昨日の朝日の夕刊に、久しぶりに嬉しいニュースが載っていました。
「日本人よありがとう 津波から生還のドイツ人一家」という見出し。

ドイツ人一家ユルゲン・シュピールベルクさん(72)、妻(67)、娘(33)の3人は
3月11日の震災当日、日本を旅行中で、宮城県多賀城市内で乗っていたタクシーごと
津波に巻き込まれたのだそうです。
”3人は運転手の指示に従い、タクシーの窓を開けて脱出。
民家のバルコニーに流れ着き、住人に救助された。
民家で一晩を過ごし、水が引き始めた12日、同県多賀城市の避難所に移った。
避難所では、一時帰宅した人から自宅で作ったおにぎりを分けてもらった。
「年長者だから」とユルゲンさんにはいつも一番大きなおにぎりが回ってきた。
携帯電話を貸してくれる人もいて、ドイツに残る息子に無事を伝えられた。”
3月15日には避難所から仙台市の国際交流センターに車で移動、その時
”避難所の人からそっと手渡された封筒を車内で開いた。
「ガソリン代に」と書かれたメモと現金。信じがたい思いで見つめた。”と。
一家はそこから色々な人の好意で新潟に移動、16日には新幹線で東京へ向かい、
翌17日にドイツへ帰国の途に着いたのだそうです。
「日本の皆さんは進んで手を差し伸べてくれた。こちらが驚くほどだった」と
感謝するユルゲンさんは帰国後、大震災で親を亡くした子供たちの支援活動に取り組んでいる。
すでに10万ユーロが集まったのだとか。
余裕があるときならともかく、誰もが極限状態の中で
見知らぬ外国人に手を差し伸べることができるか?
命からがら身一つで逃げ出した避難所で
「ガソリン代」を差し出すことができるか?
多賀城市の避難所で混乱の中、苦労して車を手配した市職員は
市役所前で信号待ちの車に「困っている外国人を乗せて欲しい」と
次々に持ちかけ、30台目くらいで引き受けて貰えたのだそうです。
「外国から来て困っていた。人として何かしたい。ただ、それだけでした。」と
語っていると。
胸が熱くなります。
昨日の朝日新聞の記事はネットで見つからなかったのですが
8月の世界日報の記事が見つかりました。
http://www.worldtimes.co.jp/today/photonews/110817/110817-2.html
「日本人よありがとう 津波から生還のドイツ人一家」という見出し。

ドイツ人一家ユルゲン・シュピールベルクさん(72)、妻(67)、娘(33)の3人は
3月11日の震災当日、日本を旅行中で、宮城県多賀城市内で乗っていたタクシーごと
津波に巻き込まれたのだそうです。
”3人は運転手の指示に従い、タクシーの窓を開けて脱出。
民家のバルコニーに流れ着き、住人に救助された。
民家で一晩を過ごし、水が引き始めた12日、同県多賀城市の避難所に移った。
避難所では、一時帰宅した人から自宅で作ったおにぎりを分けてもらった。
「年長者だから」とユルゲンさんにはいつも一番大きなおにぎりが回ってきた。
携帯電話を貸してくれる人もいて、ドイツに残る息子に無事を伝えられた。”
3月15日には避難所から仙台市の国際交流センターに車で移動、その時
”避難所の人からそっと手渡された封筒を車内で開いた。
「ガソリン代に」と書かれたメモと現金。信じがたい思いで見つめた。”と。
一家はそこから色々な人の好意で新潟に移動、16日には新幹線で東京へ向かい、
翌17日にドイツへ帰国の途に着いたのだそうです。
「日本の皆さんは進んで手を差し伸べてくれた。こちらが驚くほどだった」と
感謝するユルゲンさんは帰国後、大震災で親を亡くした子供たちの支援活動に取り組んでいる。
すでに10万ユーロが集まったのだとか。
余裕があるときならともかく、誰もが極限状態の中で
見知らぬ外国人に手を差し伸べることができるか?
命からがら身一つで逃げ出した避難所で
「ガソリン代」を差し出すことができるか?
