわね。殆んどね。今、きっと僕達の番なんだろう

  ね。

  それが最後で、この国から戦争体験談が消えていくんだろうね。

  とすればだよ。僕達はこの体験を、今、一生懸命に 語り残さ

  なければいけないじゃないかという気持ちに駆られることは

  あるわね。もちろん僕だけじゃなくて、僕達の世代は誰もが

  思っている事じゃないのかね。


  語り残していかなきゃいけないって言うことをね。”


   (終)

発見”幻のドラマ 遺族”(1)

2014-01-11 23:58:15 | 戦争体験
NNHのテレビ、”特報首都圏"で放映されたものの抜粋。

昨年夏、11万本のフィルムが眠るNHK アーカイブス

の保管庫で発見された一本の番組のフィルム、ドラマ”遺族”。

53年前に製作された貴重なもので、太平洋戦争中に出撃

した一人の特攻隊員とその家族を描いて、戦争の悲劇を

伝えようとするものでした。

その脚本を書いたのは、男はつらいよなどの家族をテーマ

にして、数々の名作を産み出した山田洋次監督です。 

ドラマ”遺族”は、山田洋次さんが監督でデビューする前

の初作品でした。


今回、そのフィルムを山田洋次さんに観ていただきました。

戦争のさなかに少年時代を過ごした山田さん、その記憶は

今も脳裏に焼きついています。

 

 山田洋次監督


 ”戦争というものは、キャタピラーが踏み潰していくような

 破壊という行為で、恐怖感が窓の向こうにあった時代ですよね。”


 それから53年、山田さんは、これから今月放映される最新作

 ”小さなおうち”でも戦争の悲惨さを伝えようとしています。

 
 山田監督

   ”子供のころに戦争を体験している世代は、この国では、

   もうすぐいなくなるわけで、僕たちの今までの体験を

   一生懸命残さなけれ ばいけないじゃないかと・・・。”

  NHKドラマ ”遺族”番組は若者へのインタビウーから

  始まります。

・・・・・特攻隊ていうのがありましたが知っていますか?

・・・・・わかんない。”

・・・・・どういうことをしたのか知っているでしょう?
   
     特攻隊で亡くなってしまった人をどう思いますか?

・・・・・どう思うかって、あんまり利口じゃないと思います。

 主人公は陸軍報道班員として従軍した高田俊夫。

 昭和20年5月10日、特攻隊の青年から出撃前夜に日記を

 預かります。

 ”これは日記なんですが、自分の母のところへ送っていただ

  けませんか? もう検閲もないとは思うんですが、遺品とは
 
  別に、直接母に渡して欲しいです。”

 ”キットお渡します。”

 そこにあるのは古い友達へのように過去の生活と思考と愛情を

 打ち明けてくれた青年の顔であり その三時間後に自分の

 命を絶とうとしている青年の顔があった。

戦後高田はなかなか遺族を見つけられず、日記を渡されないまま、

15年がたった。

 時代は高度経済成長期、戦争に記憶は薄れ掛けておりました。

 ようやく遺族を探しだした高田。 しかし母親は、自分の息子

 はどこかで生きているのではないかと信じられずにいました。

 戦争は過去のものではありませんでした。

 母が持っていた新聞記事、同姓同名の男のものでした。

高田
 
 ”これが息子さんだと思れるんですか?”
 
 ”はい。”

 ”でも、もし息子さんが生きておられるんだったら、

 今までお母さんに連絡が取れないっていうことはあり得ない

 と思うんです。”

 ”でも、世の中にはいろいろな、事情がありますから。”



 私はそれが、特攻隊員として、いや、南や北の国で骨を

 埋められた人々のご遺族の方々の気持ちではないかと・・・。


 
 実際に番組では、ご遺族のインタビューをしております。

・・・終戦になってから16年たちましたが、息子さん

   へのお気持ちは如何ですか?
 
・・・まあ、あきらめ切れることはできませんけれども・・・。

・・・何か悲しみというものは薄紙をはがすように薄れると言い

   ますが、何か傷跡のようなものは一層深くなりますね。

   印象とか、そういうものをなかなか忘れられものがあります。



 番組はご遺族と向き合った高田さんの言葉で結ばれています。

 ”死んだ人は、もうものを言わない。生残った我々は、年とともに、

 戦争の苦しかった記憶から遠ざかろうとしている。しかし、戦争の

 傷跡は一人一人の胸に深く刻み込まれている。この物語は、その

 ほんの一例に過ぎない。 今、私たちはこう考えている。 

 私たちは二度と戦争を繰り返さないための努力を続けることだけが

 この傷跡を直せる方法なのではないだろうかと・・・。


(続く)



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