北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
「死ねない時代の哲学(村上陽一郎著・文春新書2020刊)」を読んだ。村上陽一郎(むらかみよういちろう1936生れ)氏は、東大(教養学部)卒、同大学院(人文科学研究科)博士課程修了。東大教授、国際基督教大学教授、東洋英和女学院大学学長を経て、現在は東大名誉教授の肩書である。科学史家/科学哲学者としての著作多し。------
章立ては次の通り。“中々死ねない時代”、“なぜ死ねないのか”、“日本人の死生観”、“死は自己決定できるか”、“医療資源/経済と安楽死”、“死を準備する”-------
扉書きの抜き刷り文は次の通り。細菌やウィルスに突然、命を奪われる時代が終わり、有数の長寿社会が実現した今、歴史上初めて、一人ひとりが自分の人生の終わり方を考えざるを得なくなった。死生観/安楽死/尊厳死/終末期医療などを科学哲学の泰斗が示した。死を準備するために考えておくべきこと。-----
“あとがき”によると、この本「死ねない時代の哲学」は前著“死の臨床学(2018)”を土台にして新書化したものであるとのこと。村上陽一郎氏の体力の低下もあるのか、出版社から村上陽一郎邸に派遣された聞き手(佐久間文子)の聞取り原稿を構成したものであり、佐久間文子女史との共同執筆のようなものであると断っている。------
タイトルの哲学はどこにも関係が無いような代物であり、あるとすれば、死生観は世界中どこも同じで、“人生は常に死を前提にした心構えを持って生きよ”というものが多いと纏めている。-----
安楽死は、既に、“終末期鎮静”の名で日本でもその形式が実質的に整えられていると書いている。医家に生まれておられるので、お父上から“六つの目以下ならば(信頼関係で結ばれた患者と医師、患者の家族または看護者)”との表現で安楽死に相当する行為がなされていることを実体験として息子の村上陽一郎氏に話し聞かされたことがあったそうである。------
何れにしても、団塊の世代が後期高齢者に達する頃には、日本も韓国/台湾と同様に安楽死は法制化されるだろうと書いておられる。そうしなければ、医療制度が破綻するし、延命治療は公費ではできなくなるというのだ。