広島市現代美術館では
「解剖と変容 プルニー&ゼマーンコヴァー チェコ、アール・ブリュットの巨匠」特別展が催されており観てきたのだけれど
私にはちょっとキツかった。
特にルボシュ・プルニーというアーティストの『父』『母』という作品は、私にはあまりにも直接的すぎてしばらく涙が止まらなかった。
剥き出しの真っ白な無垢な心
彼の一見不可思議に見える愛の形や純粋な気持ちが、私の個人的な家族への思いとあいまって痛いほど伝わってきて
正直なところ私には辛かった。
うまく言葉にはできないけれど、その作品があまりに澄んでいて目をそむけられず、辛かった。
偽りのない事実がそこにある
それはなんて強烈なのだろう。
抜いたままの刀のような鋭さでそこにあって、近づこうとすればするほど心に突き刺さる。
今回の特別展で飾られたアール・ブリュットは、絵画の技法を専門的に学ばずに描くようになった作家達のアウトサイダー・アートと呼ばれる作品のコレクションの名称で
アール・ブリュットの作家達は作品が完成した時点でその作品への興味を失い、評価されるとかそういったことには関心をもたないのだそうだ。
プルニーの作品に感情を激しく揺さぶられたのは事実だったので、私は館内のアート・ナビゲーターの方にこの『父』『母』について解説をお願いした。
…
どうしても今の私にはポジティブな気持ちで受けとれない作品だったのでお勧めはできないけれど、こういった作家もいると知ることができたのはよかったと思う。
その作品から受けた影響による自分の心の動きを客観的にみることもできた。
またプルニーの作品は自然と同じありのままの姿を表現していると感じた。
だから良いも悪いもないと思った。
ただ純粋すぎるのだ。
そして、岡本太郎の『明日の神話』は巨大な壁画を想像していたら、原画だったので思ったよりずっと小さな絵だった。
壁画はメキシコにあるそうです。
そういえば、前にテレビで観たことあったっけ…
でも、絵を眺めているとその世界に引き込まれて絵の大きさは関係なくなる。強い色彩のコントラストや単純化され不安定な曲線で描かれたくっきりとした輪郭がそのまま原爆の恐ろしさや悲劇を伝えている。
やはりこれも原爆ドームと同じく、凄惨な現場を残したり表現することで平和への強いメッセージを訴えているように感じた。
私は広島の原爆のことを頭ではわかっていたつもりだった。でも昨日まで日本の近代史以上には考えていなかった自分に気付かされた。
言ってしまえば、自分にはあまり関係のない遠い出来事、知識としてあっただけだった。
今回原爆ドームを目の前にしたからといって、自分が何をできる訳でもないのだけれど、少なとくも今の自分の生活への感謝や同じ過ちを繰り返さないことはできると思った。
アール・ブリュットの作家達の作品を観て
また、広島の傷痕を垣間みて
これからの自分のあり方を否応なしに考えさせられた。
日常のほんの些細な出来事や嬉しいこと、楽しいことがどれほど強い光であるか
人はその光が集まって周りが明るすぎると、その個々の光の尊さに気付かないのかもしれない。
それを教えてくれた広島で出会った世界遺産やアートに感謝しつつ
私は今を思いきり楽しみ、喜怒哀楽を感じて生きていこうと思った。
もしかしたら、気負いすぎているのかもしれないけれど。
そして何より「おかえりー」と言ってくれる家族や大切な人達が私にもちゃんといて、私にとって笑顔の源泉となる大きな存在であることを改めて感じたのでした。
「解剖と変容 プルニー&ゼマーンコヴァー チェコ、アール・ブリュットの巨匠」特別展が催されており観てきたのだけれど
私にはちょっとキツかった。
特にルボシュ・プルニーというアーティストの『父』『母』という作品は、私にはあまりにも直接的すぎてしばらく涙が止まらなかった。
剥き出しの真っ白な無垢な心
彼の一見不可思議に見える愛の形や純粋な気持ちが、私の個人的な家族への思いとあいまって痛いほど伝わってきて
正直なところ私には辛かった。
うまく言葉にはできないけれど、その作品があまりに澄んでいて目をそむけられず、辛かった。
偽りのない事実がそこにある
それはなんて強烈なのだろう。
抜いたままの刀のような鋭さでそこにあって、近づこうとすればするほど心に突き刺さる。
今回の特別展で飾られたアール・ブリュットは、絵画の技法を専門的に学ばずに描くようになった作家達のアウトサイダー・アートと呼ばれる作品のコレクションの名称で
アール・ブリュットの作家達は作品が完成した時点でその作品への興味を失い、評価されるとかそういったことには関心をもたないのだそうだ。
プルニーの作品に感情を激しく揺さぶられたのは事実だったので、私は館内のアート・ナビゲーターの方にこの『父』『母』について解説をお願いした。
…
どうしても今の私にはポジティブな気持ちで受けとれない作品だったのでお勧めはできないけれど、こういった作家もいると知ることができたのはよかったと思う。
その作品から受けた影響による自分の心の動きを客観的にみることもできた。
またプルニーの作品は自然と同じありのままの姿を表現していると感じた。
だから良いも悪いもないと思った。
ただ純粋すぎるのだ。
そして、岡本太郎の『明日の神話』は巨大な壁画を想像していたら、原画だったので思ったよりずっと小さな絵だった。
壁画はメキシコにあるそうです。
そういえば、前にテレビで観たことあったっけ…
でも、絵を眺めているとその世界に引き込まれて絵の大きさは関係なくなる。強い色彩のコントラストや単純化され不安定な曲線で描かれたくっきりとした輪郭がそのまま原爆の恐ろしさや悲劇を伝えている。
やはりこれも原爆ドームと同じく、凄惨な現場を残したり表現することで平和への強いメッセージを訴えているように感じた。
私は広島の原爆のことを頭ではわかっていたつもりだった。でも昨日まで日本の近代史以上には考えていなかった自分に気付かされた。
言ってしまえば、自分にはあまり関係のない遠い出来事、知識としてあっただけだった。
今回原爆ドームを目の前にしたからといって、自分が何をできる訳でもないのだけれど、少なとくも今の自分の生活への感謝や同じ過ちを繰り返さないことはできると思った。
アール・ブリュットの作家達の作品を観て
また、広島の傷痕を垣間みて
これからの自分のあり方を否応なしに考えさせられた。
日常のほんの些細な出来事や嬉しいこと、楽しいことがどれほど強い光であるか
人はその光が集まって周りが明るすぎると、その個々の光の尊さに気付かないのかもしれない。
それを教えてくれた広島で出会った世界遺産やアートに感謝しつつ
私は今を思いきり楽しみ、喜怒哀楽を感じて生きていこうと思った。
もしかしたら、気負いすぎているのかもしれないけれど。
そして何より「おかえりー」と言ってくれる家族や大切な人達が私にもちゃんといて、私にとって笑顔の源泉となる大きな存在であることを改めて感じたのでした。