Zooey's Diary

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「オートクチュール」

2022年04月10日 | 映画

ディオールのアトリエを舞台に、引退を目前に控えたお針子の女性エステルと、定職も持たずいい加減に生きてきた移民二世の少女ジャドという、世代も境遇も異なる2人の女性の人生が交差する様子を描いた作品。
という粗筋を聞くと、ほのぼのとした人情物語を想像しがちですが、そうはいかないのがフランス映画。
そもそも二人の出会いは、エステルのバッグをジャドの仲間がひったくった所から始まるのです。



”エステルは地下鉄で若い女性にハンドバッグをひったくられ、その犯人ジャドの滑らかに動く指にドレスを縫い上げる才能を直感したエステルは、彼女を警察へ突き出す代わりに見習いとしてアトリエに迎え入れる”と、公式HPや映画comその他に紹介してありますが、何故こんないい加減なことを?と不思議です。
ジャドは盗品のギターで弾き語りをし、それに見入ったエステルのバッグを、ジャドの仲間が盗んだというのが正しい所です。
とにもかくにも盗んだバッグから宗教的なネックレスを見つけたジャドが、良心の呵責に耐え切れず(本物のワルという訳ではないらしい)、身分証明書から辿って、エステルにバッグを返しに行くのです。


なので、エステルがどうやってジャドの手先の器用さを見抜いたのか理解しづらいし、しかもその出会いから、悪態と差別用語が飛び交うのです。
エステルはジャドに「貧乏移民」と毒づくし、ジャドはエステルに「シワシワ高慢ババア」と言い返す。
とにかくこの映画、汚い言葉と悪意のオンパレードなのです。



ジャドが住む郊外の低所得者用団地は、移民で溢れかえっている。
彼女の母親は23年来の自称鬱病で、狭い家の中でゴロゴロし、ジャドはヤングケアラーでもある。
これでは学校にもろくに行けず、定職も持てないのも仕方ないなあと同情する一方、そのあまりの下品さ、身勝手さにウンザリします。
ディオールのアトリエの警備員(アラブ系)に初め、追い出されかけたジャドは、「金持ちの犬が、偉そうにするんじゃねえよ」と罵声を浴びせる。
差別される者が差別をする、その典型。



老舗メゾン、石造りの建物のディオールの美しいアトリエ。
「クソ安い賃金で」黙々と縫う、お針子たちによって生み出される美しい数々のドレス。
そこにも差別やいじめが渦巻いているのですが、努力は何とか報われ、ラストは二人が友情で結ばれてホッとします。
移民、人種、宗教、ジェンダー、貧困、格差といった社会問題がギュウギュウに盛り込んであるのはこういう時代に忖度したからとかと思いきや、シルヴィー・オハヨン監督は、ユダヤ系チュニジア人でフランス移民の団地育ちとのことです。
パリの現実の一つには違いないのでしょうね。

公式HP 




コメント (2)
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