北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
「北岸部隊~伏字復元版(林芙美子著・中公文庫2002刊/1939版の文庫化)」を読んだ。林芙美子(はやしふみこ1903~1951)女史は、尾道高等女学校在学中から文才を示した。“放浪記(1930)”がベストセラーとなり、1937以降、従軍作家としても活動した。終戦後、著作活動のピークを迎える。人生最期の日も、“銀座のいわしや”の取材、“深川の鰻屋”を回り帰宅したがその夜、持病の心臓弁膜症にて、数え年49歳の短い一生を終えた。------
この本「北岸部隊」は、林芙美子の作家としての従軍日記だそうであり、国策で文筆家も国家総動員された時代の証(あかし)の一つなのである。多くの著名な作家たちと共に、中国大陸の揚子江の北岸に展開する日本陸軍の前線部隊を2週間に亘って訪問する旅の記録なのである。戦地であるから、野戦病院や傷病兵を目にするのだが、事実を淡々と描いている。勿論、国策に協力する戦地訪問であるから、禁止事項があらかじめ申し渡されており、作戦に関わることや部隊名は書けない。敵は憎らしく書き、日本軍人は人格高潔に書かねばならない。さまざまな制約のある中なので、全てが断片的で要領を得ないが、だらだらと書き綴っている中で、辛抱強い読者なら林芙美子の踏み込んだ表現を発見できるかもしれない。------
コロナ禍のウィルスの起源と目されている武漢(漢口)辺りの前線まで林芙美子は従軍作家として現地を訪れるのである。国の派遣であるから、兵隊よりはましであるが、それでも前線に向かうほど厳しい現実を目にしている。看護婦もいない野戦病院では日々死傷者を目にし、処々に中国兵の遺体が放置されている。国内から送り陸路の輸送に使っている数百頭の馬も、戦地の厳しさに病気に斃れる馬が続出している。戦線の様子も書けないのだが、高台に設置された物見台からは数キロ先に敵の陣地の守備兵が望遠鏡を覗くと見えるのである。------
林芙美子はマラリアに罹って這う這うの体で飛行機で内地に帰るのである。-----
戦後、価値観を一変せざるを得ない時代となったが、このような有名作家の見た従軍日記が残されていることは、歴史を検証する上で重要である。林芙美子がもっと長生きしていれば、本人の想いをもっと知ることができたのだろうが、残念である。