奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1402)

2020-06-25 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「死ねない時代の哲学(村上陽一郎著・文春新書2020刊)」を読んだ。村上陽一郎(むらかみよういちろう1936生れ)氏は、東大(教養学部)卒、同大学院(人文科学研究科)博士課程修了。東大教授、国際基督教大学教授、東洋英和女学院大学学長を経て、現在は東大名誉教授の肩書である。科学史家/科学哲学者としての著作多し。------

章立ては次の通り。“中々死ねない時代”、“なぜ死ねないのか”、“日本人の死生観”、“死は自己決定できるか”、“医療資源/経済と安楽死”、“死を準備する”-------

扉書きの抜き刷り文は次の通り。細菌やウィルスに突然、命を奪われる時代が終わり、有数の長寿社会が実現した今、歴史上初めて、一人ひとりが自分の人生の終わり方を考えざるを得なくなった。死生観/安楽死/尊厳死/終末期医療などを科学哲学の泰斗が示した。死を準備するために考えておくべきこと。-----

“あとがき”によると、この本「死ねない時代の哲学」は前著“死の臨床学(2018)”を土台にして新書化したものであるとのこと。村上陽一郎氏の体力の低下もあるのか、出版社から村上陽一郎邸に派遣された聞き手(佐久間文子)の聞取り原稿を構成したものであり、佐久間文子女史との共同執筆のようなものであると断っている。------

タイトルの哲学はどこにも関係が無いような代物であり、あるとすれば、死生観は世界中どこも同じで、“人生は常に死を前提にした心構えを持って生きよ”というものが多いと纏めている。-----

安楽死は、既に、“終末期鎮静”の名で日本でもその形式が実質的に整えられていると書いている。医家に生まれておられるので、お父上から“六つの目以下ならば(信頼関係で結ばれた患者と医師、患者の家族または看護者)”との表現で安楽死に相当する行為がなされていることを実体験として息子の村上陽一郎氏に話し聞かされたことがあったそうである。------

何れにしても、団塊の世代が後期高齢者に達する頃には、日本も韓国/台湾と同様に安楽死は法制化されるだろうと書いておられる。そうしなければ、医療制度が破綻するし、延命治療は公費ではできなくなるというのだ。

 

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1401)

2020-06-24 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「英語コンプレックス粉砕宣言(鳥飼玖美子&齋藤孝共著・中公新書ラクレ2020刊/2019中央公論の対談の書籍化)」を読んだ。鳥飼玖美子(とりかいくみこ1946生れ)女史は、1969上智大学(イスパニア語学科)卒、1990コロンビア大学大学院(英語教授法)修士課程修了、2007サウサンプトン大学にて通訳学のPhDを取得した。“ラジオ番組(百万人の英語)1971~1992”の講師を20年間務めた。1993東洋英和女学院大学助教授、1995同教授。1997立教大学教授/名誉教授、2015より順天堂大学教授などを務めている。同時通訳の草分けの一人として有名である。齋藤孝(さいとうたかし1960)氏は、東大(法学部)卒、同大学院(教育学研究科)博士課程満期退学。明治大学(文学部)教授である。専門は教育学とのこと。“声に出して読みたい日本語(2001)”がベストセラーとなるなど著書多数。------

章立ては次の通り。“混迷の入試制度改革を検証する”、“英語植民地化する日本”、“発音のペラペラ感を身につける”、“文法を日本語で教えよ”、“意味のある話ができる力を身につける”、“とりあえず話したい人のために”、“イギリスの学校で使うほめことば”------

英語の不得意な人が多い中で、鳥飼玖美子女史は憧れの同時通訳者であり、その英語の達人が日本の英語教育の実情をどのようにお考えなのかについて知りえる本である。対談相手の齋藤孝氏は鳥飼玖美子女史から英語学習の問題点を聞き出す役割に徹しているのだ。“あとがき”にて書かれているように齋藤孝氏が数撃つ鉄砲に全て答えるには疲れるので鳥飼玖美子女史が適当に遇(あしら)っておられるところもあるが、女性らしい律義さで大方にはそれなりにお答えになっている。-----