多賀城市の避難所で混乱の中、苦労して車を手配した市職員は
市役所前で信号待ちの車に「困っている外国人を乗せて欲しい」と
次々に持ちかけ、30台目くらいで引き受けて貰えたのだそうです。
「外国から来て困っていた。人として何かしたい。ただ、それだけでした。」と
語っていると。
胸が熱くなります。
昨日の朝日新聞の記事はネットで見つからなかったのですが
8月の世界日報の記事が見つかりました。
http://www.worldtimes.co.jp/today/photonews/110817/110817-2.html
ユルゲンさんご家族、本当に良かったです。
日本へご旅行で来られたのに、あのような災難に遭うとはお気の毒でした。しかし単なる観光旅行では決して得られない日本人の心を感じ取って頂けたかもしれないですね。
それが帰国後での活動に繋がっているのでしょう。
私は初めて海外へ出かけた時、インドでいきなり盗難に遭いました。その時、何人かのインドの人たちにお世話になりました。その経験から私は日本でも外国の方に声をかけられ何か尋ねられたりしたときなど、何とかしようと常に心がけて接しています。
日本人だって滅多に遭うことのない津波に
旅行に来て遭われるとは…
でも、こんな風に思って貰えて
日本人としてつくづく鼻が高いです。
海外に行くと楽しいことも山盛りの反面、
危険度も確実に増しますものね。
それを怖がっていたら何も始まらないし。
私も、日本の駅で困っているような外国人には
なるべく声をかけるようにしています。
日本への旅行で、あの大災害に遭われたとは
本当にお気の毒だと思います。
被災地での皆さんの応対は素晴らしく
日本人の誇りですね。
大震災で親を亡くした子供たちの支援活動に
取り込んで頂けるのも素晴らしくて嬉しい事です。
大震災に見舞われても冷静さを
失わず、落ち着いて行動した
日本人に世界各国から称賛が
寄せられましたね。
このような極限の中でも
温かく親切な多賀城市の方たちに
同じ日本人として誇りを感じました。
悲しいニュースが多いからこそ
この話を読んだ時は嬉しく思いました。
支援活動の10万ユーロって凄い金額ですよねえ。
金額の大小ではないでしょうが
ありがたい話です。
大震災直後の日本人の行動は世界中から絶賛された。
私はつくづく感動して
MIXIやFaceBookから得られるそうした情報を夢中で毎日ブログに書いていたのですが
そうしたら見知らぬ人から
読んで涙が止まらなかった、力づけられたというメールを頂いて…
一主婦のつまらないブログであっても
世の中に発信できる素晴らしさを実感したのでした。
思わず目頭を押さえていますよ。
旅行中のドイツ人ご家族が、大震災の津波に遭い、現地の人々の好意で無事に帰国できた・・・
帰国後は支援金を10万ユーローも集めたとは!
あのドイツ!、放射能を恐れてバッシングが起きたあのドイツですね。
心温かい東北の人々の好意が、そういった偏見をも解かしてくれたのでしょうね。
首都圏でもし同じ状況が起きた時、我々はそのような行動ができるだろうか?
人との競争の中で生きている人が多いだけに疑問です。
ドイツ…
大震災直後駆けつけてくれたドイツの救助隊は
成田から戻ってしまったのですよね。
放射能を怖がって。
首都圏はもっと過酷で凄惨な状況になるでしょうが
それでもあの震災の直後、世界から称賛されるシーンも沢山ありましたよね。
電車の来ないホームで何時間も整然と並んでいたり
帰宅難民がお互いに助け合ったり
計画停電のなかでも大きな犯罪が起きなかったり。
日本人の良心を信じたいものです。
記念の年で、今年は多くのイベントの予定があったのに
全部中止してしまいました。
それなのにこんな話があったのですね。
世界日報も前にとっていたのですが読み切れず
止めてしまいました。
でも、エラそうなこと言ったって
結局、原発に頼ってるフランスから電力輸入してるのですものねえ。
色々なイベントを中止にしたという話は
私も聞きました。
個人的にはこんなにいい人もいるのに…