そもそも英語教育は1989学習指導要領改訂より“使える英語/話せる英語”を目指して、“読み書き英語の学習”は等閑(なおざり)にされてしまった。------

鳥飼玖美子女史は東洋英和女学院(高等部)在学中の1年間ニュージャージー州に留学されているので、日本人であってもジョン万次郎ではないが、英語環境に浸ってお勉強された経歴をお持ちなのであり、ずっと日本に生まれて育ち、日本人の英語教師に習うだけの一般的な日本人が英語に堪能になる訳(わけ)が無いのだ。齋藤孝氏はそのような日本人を代表して鳥飼玖美子女史と対談に臨んで果敢に質問攻めしたりしておられる。しかし、いつもの齋藤孝氏ほどの歯切れの良さはない。齋藤孝氏の専門の学校教育教授法で張り合っても英語の領分では歯が立たないと思わせられた。兎角日本では専門領域がタコつぼであり、他者/門外漢を寄せ付けない嫌いがある。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1400)

2020-06-23 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

近鉄奈良線の西大寺駅で下車し北に数分歩くと、近鉄百貨店(奈良店)がある。奈良県下には他にも橿原店/生駒店があるのだが、夏のギフトコーナーは、西大寺の奈良店だけが開設も早く、便利なのだ。これまでのようにギフトの陳列も充実している。今年はコロナ禍でソーシャルディスタンスを十分に取った待合席、平日だったので16人待ちで、15分程度の待ち時間であった。ギフトの申し込み窓口は透明なビニールの垂れ幕で仕切られており、ウィズコロナの配慮は十分だ。コロナ禍で年初来、売り上げの落ち込みの激しい百貨店にしてみれば、お中元セールは国内客向けのものであり、例年どおりの売り上げを期待しているのだろうと感じた。------

近鉄百貨店には暫くぶりで訪れたので、内装の豪華さが改めて気付かされた。その昔、奈良県内の百貨店の一番は、新大宮の“そごう奈良店”であり、金襴豪華といった印象であったのだ。その後、そごうの撤退、イトーヨーカドーも撤退、今のM!NARA(ミナーラ)となってしまい、在りし日の豪華さは影を潜め、エスカレーターなどは同じ設備なのだが、行き届いた清掃などのレベルが落ちているのかなと思わざるを得ないのだ。そうした中で、近鉄百貨店/奈良店のエスカレーターに乗ったところ、そのピカピカ感にうっとりとしてしまったのだ。大阪の百貨店を利用していたころの記憶では、心斎橋大丸にしても難波高島屋にしても、シックで落ち着いていて、大阪なのだが、1階の化粧品売り場などは豪華過ぎて落ち着かなかった記憶がある。それに少しばかり近い感覚が、近鉄百貨店/奈良店の雰囲気に感じてしまったのだ。-------

コロナ禍で暫く、休業したり営業時間を短縮したりしてきた百貨店が巻き返しの意味でも、再開店に際して十分すぎる清掃を施したのかもしれない。でも百貨店は豪華であることが、気持ちを高揚させ、購買意欲を擽るのは確かだろうと思わせられた。-----

西大寺駅の南北をつなぐ跨線歩道橋はほぼ完成しているのだから、三和ビル(サンワシティ)や近鉄百貨店側まで歩道橋を拡張してもらえれば、大阪まで行かなくとも、奈良県内でお買い物が楽しめるのにと思った。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1399)

2020-06-22 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「北岸部隊~伏字復元版(林芙美子著・中公文庫2002刊/1939版の文庫化)」を読んだ。林芙美子(はやしふみこ1903~1951)女史は、尾道高等女学校在学中から文才を示した。“放浪記(1930)”がベストセラーとなり、1937以降、従軍作家としても活動した。終戦後、著作活動のピークを迎える。人生最期の日も、“銀座のいわしや”の取材、“深川の鰻屋”を回り帰宅したがその夜、持病の心臓弁膜症にて、数え年49歳の短い一生を終えた。------

この本「北岸部隊」は、林芙美子の作家としての従軍日記だそうであり、国策で文筆家も国家総動員された時代の証(あかし)の一つなのである。多くの著名な作家たちと共に、中国大陸の揚子江の北岸に展開する日本陸軍の前線部隊を2週間に亘って訪問する旅の記録なのである。戦地であるから、野戦病院や傷病兵を目にするのだが、事実を淡々と描いている。勿論、国策に協力する戦地訪問であるから、禁止事項があらかじめ申し渡されており、作戦に関わることや部隊名は書けない。敵は憎らしく書き、日本軍人は人格高潔に書かねばならない。さまざまな制約のある中なので、全てが断片的で要領を得ないが、だらだらと書き綴っている中で、辛抱強い読者なら林芙美子の踏み込んだ表現を発見できるかもしれない。------

コロナ禍のウィルスの起源と目されている武漢(漢口)辺りの前線まで林芙美子は従軍作家として現地を訪れるのである。国の派遣であるから、兵隊よりはましであるが、それでも前線に向かうほど厳しい現実を目にしている。看護婦もいない野戦病院では日々死傷者を目にし、処々に中国兵の遺体が放置されている。国内から送り陸路の輸送に使っている数百頭の馬も、戦地の厳しさに病気に斃れる馬が続出している。戦線の様子も書けないのだが、高台に設置された物見台からは数キロ先に敵の陣地の守備兵が望遠鏡を覗くと見えるのである。------

林芙美子はマラリアに罹って這う這うの体で飛行機で内地に帰るのである。-----

戦後、価値観を一変せざるを得ない時代となったが、このような有名作家の見た従軍日記が残されていることは、歴史を検証する上で重要である。林芙美子がもっと長生きしていれば、本人の想いをもっと知ることができたのだろうが、残念である。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1398)

2020-06-21 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「グアテマラの弟(片桐はいり著・幻冬舎文庫2011刊/2007版の文庫化)」を読んだ。片桐はいり(かたぎりはいり1963生れ)女史は、成蹊大学(日本文学科)卒、俳優として舞台/映画/テレビに活躍している。------

この本「グアテマラの弟」は、片桐はいり女史の年子(としご)の弟君が、大学院まで出ていながら、学生時代に放浪した中南米のグアテマラに移住してしまったその経緯を含めて、家族の付き合いを書き連ねているのである。-------

通信機能付きワープロやウィンドーズ95/ウィンドーズ98パソコンの時代のずっとまえに弟君のグアテマラ生活は始まっており、日本経済が活発で世界旅行をする日本人が多かった時代であり、グアテマラの古都/アンティグアにスペイン語学校を経営し、日本から訪れる長期滞在の旅行者にスペイン語を教えていた。インバウンドが活発になると、世界中で人の交流が盛んになり、日本を脱出して彼の地で暮らす日本人も多いのだが、結局は日本からの観光客を対象としたスペイン語学校などで生活の糧を得ているのである。------

片桐はいり女史の弟君はかなり早い段階で現地に溶け込んでおり、今ではすっかりと現地に根をおろしているのである。但し、ご両親は結局のところ現地グアテマラにはお出掛けなっていなくて、その代わりに片桐はいり女史が数回にわたって弟君を訪問しているのである。この本はそのご両親への報告書のような形で書きすすめられるのであり、一風変わっている。------

コロナ禍により北海道で、オーストラリアからの観光客の現地案内をしていたオーストラリア人が帰国する話があったが、言葉の問題などもあり、同国人がガイドしてくれれば助かるのはどこでも同じであり、人気の国や地域にはそのような要求にこたえてスタンバイする日本人も多いのである。現地の人のガイドの仕事を奪うようなことをせずに暮らすのなら許せるが一定数の放浪癖のある人たちは国外を彷徨った後、暮らしやすい処に住みつく例はかなり多いようだ。近未来にはグローバル化が進展して当たり前の風景になるのは避けられないが、タコ足作戦は余り褒められたことに思えない。

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